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デザインは自明である/デザイナーは自明ではない(『Graphic Design in Japan 2015』)

2005と2015

先日、『アイデア』(誠文堂新光社)369号の特集「日本のグラフィックデザイン史1990-2014」の編集を手伝っていたのだが、参考資料としてデザイン年鑑やデザイン誌のバックナンバーを古いほうから順に眺めていた際、ここ10年のあいだに劇的な変化がないことが気になった。たとえば1985年と1995年、1995年と2005年のデザインの違いは、おおよそ誰でも感じ取れるだろう。しかし2005年と2015年のデザインの違いをはたしてどれだけ指摘できるだろうか。むしろ違いよりも類似点を指摘するほうが容易いのではないか。技術の進歩とそれに伴う意識の変化はめまぐるしい時期のはずなのに、出力結果だけを見るとそれが実感できない。そうした、この10年間のデザインに漠然と現れている停滞感とは一体どこから来ているのかを考えてみたい。

Xから/へ

海外のウェブサイトで“スラッシュジェネレーション(Slash Generation)”という言葉を初めて見たのは2009年頃だったが、2007年にはすでに語られていたらしい。〈“ジェネレーションX”の次の“ジェネレーションY”ってつまり“スラッシュジェネレーション”?〉といった言及のされ方で、作家のダグラス・クープランドが1960~70年代生まれに対して名づけた“ジェネレーションX”の、さらに次の世代の傾向を示すために編み出された用語である。

この世代の特徴は、一つのことに専念する生き方ではなく、様々な役割を自由に切り替える生き方を選ぶことだ。医者であり画家である人を「医者/画家」と書くように、それらをつなぐ「/」を象徴とする。記号の意味は分断ではなく併記であり、どちらも大事で、優先順位を表すものではない。次々と常識が変わっていく現代にたった一つの仕事に専念するのはリスクであって、仕事を多種化するのが生き延びる知恵、というわけだ。

そうした「/」感覚は近年のデザイナーにとっても身近なものだろう。「ディレクター/デザイナー/プランナー/イラストレーター」もいれば、「広告/雑誌/書籍/プロダクト/web」もいる。ある特定メディアだけを専門にやっていくことは今後はできないだろうことを皆が理解しており、チャンスを逃さないために様々なチャンネルを用意する。スペシャリストよりジェネラリスト、いや、スペシャルジェネラリストにならなければいけない面倒な時代になってしまった。スラッシュジェネレーションはそうした煩雑な背景を抱えた世代だ。

ただ、ここで単純にその世代を説明したいわけではない。そもそもなぜこのマイナーな用語を知ったのかといえば、「アニメ/ボカロ/カゲプロ/ハニワ/音楽/漫画/BL……」のように、自分のプロフィール欄に「/」で趣味を羅列する十代がウェブサービスやケータイサイト上で妙に増加傾向にあることが気になり、他国でも同じようなことが起きているのではないかと検索したのがきっかけで、そこで「/」を持ち出す世代が複数の現場で同時多発的に登場していることを知ったのだった。ここで気にしたいのは「/」の意図だ。

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