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翳りゆく部屋

これは荒井さん(以下すべて仮名)という50代の男性から聞いた、彼の若い頃の体験談です。

今から30年ほど前の春に、荒井さんはそれまで住んでいた1Kのマンションから、2DKの部屋へと引っ越したのだそうです。
引越し先は通称寺町と呼ばれている、閑静な町の一角にある新築のマンションでした。

荒井さんの部屋は四階でしたが、寺町という呼び名のとおり、窓からの景色は、高いビルが少なく、寺院の黒い屋根瓦があちこちに見える、昼間でも静かで落ち着いた雰囲気の一室です。
南向きに大きな掃き出し窓があり、せまいながらもベランダもついていています。
日当たりもとても良く、明るい雰囲気の快適に過ごせそうな部屋でした。

引っ越しは、学生時代のSFサークルの友人5人が朝早くから手伝ってくれて、昼過ぎにはあらかた荷物の搬入を終えることができました。
そこまで済ませると、細かな片付けはさておきとばかりに、まだ日も高いうちから、引っ越し祝いの酒盛りがはじまったのだそうです。

コンビニで買ってきた酒や弁当を広げてワイワイとやっている中、山崎という友人だけが、ポケットから何かを取り出して見つめたリ、部屋の中を見回したりして、ひとり難しい顔をしています。

この山崎君、同じSFサークルに所属してはいましたが、どちらかというとSFよりもオカルト好きとして知られていて、サークルの中ではちょっと浮いた存在でした。
また、荒井さんとはそれほど親しい間柄でもなく、なぜ彼が引越の手伝いに来てくれたのか疑問に思うほどでした。

そんな山崎君の不審な行動を見て心配になった荒井さんは、小声で「この部屋、何か問題があるのか?」と尋ねてみました。
すると山崎君は
「いや、俺は別に霊感があるわけじゃないからお化けとか幽霊とかはまったく分からないんだけど、いま念のために方位を確認したら、玄関が鬼門にちょっとかかっててね、こっちのベランダの方が裏鬼門になるんだ」
そう言って、持っていた小さな方位磁石をちらりと荒井さんに見せました。

「だけどまあ、玄関まわりをきれいにして、このベランダ側の窓はできるだけ開けないようにして暮らせば、風水的には特に問題ないと思うよ」と言うのでした。
荒井さんはその言葉を聞いて一安心して、その日は遅くまで宴会を続けたのでした。

それから数ヶ月間、新しい部屋はこれといった問題もなく、荒井さんは快適な毎日を過ごしていました。
季節も夏になった、とある日曜日、引っ越しのときに手伝ってくれた友人たちのうち、山崎君を除く4人が、久しぶりに荒井さんの部屋に遊びに来ることになりました。

どやどやと部屋に上がり込んできた彼らでしたが、入ってくるなりなかの一人が
「なんかこの部屋、前に来た時よりも暗くないか?」と言い出しました。
「そう言われてみると…」とあとの3人も、部屋の中を見回しながら口々に言っています。

荒井さんは毎日暮らしているので気づきませんでしたが、改めて指摘されてみると、確かに入居したばかりの時よりも、うす暗く翳っているように思えました。
しかし、引っ越してきたときは春先で、今は夏、太陽の位置や日差しの強さも異なるので、きっとそのせいで暗く思えるのだろうと、その時はたいして気にも止めずに、飲み会を始めたのでした。

しかし、秋の声を聞く頃には、部屋の中は昼間でも照明をつけなければならないほど、暗く翳っていました。
荒井さんも、さすがにおかしいと思い始めていましたが、原因は何か、どう対処すればいいのか、まったくわからないまま日々を過ごしていました。

そんなある日、会社の飲み会で、終電をのがしてしまった後輩社員を荒井さんの部屋に泊めることになりました。
その後輩、中島君は肩を貸さなければ歩けないほどに酔っていたのですが、荒井さんの部屋に入るなり、急に直立不動の姿勢になり、ベランダ側の窓の方を向いたまま固まってしまいました。

ベランダ側の窓は、向かいに高い建物がなく、覗かれる心配がないため、夜でもカーテンは引かないのが荒井さんの癖になっていました。
そのときも、窓の向こうには暗い夜空が広がり、ガラスには天井の照明の明かりが反射している、いつもと変わりない光景が見えているだけでした。

しかし、中島君はその窓を凝視したまま、青ざめた顔をして突っ立っているのです。
やがて、「…俺…やっぱり帰ります」
彼はそう絞り出すような声で言ったかと思うと、逃げるように荒井さんの部屋を出ていってしまいました。

翌日の昼休み、荒井さんは中島君をつかまえて、「昨日はどうしたんだ?」と問いただしたそうです。
中島君はしばらく、言いにくそうにしていましたが、やがて思い切ったように話し始めました。

「実は俺、霊感が少しあって、幽霊とかもたままに見えたりするんです…」
「へぇ、そうなの?」荒井さんは彼の意外な告白にどう反応していいのかわからず、そう言葉を返しました。

「それで、昨日の夜、先輩の部屋に入ったとたん、正面のガラス窓の向こうに俺、見ちゃったんです。…
…あ~酔ってたからかなぁ。もっと早く気づくべきだったなぁ…」
「で、なに?何を見たの?!」
荒井さんが思わず語気強く言うと、中島君は声をひそめて
「あの窓の向こう、幽霊だかお化けだかなんだかわからないものがいっぱいへばりついて、中を覗いていたんです。
押し合いへしあい群れをなして…、あんな数の得体のしれない奴を見たのは初めてですよ。
それで俺びっくりして、酔いなんか一瞬で吹っ飛んじゃって、逃げて帰っちゃったんです。すいませんでした」

「…しかし、先輩、よくあんな部屋で暮らしてますね。
今ままで何か変わったことや、体調の変化とかは無かったんですか?」
そう聞かれて荒井さんが、引っ越し当初よりも部屋が暗くなっていると言うと、
「そりゃあ、窓の外にあれだけの黒山の人だかり、じゃない霊だかりができてれば、昼間でも部屋が暗くなってあたりまえですよ」と、中島君はあきれたように言うのでした。

荒井さんが、引っ越し当初、友人が口にしたアドバイスを守って、玄関まわりはきれいにして、洗濯物はコインランドリーですませて、ベランダ側の窓は一度も開けていないと言うと、中島君は
「そのお友達の言葉、半分間違ってますよ」と言いました。

「玄関まわりをきれいにするのは確かに良いことですが、窓を一切開けないというのは…。
ほら、換気っていうじゃないですか。
たまには窓を開けてく風を通して、気を入れ替えないとどんどん悪いものが溜まっていきますよ。

今、あの窓をこれまで一度も開けたことがないと聞いて、なんであんなに霊が溜まっていたのか、腑に落ちたような気がします。
俺、きのう家に帰ってから考えたんですが、先輩の家のあたりってお寺が多いじゃないですか。
多分、霊の通り道もほかの土地と比べて多いんじゃないんでしょうか。

霊というのは壁とかは平気で通り抜けちゃうくせに、なぜか窓ガラスは覗くだけで通り抜けることが出来ないというか、難しいみたいなんですよね。
今度、お天気のいい日に、窓と玄関を開け放して、風を通して換気してみてはどうですか?…」

荒井さんは、大量の霊が窓にへばりついていると聞いて、すぐにでも中島くんのアドバイスにしたがいたい気持ちでしたが、仕事から帰宅した夜に窓を開けることは、さすがに怖くてできませんでした。

怖さと不安の入り混じった気持ちで数日待って、秋晴れの休日の日に、荒井さんは半日ほど玄関と窓を開け放してみました。
引っ越し以来、初めて明けた窓の外は、寺々の甍を輝かせながら心地よい秋の風が吹き渡り、荒井さんの心も爽やかな気持ちに満たされていったそうです。
そして一夜明けた次の日の朝には、部屋の中は見違えるように明るくなっていました。

「しかし、あの引っ越しのときの、今は音信不通になってしまった山崎のアドバイスが、善意で言ってくれて結果的に間違っただけものなのか、それとも悪意のある故意だったのか、その点が今も気になってるんだよね」
そう言って荒井さんはこの話を終えたのでした。

初出:You Tubeチャンネル 星野しづく「不思議の館」
恐怖体験受付け窓口 百十一日目
2024.4.27

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