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棄てる者と棄てられる者 —村上春樹『猫を棄てる 父親について語るとき』を読んでー

 『猫を棄てる 父親について語るとき』(以下『猫を棄てる』)でとりわけ印象的なのは、冒頭と最終盤で語られる猫のエピソードだ。いずれも村上春樹の実体験なのだが、それぞれが、本書の重要なテーマを暗示してもいる。
 ここでは特に、冒頭のエピソードが暗示しているテーマ、「棄てる者と棄てられる者」について書こうと思う。

 本書は、村上春樹の父・千秋が、当時飼っていた猫を棄てに、幼い春樹と近くの海辺に出かけるエピソードから始まる。
 このとき、父と春樹は「棄てる者」で、猫は「棄てられる者」だ。

 しかし、父の過去をたどってみると、彼もまた、あの猫と同じように「棄てられる者」であったことがわかる。
 父の幼いころ、家族から離れて寺へ預けられたとき、彼はおそらく「棄てられる者」だった。そのときの父の心情を、村上春樹はこのように推察している。

 僕にはそういう体験はない。僕はごく当たり前の家庭の一人っ子として、比較的大事に育てられた。だから親に「捨てられる」という一時的な体験がどのような心の傷を子供にもたらすものなのか、具体的に感情的に理解することはできない。ただ頭で「こういうものだろう」と想像するしかない。しかしその種の記憶はおそらく目に見えぬ傷跡となって、その深さや形状を変えながらも、死ぬまでつきまとうのではないだろうか?(『猫を棄てる』、文藝春秋、2020、p.32)

 父の従軍・戦争体験は本書の核となる内容だが、ここで父は、「棄てられる者」であると同時に「棄てる者」でもあったのではないか。つまり、日本という国との関係で言えば「棄てられる者」、処刑された中国兵との関係で言えば「棄てる者」であったと言えるのではないか。
 国から三度徴兵された父は、戦争を何とか生き延びたものの、偶然が重なれば亡くなっていてもおかしくない状況にいた。そして、父の所属していた部隊は、ある一人の中国兵を処刑した。

 命ある者を棄てるという行いもまた、棄てられることと同様に「目に見えぬ傷跡となって、その深さや形状を変えながらも、死ぬまでつきまとう」。
 父は処刑された中国兵のことを決して忘れず、おそらくはその中国兵のためにも毎朝仏壇に向かってお経を唱えていた。

 「棄てる者」と「棄てられる者」がいる。
 我々は人生において、その両者である。
 村上春樹はこの思いを父から受け継ぎ、猫に託しながら本書で語ったのだと思う。

 私の父はかつて、「犬を棄てたことがある」と私に言った。
 その犬は父が拾ってきたのだが、当時父の家には犬を飼う経済的な余裕がなく、やむなく棄てたという。「かわいい犬だった」と言っていた。父は犬が好きだったから、棄てるのは不本意なことで、辛かったのではないかと思う。

 父は犬には優しかったが、経済的に困窮している人たちには見放すような態度を取ることがあった。
 「自分が努力しないのが悪いのに、炊き出しまでしてもらって甘えている」
 「金がないとはいえ、携帯電話を持っているんだろう」
 そんなことを、テレビに向かって強い口調でよく言っていた。

 私は成長するにつれ、父の優しさと冷たさの二重性に戸惑い、恐れ、そして苛立つようになっていった。
 大学生になって一人暮らしを始めてからは、連絡を取ったり、話したりすることがめっきり減った。学生時代は学費や仕送りを親に負担してもらっていたので、話す機会を避けていることに後ろめたさを感じるときもあったが、社会人になって経済的にも独立してからは、そうした気持ちも薄れていった。

 『猫を棄てる』を読み終えた今から振り返ると、父がかつてお金に困っている人たちを見放したように、私もまた父を見放したのだと思う。
 父の冷たさを、私も確実に受け継いでいるのだ。

 誰かを冷たく見放すこと自体に、命ある者を棄てることほどの直接的な暴力性はない。誰かを見放すことで、自分の身が守られる場合もあるだろう。
 しかし、誰かを冷たく見放すことは、命ある者を棄てることの起因にもなり得る。本書の最終盤で、おそらくは軽い気持ちで松の木に上った猫が降りられなくなってしまったように、誰かを見放すことが人の死につながることもある。

 それが僕の子供時代の、猫にまつわるもうひとつの印象的な思い出だ。そしてそれはまだ幼い僕にひとつの生々しい教訓を残してくれた。「降りることは、上がることよりずっとむずかしい」ということだ。より一般化するなら、こういうことになるー結果は起因をあっさりと呑み込み、無力化していく。それはある場合には猫を殺し、ある場合には人をも殺す。(『猫を棄てる』、文藝春秋、2020、p.94)

 『猫を棄てる』を読むことで、私は自分の内にある「棄てる者」と「棄てられる者」の二重性に気付くことができた。また、自分が父から受け継いだ冷たさと、それが引き起こし得るものにも向き合うことができたと思う。
 それですべてがうまくいくという訳ではもちろんない。
 しかし、『猫を棄てる』を読んで得たものが、父とより暖かい関係を築くことの起因になるかもしれないという予感がある。
 この予感を大切にしながら、父との時間を生きていきたいと思っている。

#猫を棄てる感想文

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