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お守り

これは私が小学校1年生の時のごく短い些細なエピソードです。

その日私は、同級生のMくんといっしょに自転車遊びをしていました。
ふたりとも自転車に乗れるようになって、まだまもない頃のことでしたが、この時期は乗れば乗るほど運転技術が上達していく頃でもありました。

遊んでいるうちに自然と二人乗りができるようになり、ふたりとも嬉しさで夢中になって、ひとつの自転車をとりあうようにして漕ぎ回っていました。

そうやって遊んでいた、何度目かの二人乗りのときのことです。
Mくんの運転で、私は荷台に座って、脇道から広い表通りへ出ようと左にカーブを切りました。
しかし、バランスを崩してしまい、自転車は左側に派手に横倒しになってしまったのです。

運転していたMくんは、とっさに足をついて何事もありませんでしたが、私は飛び降りようとして荷台に足がひっかかってしまい、そのまま転んで路面で左の側頭部を切ってしまいました。

傷の痛さよりも流れ出した血に驚いた私は、傷口を手で押さえながら、走って片側二車線の大通りを横切り、自宅へと駆け戻ったのでした。
まだ車の台数が少なかったころとはいえ、よくはねられなかったなと今でも思います。

当時私の家は、両親は共働きで、父方の祖母が私の面倒をみてくれていました。
血を流しながら突然駆け込んできた私の姿に、祖母は驚きながらも、すぐに近所の市民病院に連れて行ってくれて、事なきを得たのでした。

そんなよくある事故とも呼べないような出来事でしたが、少しだけ不思議なことがありました。
そのころ私は、成田山の身代わり不動の木札のお守りを常に持たされていました。

母が毛糸で小さな袋を編んでくれて、その中に分厚めの和紙につつんだ木札を入れていたのです。
転んだ当日も、私はズボンの右のポケットにそのお守りを入れていたのですが、病院から帰ってふと気がつくと、木札は縦に真っ二つに割れていました。

転んだのは左側ですから、物理的には木札にそれほどの力がかかったとは思えないのですが…
私は酉年生まれで、守り本尊は不動明王ということなので、やはりこれもなにかのご縁なんでしょうか。

しかし、こんな些細な思い出の中、実は私が最も強烈に覚えているのは、血だらけの私姿を見て、拭き掃除をしていた祖母が、大慌てで傷口を押さえてくれたボロ雑巾の薄汚れたネズミ色だったりするという、そんな昔のお話でした。

初出:You Tubeチャンネル 星野しづく「不思議の館」
テーマ回「事件・事故に纏わる不思議怖い話」
2024.5.18

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