待合室にて
これは人怖なのか、私の妄想なのか、もしかしたらとても良い光景ではなかったのかと、今でも判然としないお話です。
6年ほど前から約3年間、私は月1回のペースで大学病院に通院していました。
長い待ち時間というのはどこの大病院でも同じだと思いますが、私の場合も毎回朝一番に行って採血と採尿を終えると、あとは検査の結果がでて診察の順番がくるまで3時間ほど、ひたすら待っているというのがルーティンのようになっていました。
そんなある日の待合室で、ちょっと目を引く老夫婦がいました。
ご主人は70代半ばくらいの白髪でがっしりとした体格。
杖は突いていましたが、まだかくしゃくとした感じです。
奥さんの方は対照的に小柄で痩せぎすの、60代後半かなという穏やかな感じの人でした。
老夫婦はその日が初診らしく、受付で説明を受けたり問診票を書いたりしていたのですが、目立っていたのはご主人の態度でした。
一言で言えばパワハラ、モラハラの典型のような人で、怒鳴りこそしませんが、大きな声で事務員さんや若い看護師さんに「採血が下手だった」だの、「採血室からここまでの道順がわかりにくい」だのと、いろいろと文句を言っていました。
問診票を書いてもらっていた奥さんに対しても、書き方がどうのこうのと細かく指図しており、待合室のベンチに座ってからも偉そうに何か小言を言っています。
奥さんはいつものことなのか言い返したりもせず、何か小声で言いながら、なだめるようにご主人の背中を何度もさすっていたのが印象的でした。
この日以降、待合室でこの老夫婦をたびたび見かけるようになり、いつ見ても二人の態度は変わらないままでした。
ある冬の日、診察を待っている私の前の席に、くだんの老夫婦が腰をおろしました。
ご主人の方は小声ではありましたが、相変わらず何か小言を言っており、奥さんは優しくその背中をさすっています。
私はその姿を、二人の背後からぼんやりと眺めていましたが、ふと、撫でさすっている奥さんの手が、なにか小さな紙片を隠すように持っていることに気が付きました。
何だろう?人型を書いた依代(よりしろ)で患部をさすって、病気平癒を願うというやつかな、などと思いながら見ていました。
くり返し撫でさする手の動き。
そのリズミカルな動作が大きく乱れた瞬間がありました。
ご主人が着ていたセーターの網目に、紙の端が引っかかったためなのか、背中の中央に紙片を残して、奥さんの手だけがすっと撫で下ろされたのです。
一瞬見えたその紙片は、人型の依代や、一般的な守り札などではなく、本格的な「霊符」と呼ぶべきものでした。
普通に考えれば護符なのでしょう。
しかし、私は瞬間的に「呪符」を連想してしまいいました。
奥さんはすぐに手の内に隠し直し、再び優しく撫で始めました。
そのあとしばらくして、私は大学病院への通院から開放され、この老夫婦のその後についてはわかりません。
ただ最後に見かけたときには、ご主人は車椅子の人となっていました。
最初に見たときよりも一回り小さくなった体で、うなだれるように座るご主人の車椅子を、微笑みをうかべつつ、看護師さんたちに挨拶しながら押していく奥さんの姿を今でも思い出します。
ご主人の様子の変化は単なる病状の悪化なのか、あるいは・・・。
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