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ボーダーライン上における戦いの鉄則とは?慎重さを失ったフェニックス醍醐大の大誤算

TOP画は、裏インタビューにて多井がドラの2Mを東城へ振り込んだのは「私が好きだったからなんですね」と東城。「じゃあ、そういうことで」と多井。ツッチー苦笑いの図。

さていよいよレギュラーシーズンも最終盤に来ており、ボーダーライン6位を挟んでの大混戦の様相を呈してきた。

残り試合数から考えて、セミファイナルでボーダーライン4位を睨んでの戦いとほぼ同じようなフェーズに入ってきたと見ていい。決して優勝が必要な戦いではなく、あくまでどうボーダーを超えることができるかが最大のカギとなる

ボーダーラインを越えて醍醐は「まだまだこれから5位のアベマズを飲み込むつもりで先を見据えて戦う」と試合前に言っていたそうだ。、戦いがどのフェーズであっても1点でも多くポイントを上積みしたい気持ちはわかるし、この姿勢そのものは間違っていない。

しかし一見この非の打ちどころのない考えの中に、実は思わぬ陥穽が待ち受けているのだ。それはレギュラー1位で通過したパイレーツの瑞原も醍醐と全く同じような発言をし、セミファイナルではラスを連発し最終的にボーダーラインさえ届かず敗退という苦い歴史がパイレーツにはある。

打ち方もレギュラーシーズンと全く同じで良いと、セミファイナルに直前にも公言したのが瑞原だった。

詳しくは下記のnoteをご覧いただきたい。


常に一試合を全力集中でポイントを如何に最大化するかではなく、パイレーツもセミファイナル全体を視野に入れ、ボーダーラインを意識しつつもラス回避を常に心がけた打ち方(手が入ればTOPを狙うくらいのスタンス)をしていれば十分にボーダーラインを超える目的を果たすこともできたはずだ。

しかしなぜか更なる上積みを見て本来の目的であるまずは4位以内に入ることを見失い、果敢に攻め過ぎた故に足元を救われたのがパイレーツの瑞原だった。記憶がおぼろげだが三連続ラスを引いたはずだ。

結論から言えば言うまでもなくボーダーラインよりも上か下かによって打ち方を微妙に変えてゆくべきである

例えば、ボーダーが霞んでよく見えないフェニックスが最下位争いをしていたオーラス南四局、3着目でもあり、チャンスがわずかに顔を覗かせた時、当然攻めるかと思いきや降りる選択をし醍醐は炎上した。それについて醍醐は鎮火noteも書いた。

当noteとしてはチームが最下位であった以上、跳満がわずかでも見える手であり逆転のチャンスがあったが故に攻めるべきだったと結論している。ただしおそらく醍醐が攻めても結果自体は変わりなかったとは思う。

真の問題はその状況判断力の是非にこそある

一方先日の月曜日はボーダーラインを超えたところで一転、なぜか醍醐は無謀な攻めに転じて、大した手が入っていないにもかかわらず、ほぼ全ツッパで振り込みを繰り返し最終的にラスを引いた。

単純な話、ボーダーラインすら霞んで見えず最下位であり、3着目やラスなら思い切って攻めなければそもそもノーチャンスであるように、逆に言えばボーダーを超えているならば、やや慎重になってでもラス回避だけは大事にすべきであることがボーダーライン上における戦いの鉄則であると言える。

これは結果論ではない。

なぜならボーダーラインを超えている敵からすれば、最下位のフェニックスが3着目やラスであるにもかかわらず臆病になってくれる程、安心することはないし、ボーダーラインを超えたチーム’(フェニックス)が攻撃的になりリワードに見合わないリスクを取り過ぎたが故にラスを引いて勝手にずり落ちてきてしまうことほど組みやすいことはないからである。

如何に相手の嫌がることができるのか?

戦いのセオリーはそこに行きつく。

ボーダーより上の場合、粘り強くラス回避に比重を置きながら、誰が打ってもTOPが取れるような試合を待つくらいの姿勢が必要になってくる。下手に上に抜け出そうと勝負に焦ってリスクを取り過ぎると転落が待ち受けている。リスクを取るべきはチームがリーグ最下位であり、かつ、その試合で三着目、ラスであり、チャンスがわずかでも見えた時なのだ

月曜日の戦いでも,TOPが手に入ればもちろん越したことはないが、ラスだけは引かないような慎重なうち回しさえしていれば、醍醐の技術があれば十分にラス回避は可能であったのではないだろうか。

なすすべもなく、ラスを引かされる試合が麻雀にはある。ひたすら他家にでかい手を自模られまくったり、絶好の手が入ったために回避不能の半ツキ放銃であれば簡単には箱下になる。しかしあの試合は明らかにそうではなく醍醐がラス回避しようと思えばいくらでも可能だった。

では技術に問題がないとすれば醍醐の何が問題だったのか?

それは技術ではなくシーズン全体も含めた戦いを俯瞰する戦略的な判断力に問題があると言わざる得ない。

繰り返すがレギュラーシーズンの目的は6位以内に入ることであり、月曜日の一戦を是が非でも勝利することではなかった。にもかかわらず、目先のポイントに醍醐はこだわり過ぎ、小さい手の聴牌に対して過剰なリスクを取り過ぎてラスを引いたのだ

判断が完全に逆だと言わざる得ない。

攻撃すべきシーンで降りてしまい、降りるべきシーンで突っ張っている。

率直に言って醍醐の麻雀を見ていての個人的な感想は

遅い(ツモ)、弱い(判断力)、つまらない」ということになる。

ちなみになぜ、つまらないのか?

運が良ければ勝つし、運がなければ負けるといった当たり前の印象しか残さない麻雀だからだ。

魚谷は最下位時の醍醐オーラスの場面でドラは切れない点について擁護した。醍醐のnoteにもたしかに一理あるだろう。しかし最下位3着目というチーム状況を客観的に見た時、総合判断としてはやはり降りるべきでなく、攻めるべきであったと当noteでは結論している。もし東城だったなら押していた可能性は十分にある。月曜日もドラ西が一枚も切れていない三段目に入って、東城はなんと西ドラ切りリーチを決行した

ツッチーにリーチした瞬間「かっこいい」と言わしめたシーンだ。

すでに三段目でションパイのドラ切りリーチに逡巡する東城

たしかに上がることはできなかった。しかし意外性がありこれが東城の個性であり、この攻撃麻雀は単純に面白いと思ってしまった。

こういう東城のような選手こそが最終版のギリギリの戦いで「攻め」が絶対に必要なゲームでは大事になるのかもしれない。

ドラ西を切ってリーチする東城、面白麻雀

最後に。

前鳳凰位として決勝でも素晴らしい安定した戦いを見せたHIRO柴田がいる。

あの雀士はガチで強い。ギリギリまで押しながらも、これ以上無理だと思う地点の引き際は実に見事であり、他家の進行速度や点数状況から瞬時に鳴きか面前かの的確な判断を下す絶妙のバランス感覚、手が入った時の烈火の如く攻める一方で、降りると決めたときの防御力、配牌時における上がりまでの目測力など・・・醍醐に比べると明らかに力が一枚上だという気がしてならない。

というのもMリーグでの醍醐の戦い方全般を見ている限り、軸がブレブレでフォームがどうにも定まっていないぎこちない印象を受けるのに対して、HRO柴田の打ち方には一貫したブレない強固な芯のようなものを感じるからでもある。

見ていて実力がはっきり伝わってくる雀士こそHIRO柴田だ

先日も中田と同卓していたがA1のHIRO柴田他メンバーと戦ってどうだったか?やはりというべきか実力差通り、中田は箱下にへこまされていた。

当noteでは勝又・寿人を推しているが、HIRO柴田は彼らと戦っても十二分に伍すだけの力を持っているとは結論できる。なにしろあの勝又が柴田のスキのない戦い方や安定感に思わず、ため息をもらすくらいなのだ。

白鳥などはおそらくその強さを最もMリーガーでもよく理解している一人かもしれない。とにかくHIRO柴田は強いと個人的には思っている。

最後のまとめに入ると、真に慎重であるとはどういうことなのか?そして勇敢さと蛮勇の違いとは何かを、麻雀というゲームは教えてくれる格好のツールなのかもしれない。

アリストテレスの「二コマコス倫理学」を通して慎重さと臆病、大胆さと蛮勇の違いとは何か改めて学んでみるのも悪くはない。もし気が向いたらこのnoteを読んでくれた方も是非、下記のnoteもご高覧いただければ幸いに思う。


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