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雑談:1999年のTHA BLUE HERB

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まずこの記事を御覧ください。

YOU THE ROCK★とTHA BLUE HERB、BEEFの歴史①:1990年代、各地の群像と邂逅

上記リンク先は1990年代ヒップホップが好きな人なら誰でも名前を知っているであろうYOU THE ROCK★とTHA BLUE HERBについての記事です。知らないことが多かったので楽しく読んだんですが、その中でヒップホップ専門誌『blast』がTHA BLUE HERBのインタビューを載せたのが1999年12月号だと書いてあって、専門誌なのにしっかり取り上げたのそんな遅かったのか!と驚きました。たしかその前にどこかでインタビュー読んだことあったような?と気になって手元の雑誌をめくってみました。その探しもの記録。

『GROOVE』1999年2月号(リットーミュージック)

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1998年12月21日に発売された、クラブミュージック雑誌『GROOVE』1999年2月号には、1998年のベストディスク特集が載っています。DJ達に1998年ベストを聞いたアンケートが載っている中、東京で一番最初に彼らをプッシュしたDJ KRUSHが、ベストディスクに自主制作アルバム『Stilling, Still Dreaming』(1998年10月)を選んでいます。

かつ、この時点でTHA BLUE HERBへのインタビューが3/4ページ載っているのが重要ですね。インタビュー+文は「編集部GROOVE」となっています。(※画像はボカシ入れてます)

文書名 _19990201 GROOVE

記事のリード文には〈DJクラッシュが彼らのシングル「知恵の輪」を国内外問わず必ずセットに組み込んでいるという事実もあって、最近にわかに注目を集めつつある〉とあり、DJ KRUSHが注目しているらしい非東京の新人グループを雑誌としていち早く取り上げようという意図がうかがえます。

ちなみに『remix』1999年2月号の1998年ベストディスク企画でもDJ KRUSHはアンケートに答えていますが、そちらでは盤はあげておらず、コメントで注目株としてTHA BLUE HERBの名前を出すにとどまっています。雑誌ごとに選盤を変える優しさ。

1999年5月2日、THA BLUE HERBは東京初(=北海道以外では初)のライブを六本木コアで行いました。このライブはスケートボード関連で有名な森田貴宏氏(作品を聴いてすぐコンタクトをとったそう)がオープニング映像を制作、録画も担当しており、1999年9月にVHS作品『藷演武 THA BLUE HERB LIVE at CORE, TOKYO 999.5.2』としてFESNからリリースされています。

『SWITCH特別編集Eat Generation』(スイッチ・パブリッシング)

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1999年7月発行。これはp59にみんなで鍋を囲んでいる写真が1ページ載っているだけです。多くの人がまだBLUE HERB RECORDINGSという名前を知らなかった時期に、不思議な取り上げ方をするものですね……。

『ele-king』1999年8/9月号(エレ・メンツ)

文書名 _19990815 ele-king 26-2

1999年7月中旬に発売された『ele-king』26号の最初の方のページに、THA BLUE HERBが取り上げられています。「ノーザン・ファンク」と題されたテキストは加藤直宏氏によるもの。〈なにしろ、あのDJクラッシュも惚れ込んだほどなのだ〉とここでもDJ KRUSHの名前が強調されます。文字数にして650字程度の小さな記事ですが、ヒップホップを取り上げ始めていた同誌はこれ以降、何回も取り上げています。

なお、『ele-king』にTHA BLUE HERBの名前が載ったのは、1999年1月中旬に発売された23号(1999年2/3月号)掲載のDJチャートで、DJ HIDEが『Stilling, Still Dreaming』を2位に選んでいるのが最初かな?と思います。ただ、コメントはなくリストだけなので、それを見て注目した人がどれくらいいたかはわかりません。HIDEはもちろんDJ KRUSH&DJ SAKとともにユニット「流」のメンバーで、流が1999年8月1日にリリースした1stアルバム『流 -RYU-』でBOSS THE MCをfeaturingしているのは御存知の通り。

『モンスーン』03号(四谷ラウンド)

文書名 _19990810 モンスーン 03

1999年8月10日発行(8月1日発売?)。もっとも早くTHA BLUE HERBの特集を組んだのは、ミニコミ『モンスーン』3号ではないでしょうか? 16ページの記事でインタビューを中心に取り上げています。テキストを読むと、同年5月20日に北海道まで行ってインタビューを行い、22日に東京で再びインタビューした、とあります。執筆者が不明瞭なのですが、ideamanとして窪見裕介氏と荒井亮氏がクレジットされています。

THA BLUE HERBのことを知ったのは本当に偶然だった。
今年の2月初め、渋谷のHOT WAXというレコード屋で見かけた『Stilling, Still Dreaming』と題されたアルバム。下に張ってあったポップには「北海道のヒップホップユニットによる、DJクラッシュが98年度ベスト1と絶賛したレコード」というようなことが書かれていて、二千八百円という値段には結構躊躇したのだけど、僕はそれを買って帰った。
(『モンスーン』03号・p68)

東京でTHA BLUE HERBの自主制作盤を取り扱っていたのは渋谷のレコード店「HOT WAX」。そこの商品説明文にDJクラッシュが98年度ベストに選んだ話が書かれている……ということは、おそらくHOT WAXのバイヤーは1998年12月末に『GROOVE』でKRUSHがベストディスクに選んでるのを見て札幌に連絡して、無事に1999年1~2月頃に店頭に並べた、という流れではないでしょうか?

そもそも上に書いた1999年5月2日のTHA BLUE HERBの東京初のライブというのは、HOT WAXが企画した「灯台」@六本木コアというイベント内でした。この時期、HOT WAXがTHA BLUE HERBのレコードを売りたかったのがわかります。

インタビューは音楽的ルーツに始まり、リリックの在り方の深いところまで聞き出しています。とくに、THA BLUE HERBのトラックだけを聴いてリリックを理解せずわかった気になっている人は理解度2割以下、という話は、彼らの本質の説明と言えるのではないかと思います。また、スチャダラパーへ言及している部分も興味深いです。

いやー、俺達、スチャダラパーはめちゃめちゃリスペクトしてるんだよね、正直な話。ああいうことをやれって言われたらそれはやらないし、一緒に何かやれって言われてもまあ色々軋轢は出てくると思うんだけど。ただ、ビートは世界共通だからね。ビートがいいか悪いかくらいは俺にだって分かるからさ、シンコの作るビートはマジで凄いよ。それに2人のラップもさ、メジャー行って実績作ってある程度自由に作れるようになってからの最近のアルバムのリリックっつったらないよ!確信犯中の確信犯でしょ。
(『モンスーン』03号・p78)

『ele-king』1999年10/11月号(エレ・メンツ)

文書名 _19991015 ele-king 27-2

1999年9月中旬に発売された『ele-king』27号ではTHA BLUE HERBのインタビューが3ページ掲載されています。聞き手は前号で彼らを取り上げた加藤直宏氏。話題は東京中心のシーンへの苛立ち、韻へのこだわり、札幌のシーンなど、充実しています。

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●今、日本のヒップホップでオリジナリティを感じるものってありますか?
ボス・ザ・MC:クラッシュさんとその周辺の人くらいですね。
●若い層に人気のある人たち、たとえばライム・スターとかはどうですか?
ボス・ザ・MC:正直、最近はちゃんと聴いたことがないんですよ。でも、いいと言う人がいるのもよくわかる。彼らの地元のキッズたちは彼らから生き方やヒップホップを学ぶわけですから。ユウ・ザ・ロックにしてみてもあんなに人気があるのは、きっとアイツはいいヤツなんですよ。そこに住んでいるヤツらにとっては頼れるアニキなんだと思うんです。ただ作品だけで判断すると、俺に比べれば言葉の選び方が2段階くらい甘いな(笑)、と感じます。みんながそであるように、俺が1番のラッパーだと信じてやっているんで。だけど、そこに対して思うことはあまりないです。どうでもいいです。
(『ele-king』27号p55)

『文藝』1999年冬号(河出書房新社)

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『文藝』のヒップホップ特集にTHA BLUE HERBが登場、インタビューを受けています。聞き手は冨樫信也氏。取材は東京2回目のライブをやった3日後とあるので、1999年9月6日のようです(9月3日に六本木YELLOW「TIGHT」出演)。

記事は5ページぶんあり、話題は文芸誌らしくリリック中心です。ライブの感想戦のあと、宮沢賢治、文学好きの親の影響、NAS『Illmatic』の影響などがメイン。

『blast』1999年12月号(シンコー・ミュージック)

冒頭のリンク先で触れられているので略。古川耕氏が自費で北海道に取材に行ったという気合の入ったインタビュー。

『CLUE』1号(浅沼優子)

文書名 _20000000 CLUE 1(浅沼優子)

これはもう2000年入ってますけども、取材が1999年なので番外。ライター/翻訳家である浅沼優子氏が編集したヒップホップ中心のミニコミです。この前に0号があり、そちらは1999年1月発行、こちらの1号は2000年冬号とクレジットされていて、この号で1999年5月5日に収録されたというTHA BLUE HERBのインタビューが掲載されています。

文書名 _20000000 CLUE 1(浅沼優子)-2

このインタビューは99年5月5日に行われたものだが、その後Tha Blue Herbを取り巻く状況は大きく変化した。日本では、いくつかの雑誌でも大々的に取り上げられた。でも、今後しばらくは雑誌等の取材は受けないというから、これが当分の読み納めになるかもしれない。一番乗りで取材したのに、出すのは一番最後になってしまったとは。トホホ(反省)。
(『CLUE』1号・p66)

THA BLUE HERBに18ページ(ただしバイリンガル雑誌なので半分くらいは英文翻訳)が割り当てられており、まだ最初期に受けたインタビューだったからか、Nas『Illmatic』の影響など、かなりざっくばらんに元ネタの解説をしています。他に、ダンスミュージックとヒップホップの違い、リリックについて、東京のヒップホップについて……。

オマケ:2000年少々

『モンスーン』04号(四谷ラウンド)

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『モンスーン』は04号(2000年4月10日発行)でもTHA BLUE HERBを特集しており、インタビューが掲載されているのですが、そこには「THA BLUE HERBの雑誌への露出は、この記事が恐らく最後になります」と書いてあります(!)。当時(1999年末時点)、THA BLUE HERBは公式サイトに「雑誌の取材は受けない」と明記しており、それは北海道から東京へ物申す的な姿勢を求められるのに疲れていたからのようです。

『SWTICH』2000年7月号(スイッチ・パブリッシング)

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2000年6月20日発行。雑誌取材は原則断っていたとはいえ、リリックについて聞いてくる取材については受けていたようです。次の『Quick Japan』も同様です。

『Quick Japan』32号(太田出版)

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2000年8月28日発行(8月17日発売)の『Quick Japan』32号はBOSS THE MCへのインタビューに成功しています。取材日は2000年7月2日。8ページ。多くはリリックについてです。

補足:『ミュージック・マガジン』1998年3月号

名前が出てくるだけでよければ、『ミュージック・マガジン』1998年3月号のヒップホップ特集が一番最初か、最初期ではないかと思います。東名阪以外の地域でリリースされているシングルを列挙する中に、「ブルー・ハーブ」の名前が登場します(p52)。

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THA BLUE HERBの最初のリリースである『Shock-Shineの乱』が一応取り上げられていたとは……。

というところです。こうしてみると、ヒップホップ専門誌よりも先にクラブミュージック雑誌、もしくは言葉に注目する文芸誌的な性質の雑誌が彼らに注目していたことがわかります。いや、そもそもヒップホップ専門誌なんてそんななかったわけですけどね。

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2001年以降に雑誌等に書いた記事を全部ここで読めるようにする予定の定額マガジン(インタビューは相手の許可が必要なので後回し)。あとnoteの有料記事はここに登録すれば単体で買わなくても全部読めます。『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』も全部ある。

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