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【講座メモ】作者登場/感情/価値判断

池袋コミュニティ・カレッジで開催中の
「西村俊彦の朗読トレーニング」

中島敦の『名人伝』をテキストに全6回でお届けするシーズン、5回目の講座メモです。

・身体の動きで感覚を掴む

「そうじゃないんです」
と発しながら言い訳をすると、身体はどんな感じになるでしょうか。多くの方が少し前に乗り出し気味になるのでは?
相手に何かを働きかけたい時の身体の動きとして使えそうです。あるいは積極的な気分を言葉に乗せたい時は、前のめり、一歩踏み込むなどの姿勢が有効そうです。

ではそこから、否定したものの自信がなくなってきて、

「でも、そうじゃないとも言い切れないなぁ」
と発してみましょう。
同じ前のめりの体勢だと、言葉と身体に違和感が生じてくるのではないでしょうか?
前のめりになっていた身体を真ん中、あるいは後ろ重心まで移動させ、なんなら腕を組んでみても良いかもしれません。
主張を自分に問い直す、自分自身に問いかける、話しかけるようなイメージは、自然と重心が後ろや下方向に入ってくる気がします。

この、前に出る/後ろに下がるという身体のあり方は、積極的/消極的な感情を体験する手がかりになります。
一歩踏み込む/一歩下がるといった身体の変化で朗読を彩ってみましょう。

他にも「妙だなぁ」と首を傾げて言ってみる、「なんということだ」と後ろに下がりながら言ってみるなど、作品中に応用出来そうな身体の動きを発掘しました。
身体の動きと心の矛盾に敏感になっていくと、より臨場感のある読みが可能になると思います。
たとえば
「そうです!その通りです!」
と、首を傾げながら言ってみると、とても気持ち悪い気がします。では、その文章に一番フィットする声や姿勢はどのようなものか…
こう考えていくと、単調な読みからの脱却に繋がるのではないでしょうか。
声の出し方・身体の状態のTPOを考える
事が重要になってきます。

・作者の登場を楽しむ

『名人伝』の地の文には、時折作者がひょっこり顔を出します。
後半、老名人に大活躍をさせたいのは山々ながら!
実際にあったことを改変するわけにもゆかぬ!
なんて地の文が登場し、敦くんのお茶目さが垣間見えます。
この情熱と苦悩、前に乗り出す→後ろに下がるという動きとフィットしそうな気がします。

「もちろん、寓話作者としてはここで老名人に掉尾の大活躍をさせて、名人の真に名人たるゆえんを明らかにしたいのは山々ながら、/一方、また、何としても古書に記された事実を曲げる訳には行かぬ。」

どうでしょう。中島敦の情熱と苦悩に寄り添っていく、というのが、一つの面白い読み方のような気がします。

作者本人が突然登場するケースは他の作家、他の作品でもちょいちょい見かけます。
そんな時は語りの雰囲気を少し変えてみるとニュアンスが伝わりやすいでしょう。
「この作家はこんな喋り方しそうだよな」と妄想を膨らませ、モノマネし演じてみるのも一つのアプローチです。
中島敦なら「真面目そう」など、簡単なイメージで構いません。


・感情表現

『名人伝』の後半には「恐怖に近い狼狽」を示しながら言った、という台詞部分があります。
私はこういう場合、実際に「恐怖に近い狼狽」に聞こえるように演じて読むのが好きです。
過度の演技は必要ない、という派の方もいらっしゃいますが、私は演技することが好きなので、やっちゃいます。その方が私が楽しいからです。私が楽しい方が、きっと聴く人も楽しいのではないかと思うのです。
自分の「好きなこと/モノ」について話すときの人間は、とても輝いて見えます。あの輝きが、朗読全体に流れていたら素敵だなと思うのです。

さてさて「恐怖に近い狼狽」とはどんな感じでしょう。弓の名人が弓の名前も使い道も忘れてしまった、という状態を目にした人が示す感情です。
大谷選手が「野球って何ですか?」と突如言い出すような物かと思います。
そんな光景を目にしたら、出てくる言葉や感情はどんなものでしょうか?
「そんな馬鹿な…」でしょうか?
「そんなバァカァなぁぁぁぁ!!?」でしょうか?
こういった短いフレーズで簡潔に体験してみると分かりやすいです。
後はその気持ち・感覚を、該当の地の文に流し込んでみましょう。


・オチのつけ方と地の文への感情

さて、『名人伝』のラストは、弓の名人が弓を忘れた事から、都中の名人は自分の商売道具を手にすることを恥じるようになった、と結ばれます。
最後の一文を読むときは、少なからず「終わりです」感、オチ感が漂うと良いかと思います。
もちろん作品によっては唐突に終わる方が味が出るものもありますが。
ではオチ感はどう出していきましょう。
落語家さんがサゲ(オチ)を言って頭を下げるときなどは参考にしやすい気がします。終わりだぞ、という空気感が漂っていますね。
技術的な話をすれば、文末に行くに従って緩やかにスピードを落としていくと効果的な気がします。
今まで走ってきた車がゆっくりとスピードを落とし、やがて停止する、ような感覚も良いかもしれません。

さてさて、この文末の内容。
名人は皆、自分の商売道具を手に取らなくなった、
という現象ですが、皆さんはどう感じますか?
私は「良い話だなぁ」と受け取っていたのですが、
中には「そんなことある?」「何もそこまでしなくても」と感じる方もいるようです。
そういう気持ちは、是非言葉に乗せていくと良いと思います(文章の主題と矛盾しない範囲で)
そういう気持ちで文章を読んでみると、違った響きが生まれます。
・感動して
・皮肉に
など、簡単な言葉や形容詞を与えてみると雰囲気を変えやすいです。
地の文はあくまで、物事の「状態」を描写している事が多いです。私は朗読では、語り手あるいは作者が、
その「状態」を「どう感じているのか」を感じたく思います。
良いことなのか悪いことなのか、それによって読み方は変わってくるように、地の文の様々な状態に読み手の価値判断が加わることによって、朗読はより、
「あなたの朗読」になっていくのだと思います。

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