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雑談:二人のアキラ

日本の有名な漫画家の名前を好きなだけあげていってください、と人に聞いた場合、かなりの確率で最初の方に名前が来るのが鳥山明ではないでしょうか? いや、最近は違うかな? どうでしょうね。

1990年代前半まで、鳥山明といえば『週刊少年ジャンプ』の看板作家でした。その同時期の『週刊少年ジャンプ』で、読者投稿コーナー「ジャンプ放送局」の構成を担当していたのがさくまあきらです。1982年10月から1995年12月まで。1995年は「ドラゴンボール」の終了した年でもありますがそれとは関係なく、さくまさんが倒れてしまったからです。

さくまさんの大学時代の友人に堀井雄二がいます。さくまさんも堀井さんももともと『月刊OUT』という雑誌のライターで、読者投稿コーナーを担当していました。先に漫画評論家としても活躍していたさくまさんは、『週刊プレイボーイ』で「Dr.スランプ」の人気に迫るため編集者の鳥嶋和彦にインタビューを申し込み、まずはさくま=鳥嶋ラインができます。ここで知り合って、1981年にジャンプ増刊『Dr.スランプSPECIAL』の編集を任され、やがて「ジャンプ放送局」につながるわけですね。

次に、さくまさんが堀井さんに鳥嶋さんを紹介し(1982年夏)、やがて堀井さんも『ジャンプ』にライターとして時々参加。のちにゲーム情報コーナー「ファミコン神拳」を堀井さんが「ゆう帝」名義で担当するようになります。その堀井さんがゲーム『ドラゴンクエスト』を作る際、鳥嶋さんの紹介で鳥山さんにキャラクターデザインで参加してもらえることになりました。さくまさんが最初に紹介しなければドラクエは別の絵になっていたかもしれません。

で、さくまさんと鳥山さんは1985年に『鳥山明のヘタッピマンガ研究所』という共著を出しています。当然鳥嶋さんの紹介で知り合ったのだろう、と思うところですが、実はちょっと違うらしい。というのが今回の話。

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2001年以降に雑誌等に書いた記事を全部ここで読めるようにする予定の定額マガジン(インタビューは相手の許可が必要なので後回し)。あとnoteの有料記事はここに登録すれば単体で買わなくても全部読めます(※登録月以降のことです!登録前のは読めない)。『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』も全部ある。

2001年以降に雑誌等に書いた記事を全部ここで読めるようにする予定です(インタビューは相手の許可が必要なので後回し)。テキストを発掘次第追…

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