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深夜の交通誘導

この話は数年前、我が家の前の道路工事現場で交通誘導をしていた警備員のおじさんから聞いた彼の体験談です。

そのおじさん(仮にAさんとしておきます)が30代だった、ある年の夏のことです。
彼は、とある道路工事現場の交通誘導にあたることになりました。

指示された現場は片側が崖、片側が山の二車線の道路でした。
片側交互通行の誘導ですが、道が崖側に大きくカーブしている箇所で、見通しが悪いために、Aさんのほかに若いBくんと年配でベテランのCさんの、3人体制で誘導にあたることになったのだそうです。

工事現場からそれぞれ100メートルほど離れた道の両端にAさんとBくんが立ち、現場の脇にCさんが立って、お互いに無線でやりとりしながらの交互通行の誘導です。
勤務時間は夜の10時から翌朝の6時までということでした。

現場に到着し、規制区域に反射テープのついた三角コーンを並べ終えると、Aさんは所定の位置につきました。
工事現場の照明と、傍らの片側交互通行を知らせる看板を照らすライトのほかは、遠くに街灯の明かりがポツポツと見えるだけの暗い山道…。
その真ん中で、誘導灯とトランシーバーを持って、Aさんはひとり、翌朝までの長い夜が早く終ることを願いながら立っていました。

誘導開始から2時間ほどは、それなりに交通量はありましたが、午前0時を過ぎると、通る車はまばらになり、やがて一台も車が通過しない時間が増えてきます。

Aさんが、早くも鳴きはじめている秋の虫の音を聞きながら、ライトに寄ってくる羽虫の姿をぼんやりと眺めていると、トランシーバーがいきなり鳴りだしました。

「バイク接近!進行します!」
Bくんからの無線です。
「スーパーカブ、一台通過します」
「了解」とAさん。

〈スーパーカブ?ツーリングの大型バイクならこの時間帯でも時々みるけど、カブは珍しいな〉
などと思いながらAさんは、やってくるバイクを待っていましたが、いっこうに来る気配がありません。

BくんからAさんまでの距離は200メートルほど。
ものの1分もしないうちに、カブのライトが見えて、エンジン音が聞こえてきてもよさそうなものですが、工事現場の方からやって来るものはありませんでした。

「スーパーカブ、確認できません」そうAさんが言うと
「えー?確かに中年のおじさんの乗ったカブが通過したんだけどなぁ。Cさん、そちらで通行は確認できましたか?」とBくんの声。

するとCさんは
「悪い。ちょうど現場の方を向いてたんで、通行は確認できてない。今、Bくん側の道を確認してみたが、事故ってる様子もないし、脇道にでも入ったんじゃないのか?」と言っています。
「脇道…ですか…」とBくんは納得いかない様子でしたが、この件はとりあえずはそれで収まりました。

それからしばらくして、深夜2時半を過ぎた頃のことです。
相変わらず虫の音を聞きつつ飛び交う灯蛾(ひが)をぼんやりと眺めていたAさんでしたが、その視界にいきなり一台の自転車がぬっと姿を現しました。

工事看板の明かりの外から急に現れたその自転車は、無灯火で、野良着姿の老人が乗っていました。
「おじいさん、ライトつけないと危ないですよ」
思わずそう呼びかけたAさんの言葉など、まるで聞こえない風に老人は真っ直ぐ前を向いて、昔ながらの大きな荷台のついた、黒い商用自転車をゆっくりと漕いで通過して行きます。

「自転車一台、進行します!無灯火!」とAさんが無線連絡すると、
「自転車?」「無灯火?」とBくんとCさんの驚く声が返ってきます。
やがてCさんからは「自転車確認」という連絡がきましたが、Bくんからは
「自転車通過、確認できません!」という焦ったような声が聞こえてきました。

その声に「ちょっと待ってて」とCさんは返して、しばらくすると
「Aさん、Bくん、ちょっと来てれんか」との連絡してきたのです。

急いでCさんの元に駆けつけてみると、彼は工事現場から少しBくんの持ち場側に寄った、山側の車線に立っていました。
「どうしたんですか?」と二人が駆け寄ると
「Aさんが言うた自転車のじいさん、たしかに俺の眼の前を通って
行ったんじゃけど、このへんでふっと消えてしもうたんよ」とCさんは言うのでした。

「それでちょっと見てみたら…ホレ」とCさんは山の茂みの一角を、持っていた懐中電灯で照らしました。
そこには一見しただけではわからないような、古ぼけた小さな石碑と、山頂へ続くけもの道のような古い石段がありました。

「はぁ?見たとこ誰も通ってないみたいじゃけど、カブやチャリがここを登った言うんですか?」
若いBくんが不服そうに頓狂な声をあげます。
「いやいや、そうは言わんけど…」とCさんは言いにくそうにしています。

そうやって三人が話していると、突然闇の中から一組の親子が姿を現しました。
その親子は、見たところ現代よりも少し前といった感じの服装で、Aさんたちの目の前をゆっくりと歩いて行くのでした。
4、5歳くらいの女の子を真ん中に、両親らしき若い男女が何か喋りながら、楽しそうにAさんたちの前を通り過ぎて、石段を登って行きます。
しかし、その話し声はまったく聞こえません。
そして、その姿は足元にいくほどしだいに透けていたのでした。

Aさんたち三人は呆然と立ち尽くして、親子の姿を見送るばかりでした。
やがて親子の姿は闇の中に溶けるように消えていきました。
Aさんは、ふしぎと怖いという思いはしなかったそうです。

「…ま、そういうことじゃから…」
しばらくしてCさんが口を開ました。
「お盆も過ぎたことじゃけぇ、ああやってみんな帰って行くんかもしれんなあ」としみじみした口調で言います。

「まあ、夜中に警備しとりゃぁいろいろあるわね。
さぁ、AさんもBくんも持ち場にもどって。
あと少しじゃけぇ頑張ろうや。
ああ、通行する車も人も、この世のもんかあの世のもんか、くれぐれも確認してな」
そう明るく言うCさんの声に促されて、二人は持ち場に戻りましたが、そのあとは特に変わったことはなかったそうです。

その後、Aさんが聞いたところによると、現場の山の上には昔お寺があったのだそうですが、かなり前に廃寺となり、今では建物も取り壊されて、参道の石段だけが、荒れるがままに残されているのだという、そんなお話でした。

初出:You Tubeチャンネル 星野しづく「不思議の館」
恐怖体験受付け窓口 百十三日目
2024.5.11

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