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あの傾いたファサードについて

予想外の議論

先日アップした『目の錯覚…ではありません』という写真記事が、note公式で紹介されたことで、多くの方から反響をいただきました。やっぱり公式で紹介されるってスゴイですね。
で、そんな中に建物が傾いている理由についてコメントを下さった方がいらしたんですが、個人的に納得がいかない説だったので、それについて返信したところ思いがけない議論に発展してしまいました(当該コメントは今では削除されてしまい、私の返信しか残っていません)。そうするうち私も「自分で調べもせずに理屈だけで納得できないと言っているのでは、俗説を鵜呑みするのと大差ない」ということに気づいて反省しまして、現地サイトに検索をかけて調べてみようかと思っていた矢先。
件の私の記事に関連する形で、こんな記事がアップされたので、さっそく拝読しました。

正直に言って私は、あのファサードが時代とともに「傾いた」のではなく、最初から意図的に「傾けた」ものだということ自体に懐疑的だったのですが、こちらの記事で紹介されている”Waarom staan gevels scheef?(ファサードが歪んでいるのは何故?)”というオランダ語サイトを見ると、ファサードは前に傾いているのに背面は垂直な建物の写真が出ています。写真の端っこに移っている道路標識や車が傾いているのは広角レンズの収差だとしても、真ん中に移っている建物の二つの壁面が平行じゃないのは、ぜったい収差のせいじゃないでしょう。これを見たら、ファサードの傾斜が人為的に作られたものだということは、否定しようがありません。
でも、いったい何のために? という疑問は当然わいてきます。
そこで、自分でも"gevels op vlucht(フライング・ファサード…とでも訳せばいいのかな。人為的に前傾させたファサードをそう呼ぶらしいです)"をキーワードに検索をかけて、別の解説がないか探してみました。

建築史に関する論文からの考察

検索の結果、いろんなサイトが引っ掛かってきたのですが、その中に「正面オーバーハングとフライング・ファサード」という論文らしきものがありました(以下、オランダ語の原題併記は省略します)。

これは「記念碑保存年鑑1996 記念碑と建物の歴史」という書籍に掲載された論文らしく、著者は建築史の専門家のようです。20年以上前に書かれたものですが、歴史の話はそうそう変わらないと思うので、これを詳しく読んでみました。専門用語が多くてシロウトの私にはすんなり理解できるものではありませんでしたが、3回ぐらい読み返したところで、どうにか言わんとしていることの大筋が見えた気がします。
これによると、
1.中世(1500年ごろ)の木造の建物では、ファサードの各階に張り出しが作られた。その目的は木製の窓枠を雨水による腐食から守ることで、これは貴重だった窓のガラスを損壊させないための方策だった。
2.そのため上の階の壁が下の階よりわずかに前に出て、ウェディングケーキを逆さまにしたような階段状の建物になった。それは一般的な建て方だった。
3.さらに、その上にファサードを建てたので、壁が前傾することになった。
…ということのようです。2→3の経緯はt.kobaさんが紹介されている記事でも書かれていますね。ちなみに、この逆さウェディングケーキ状の建物については論文中にも図版が出ていますが、それとよく似たこんな建物もアムステルダムで見かけました。

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これは明らかに新しい建物(どんなに古くても20世紀)ですが、オランダに古くからある伝統的な建築をデザインに取り入れたものなのでしょう。
こういう建物が前傾ファサードになった利点としては、窓に張り出しの影が落ちないため、逆さウェディングケーキだった時より光がよく入るようになったことが挙げられるそうです。また、レンガ積みのファサードをどうやってナナメに後付けしたのかと思ったら、薄いレンガ壁を木枠で補強し、もとからある木造建築の骨組みにその木枠を固定したようです。

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上は先日アップした写真とは別の建物ですが、傾いたファサードの脇が塞がれていないので壁の厚みが分かります。確かに、かなり薄めですね。

というわけで、この論文の著者によれば、あの前傾したファサードが登場した理由は、それ以前に窓枠を腐食から守る目的で上階が張り出していたからだということになります。それ以外の「巷で言われている理由(俗説)」については、論文の最後で「誤解」という言い方で紹介しています。

世界的に知られている俗説についての考察

俗説の中でも、オランダでもっとも広く信じられているのは「上階の床面積を大きくするため」という説だと著者は書いています。…あれ? でも、世界的には「荷物を吊り上げたとき、壁に当たらないように」という説の方が一般的みたいだけど? …と思ったら、この説は特にアムステルダムの人の見解なんだそうです。
論文の著者は、荷物を吊り上げて窓から入れるというやり方は。前傾ファサードの登場よりも後世に始まった(いつ頃かは書かれていません)ものだし、さほど広範囲で行われた方法ではない、と言って否定していますが、それはつまり、アムステルダム以外にもファサードが前傾した建物が多くあるが、そこでは荷物を吊り上げて搬入する方法が一般的でなかった、ということでしょう。逆に言えば、実際に荷物を吊り上げて搬入していたアムステルダムでは、ファサードが前傾していて便利だと実感することが多かったのかも知れません。

その結果、この通説が定着し、アムステルダムを訪れた観光客もガイドからそのように説明を受けて、世界中に広まっていった…と考えるのは、さほどコジツケでもないと思うのですが、…どうでしょう。

やっぱり地盤も関係してる?

ところで、アムステルダムの建物は前に傾いているものだけでなく、横に傾いているものもあります。そして、それに関しては地盤の特殊性が原因という説明されています。干拓によってつくられた土地なので、今は建物の基礎をつくる時は支柱として長い杭を打ち込むけれど、古い時代に築後数百年もの保証期間を想定していたとは思われず、杭の長さが足りなかったり、長さはあっても腐食して強度がなくなっていたりして傾いてしまうのだ、と。

でも、そういう理由で横に傾くものは、前にだって傾くでしょう。あのファサードが人為的に傾けられたものだというのは間違いないとしても、それが地盤のせいでさらに傾いている例も、今ではそれなりに多いんじゃないかな、という気がしています。
調べてみても、どこにもそんなことは書いてないですけど、ね。