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かじりさ/梶梨沙子「秘すれば花なり 秘せざるは花ならざるなり」


下記noteにて中田のブルーオーシャン戦略でも話をしたように、乃木坂のセカンドキャリアで敢えて他の乃木坂が誰も進出せず、かつ自分のとても興味のある分野である麻雀を選んだ中田の戦略眼は実に見事だと言える。

そのため乃木坂で最も輝いているランキングでも見事、中田は1位に輝いた。最強戦でチョンボをしたからMリーグはないとの批判の嵐ではあったが、Mリーグ入りに対して、このチョンボなど実に些細な出来事に過ぎないことは下記のnoteでも記したとおりだ。

こうした中田の成功でもわかるように、女流のセルフプロモーションは大事ではあるが、よくありがちな戦術としてはとにかく胸の谷間を強調したドレスアップされた姿でそれを武器にしようとする女流はとても多い。

しかしどの女流もこれをやりはじめると、そこはレッドオーシャンとなり、ほんとうにプロポーションが抜群でない限りだんだん目立たなくなるということも出てくくるに違いない。

例えば座っている時は上半身しか映っていないが、インタビューで立ち姿を見た途端、萎えるというパターンもなくはない。体の良い姿勢を保つための柔軟性や体幹などで差になってきたりするのかもしれない。

こうした中、個人的になんとなく目に留まったのがかじりさ/梶梨沙子だった。多くの女流が洋服でドレスアップする中、もちろんごくたまにではあるが、和服でその身体を包み隠すという方向性を打ち出しているのは実に興味深い。

世阿弥は言う。

  「秘すれば花なり 秘せざるは花ならざるなり」。

日本の伝統文化の美しさには、西洋の美意識にはない余白の美があったり、世阿弥も言うように敢えて「」を隠すことによって、より人々の興味を引くということがある。

秘してこそ花。

和服を着るには時間もかかれば、保管方法も大変であり、様々なコストがかかることが予想される。しかし多くの女流がむき出ししてゆく中、敢えて かじりさ はその逆で体のラインを隠す方向へ、秘する方へと赴いてゆくようにも見える

これもまた戦略におけるパラドキシカルなロジックであると言える。明らかに他の女流と違う動きを入れている。こういう秘すれば花なりというスタイルで成功するとプロとしても息の長い活躍できるかもしれないという気はする。


伝統や文化というものが現代に残っているということは、それまでの長い時間の流れの風雪に耐えて、あく抜きがなされ、無駄は省かれ、より洗練化されたものがそこにはある。

和服を大事にする女流が一人くらいいてもいい。

ちなみに社会学では名前と偏差値には高い相関関係があることがわかっているそう。偏差値の高い高校の女の子の名簿を検索すると、名前には顕著な共通点があり、名前の最後に「」つくケースが圧倒的に偏差値の低い高校に比べて多いとのこと。

データでも検証済。

逆に言えばキラキラネームの出現率と偏差値は逆相関することが、社会学では明らかにされている。

名まえに「」をつけるということは、その家庭がある意味、非常に保守的であることを示し、故に教育もしっかりしている傾向があるのだと結論されている。

梨沙子。

名まえにがついている。きっと「和」を大事にするその気風は、家庭環境から大きな影響を受けているのだろう。


関連記事 世阿弥の風姿花伝の話は下記のnoteでも、触れています。

ガチ勢から女流を擁護する立場を表明したnote



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