裸のラリーズは70年代後半の時間の流れや都会の風にどんなリズムで戦って来たのか
タイトルに興味をもった人がいたらすいませんが、その疑問に答えるような記事ではありません。なんだよそれ、というところですが、話を追っていきましょう。
『ニューミュージックマガジン』1978年12月号に掲載された、青山ベルコモンズでの裸のラリーズのコンサートレヴューが少し話題になっていました。
この記事の執筆者は音楽評論家の山名昇さん。開演が予定から1時間40分も遅れたことによる最初の悪印象から、水谷孝はギターのアタッチメントの使い方も知らないのかとか、しみったれたフォークソングと変わらんとか、第一部のフリクションは良かったけど〈裸のラリーズってこんなにつまらないバンドだったの?〉と、終始批判的にラリーズに言及したものです。ラリーズといえば大絶賛されるのが常の現代から見るとびっくりしますね。
この裸のラリーズでも批判されることはあるのだという逸話は、今では中学の音楽の教科書に載っているほど有名ですが(嘘)、「このレビューについて知ってること教えて!」とワタシに個人的に問い合わせがあって、まあたしかに意外とその前後の話はみんな知らないかもしれないので、補足してみましょう。
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