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アンビエントまんが(『CD Journal』2008年11月号)

ブライアン・イーノが『ミュージック・フォー・エアポーツ』で定義したところによれば、アンビエント・ミュージックとは「雰囲気的特異性を強調」し、「曖昧さ・不確定さを維持」し、「穏やかさ・思考する余地への導き」を意図するものだった。これにそのまま当てはまるマンガが、長らく一定の支持を得ていることに気付いたのは、わりと最近のことだ。バトルに勝つとか恋愛成就とか明確な一つのゴールを持たない物語。始まりと終りの輪郭が曖昧なままページに収められたシーン。そこにはハラハラ・ドキドキ・ワクワクとは違った時間と世界がある。

こうした傾向がマンガに登場しはじめた起点を探すのは難しいが、60年代後半の『ガロ』は選択肢の一つだろう。特に1966年に発表されたつげ義春「沼」や佐々木マキ「アンリとアンヌのバラード」は、ある種両極端な「物語の定型」からのはみ出しが見られた。物語が不確定のまま、コマ=マンガのスタイルだけが残った後者の特徴的な作風はイルビエントというべきか。同時期には手塚治虫が創刊した『COM』で岡田文子が抽象度の高い作品を残しているし、70年代以降も『週刊漫画TIMES』でのコラージュ的な二階堂正宏「イメージ・コミック」、「手紙のような漫画を描きたい」と語る森雅之の一連の作品や、もちろん『ガロ』の鈴木翁二や鴨沢祐仁、『夜行』の林静一、『ヤングコミック』の安部慎一など、探しはじめれば枚挙に暇がない。
もっとも、これらが現在まで地続きかといえば若干違うと思う。むしろ、70年代後半に登場したいしいひさいち「バイトくん」や植田まさしの「フリテンくん」の大ヒットによるファミリー4コマの台頭、『Hanako』で連載された高野文子「るきさん」をはじめとする癒し系、および今年映画化された大島弓子「グーグーだって猫である」のようなエッセイ漫画などが複雑に絡み合った結果が今である。これらに共通するのは、シリアスな展開とはほぼ無縁の肩肘張らずに読めるオフ感/まったり感であり、いわば「チル・アウトまんが」だ。

それをふまえて、マンガにおけるアンビエンスが再発見されたのは、2000年前後のあずまきよひこ『あずまんが大王』とばらスィー『苺ましまろ』のヒットが契機だろう。派手な展開は起きないが、読者の心の隙間に忍び込む穏やかな時間の流れは、一時期の萌え4コマブームを経て、ゼロ年代の青年マンガ誌における一つの潮流となっている。2008年最新型では、今年単行本が出たカネコマサル「ふら・ふろ」や、『ビーム』連載中の宮田絋次「ききみみ図鑑」などを推薦しておく。

一回見逃すと展開が分からなくなる複雑なドラマ構成、別れや達成の感動だけがマンガの面白さではないはず。生活に負担なく寄り添うアンビエントまんがは、もはや現代社会の必需品であるよ。

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2001年以降に雑誌等に書いた記事を全部ここで読めるようにする予定の定額マガジン(インタビューは相手の許可が必要なので後回し)。あとnoteの有料記事はここに登録すれば単体で買わなくても全部読めます(※登録月以降のことです!登録前のは読めない)。『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』も全部ある。

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