デジタルメディアの考古学1・フロッケという祝祭(2010年『アイデア』344号)
90年代前半に松本弦人が展開したフロッピー関連の活動は、日本のメディア史において特異な意味を持っている。それは端的に言えば、『APE』 (1992年3月)や『M.O.P.』 (1993年6月)でフロッピーを紙媒体の文脈に結びつけ、松本がプロデュースを務めた(企画制作は江並直美とデジタローグ)即売会「マッキントッ書」(1993年10月)や「フロッケ」(1994年4月~)でフロッピーをパッケージ/メディアとして広めた点にある。
もちろん似た試みがなかったわけではない。1983年のコミックマーケットでPC-8801向けのゲームが収録されたフロッピーが初めて売られて以降、CGや同人ソフトのフロッピー流通はじわじわと拡がりを見せ、1988年4月には同人ソフト中心の即売会「パソケット」がスタート、『電脳倶楽部』 (1988年)や『NV』(1989年)といったフロッピー・マガジンの登場など、フロッピーの流通は既に80年代に個人レベルでも行われていた。
ただ、これらは総じてゲームやソフトウェアの延長であり、中身が先にあって、その流通のためにフロッピーがある、コンテンツ中心の発想だった。フロッケにはまずフロッピーというパッケージ/メディアがあり、その枠組みの中でできることは何か、という発想の順序がある。前者はフロッピーにこだわる必然性がないため、より安価で容量の大きいCD-ROMが登場すればそちらに移っていった。しかし後者は違う。何よりもまずフロッピーそのものが重要なのだ。制約されたフォーマットと不可分の表現を発見すること……すなわちフロッケ以降のフロッピーは、簡易記録媒体としてではない、パッケージ/メディアとして再定義されたそれなのである。
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2001年以降に雑誌等に書いた記事を全部ここで読めるようにする予定です(インタビューは相手の許可が必要なので後回し)。テキストを発掘次第追…
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