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中島敦の作品年表(随時更新)

中島敦(1909年~1942年)
読んだ中島敦の作品を年表として並べていくメモ。
リンクは私の朗読に飛びます。

昭和11年【1936】

11月
『狼疾記』
タイトルの狼疾は、心が乱れて反省できないこと。
小さな損失を恐れてかえって大きな損失をしていることに気づかない状態。
現代版『山月記』のような味わいがある、自分を客観的に見て攻めぬく痛々しさがある。
一:「存在の不確かさ」に苛まれる三造。
太陽もやがて終わるなら、我々の生きることに意味はあるか、など。全てを理解したい、でも自分ごときに理解される程度の世界であってほしくない、というアンビヴァレント。
『寂しい島』の発展系不安。
二:三造の、無為な生活。自尊心を満たされたい気持ち。臆病な自尊心!
三:事務のM氏が詐欺出版に引っかかった。
四:M氏とおでん屋で飲む。
よくよく聞いてみるとM氏の思想(人生は螺旋階段)は立派なもののような気がして、
「我々の価値判断の標準を絶対だと考えるのは、我々の自惚に過ぎぬのではないか」
という所に辿り着く。
五:三造の自分を客観的に見て叱る人格が、痛烈な言葉で彼を叩きのめす。
気がつくと、酔っぱらって眠っていたらしい。
夜の街を、一人歩く。

昭和17年【1942】没年

8月
:南島譚:

『幸福』
今は海の底に沈んだという、オルワンガル島の昔話。島の悪神に神頼みをした所、自分の主人と下僕である自分の立場が夢の中で入れ替わった。
夢で裕福なものを食べる下僕はみるみる太り、
夢で虐げられる長老はみるみる痩せていく。
夢が現実なのか、現実が夢なのか…。

:環礁 -ミクロネシア巡島記抄-:

『寂しい島』
人口が減少する一方で、子供が絶えて産まれない島の記述。
人々がいなくなった後の天の星を想像したときの「何か、荒々しい悲しみに似たものが、ふっと、心の底から湧上がって来るようであった。」
の〆が最高。言葉にならない感情を、なんとか言葉に写しとる天才・敦くん。

『マリヤン』
「内地の人といくら友達になっても、一ぺん内地へ帰ったら二度と戻って来た人は無いんだものねえ」
中島敦が現地で出会ったマリヤンという女性との交流を描く。H氏の手伝いをする、島に似合わぬ博学な女性像。

昭和34年【1959年】

6月
『セトナ皇子(仮題)』
頭脳明晰なセトナ皇子はある日ふと、「世界はなぜ始まったか、無くてもよかったのに」という答えのない迷宮に迷い込み…。

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