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スナックよみぢ

10年ほど前、とあるバーのカウンター席で、隣で飲んでいた中年の男性がこんな話をしていました。

その男性(仮にYさんとしておきます)は機械修理の仕事をしているらしいのですが、ある日、県北の町に出張にいったときのことだそうです。

当初は日帰りの予定でしたが、近くの事業所からも修理以来があったので、ついでにそちら寄ってほしいという連絡が会社からあり、その日は急遽一泊することになりました。

途中で軽く食事を済ませ、Yさんが小さなビジネスホテルに着いたのは午後8時頃。
フロントでは、ちょうど一人の男性客が出かけようとしているているところでした。
ベージュのコートを着た、白髪まじりの痩せた初老の男性でしたが、どこか疲れたようすで、黒いバッグを大事そうに抱えていたのが印象的だったといいます。

Yさんは男性と入れ違いにチェックインしましたが、寝るにはまだ時間も早かったので、あまり来ることのない町ということもあって、散歩がてら飲みに出かけることにしたのだそうです。

とりあえず、ホテル近くのさびれかけた商店街の中にある居酒屋に入りましたが、田舎町の飲食店の閉店時間は早く、ビール一杯を飲んだだけで、追い立てられるように店を出たのでした。

まだ飲み足りなかったYさんは、どこか開いている店はないかと、シャッターばかりが並ぶ薄暗い商店街を見渡しました。
人通りもまばらな商店街でしたが、ふと気がつくと少し先に見覚えのある姿がありました。
痩せた体にベージュのコート、少し猫背で歩く姿はホテルのフロントですれ違ったあの男性です。

彼は先ほどと同じように黒いバッグを大事そうに抱えて、とぼとぼとした足取りで歩いていましたが、さほど長くもない商店街のはずれ近くでその歩みをとめました。

そこには一軒のスナックの看板がぼんやりと灯っています。
【スナックよみぢ】
看板には紫色の背景に白抜きの仮名文字で、そう書かれているように見えました。
男性はしばらく躊躇しているようでしたが、やがて何か決心したように顔を上げて、店内へと入って行きました。

Yさんも少し遅れてその店の前までやって来ました。
いかにも昭和の場末のスナックという感じの店構えで、枯れて枝だけになった低い植栽が数本、黒いい塊となって入口の左右に影を落としており、暗いガラスのドアの内側からは、カラオケの音も聞こえずひっそりと静まりかえっています。

Yさんは店に入ろうかどうしようかと、しばらく迷いましたが、なんとなく嫌な雰囲気を感じて、結局は店には入らずにホテルへと戻ったのだそうです。

翌朝、チェックアウトしようとフロントに降りていくと、警官の姿があり、何やら騒がしいようすです。
不審な面持ちでフロントのカウンターに近づいたYさんに、それまでホテルの従業員と話していた男性が寄ってきました。

鋭い目つきをしたその男性は、Yさんに一枚の写真を見せて「この男を昨夜町で見なかったか」と尋ねてきました。
それは、あのベージュのコートの男性の写真でした。

「きのう、このホテルに宿泊して、あなたと前後して外出したらしいんですが、何かご存知ありませんか?」と言う刑事らしき男性の口調は、丁寧ですが有無を言わせないような雰囲気が漂っていました。

その威圧的な雰囲気に気圧されて
「ああ、この人なら…」と口にしてしまったYさんでしたが、すぐに後悔したそうです。

「ご存知なんですね。すみませんが詳しいお話を聞かせていただけますか?お手間はとらせませんから…」と言いながら、刑事はYさんをロビーの椅子に座らせて、あれこれと質問を始めたのでした。

Yさんはしかたなく、昨夜見たことを素直に話しました。
刑事はそれを手帳に書き留めると、フロントに戻って制服警官やホテルの従業員となにやら話したあと、再び戻って来ると
「そのスナックに入るところを確かに見たんですね?」と念を押すように尋ねました。

Yさんがそうだと答えると、刑事は
「おかしいですねぇ」と少し嘲(あざけ)るような調子で言い、
「商店街の外れにあるスナックだろ?
今、確認したら、そこは看板は残っているけど、もうだいぶ前に店を閉めて営業してないし、入口のドアも封鎖されてるそうなんだが…」とYさんの顔を見つめてきます。

「そんな…確かに店の看板に明かりがついてたんですよ。【スナックよみぢ】ってたしかに見たんですから」とYさんは必死で弁明しましたが、刑事はすかさず
「そこだよ。あのスナックの名前は〈よみぢ〉じゃない。〈よみち〉っていうんだ。あんた本当にスナックに入って行くところを見たのかね?署でもう一度ちゃんとした説明をしてくれるかな?」と言うのでした。

結局Yさんは警察署で事情聴取されて、その日の夕方になってようやく解放されたそうです。
事件の概要について、詳しいことは話してもらえませんでしたが、刑事の言葉から察するに、あのベージュのコートの男性は、職場の金を持ち逃げしたものの、なぜかこの町まで来て、ビルの非常階段の手すりにロープをかけて首を吊ったようでした。
その上、持っていたはずの現金が行方不明だということから、男性の最後の目撃者であるYさんが、事件になにか関与しているのではないかと疑われたのでした。

「おかげで会社や同僚たちからは変な目でみられるし、しばらくはほんとに大変だったんだから…。
それでさぁ、警察から解放された次の日、こっちに帰ってくるときに俺、確認しに行ったのよ。
そしたら刑事が言うように、店はボロボロで、看板も割れたりしててさあ、店の名前は〈よみち〉だった。

でもマスター、俺はほんとに見たんだよ〈スナックよみぢ〉っていう看板。
ちゃんと「ち」に濁点がついてたし、店のドアを開けて中に入ってく男の姿をさぁ、たしかに見たんだよ.
…しかし、あのまま店に入ってたら、俺もあの世へ行ってたのかなぁ…」
そう半ば泣くように言いながら、酔いのまわったYさんは店のカウンターにつっぷしてしまったのでした。

初出:You Tubeチャンネル 星野しづく「不思議の館」
恐怖体験受付け窓口 百十四日目
2024.5.25

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