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片隅は決して寂しい言葉じゃない

お正月の初読書は『この世界の片隅に』。
まだ上手くまとめられていない(きっと何年かあとに読み返して、また新たな発見がある系の素敵な作品。)のだけど、記録しておきたいと思います。

私が今回原作を読んで感じたのは、これは戦争物語ではなく、あくまですずさんの日常を書いている作品なんだなということ。

すずさんの生きる76年前の夏は、当たり前に道路で亡くなっている人がいて、当たり前に爆弾が怖くて、当たり前に誰かが死ぬ日常でした。それでも毎日ご飯を炊いて、洗濯物をして、残業をする。今と変わらない日常を戦時下の人は生きていたんだと、当たり前のことをすずさんの目を通して知りました。

戦争は遠い時代の話で、まったく自分と関係のないことだと思っていましたが、今のコロナと状況は似ているのかなと思います。

日々増加し続ける感染者数や、世界の死者数。あまりに数字が大きすぎて、なにも感じないこともあります。でも、その無味乾燥な数字の分だけ、何物にも代え難い日常が失われているのだと理解しておかねばと思いました。

そしてこの作品のタイトルにある「片隅」という言葉が、今回最も深く胸にささった言葉です。

この世界に本当に自分の居場所があるのかと悩んでいたすずさんは、最後、こんな言葉を残します。

貴方などこの世界のほんの切っ端にすぎないのだから          しかもその貴方すら懐かしい切れぎれの誰かや何かの寄せ集めにすぎないのだから

みんな人は、世界の切れ端にすぎない。でもその切れ端でできた貴方は、とても愛しいものなんだよ、とすずさんは伝えてくれます。

大きな広い世界で小さな切れ端の自分を、誰かがみつけて寄り添い、そばにい続けてくれること。それはとても尊いことなんだとこの言葉に気づかされました。他人も誰かたくさんの人々の切れ端であることに思いをはせることができれば、世界は少し平和になるのかもしれない。

タイトルにも使われている「片隅」は決して寂しい響きを持ちません。なぜならそれは、登場人物の誰もが、その片隅に在ることができる尊さを知っているからです。

映画も何度もみて、原作も買ってからもう3回も読み返してしまいました。辛いだけじゃなく、すずさんが明るい生き方を示してくれる、温かな作品です。ぜひ。




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