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特集・吉祥寺マイナーとは何か?

2006年に出したミニコミ『BET』創刊準備号の特集は3本立てでした。「自販機本」「羽良多平吉」「吉祥寺マイナー」です。このうち「吉祥寺マイナー」の項目だけ読みたい人が、どうもちょこちょこいるようなので、ここで抜粋して掲載します。

創刊準備号を出してからの10年は劇的でした。大里俊晴が亡くなり著作やBOXが出て、山崎春美が復活し、ずっと出なかった竹田賢一の著作が出て、モダーン・ミュージックが実店舗を閉店し、L.A.F.M.S.の展示が行われ、渡邉浩一郎のCDが再発され、第五列やビニール解体工場が集大成を出す……。そんな時代が来るなんて、2006年には誰も想像していなかったと思います。

『BET』で一番参照されるのは吉祥寺マイナーにおけるイベント年表で、国会図書館に数週間通って、古い『ぴあ』『シティロード』に全部目を通すという、疲れる作業だったのを思い出します。当時のライブハウスは情報誌に一ヶ月ぶんの予定をまとめて送るわけですが、そんな先の予定は決まってないことも多く、わりとテキトウな部分もあります。あくまで予定スケジュールなので間違いは多々あると思いますが、それは当時の情報誌が間違っているのであって、その間違い自体が歴史上のデータだと思ってください。

そもそも『BET』は2007年に創刊号を出す予定だったものの、事情があってできませんでした。事情とは、2006年末から2007年頭にかけて、ヤフーオークションに、70~80年代の、まさに吉祥寺マイナーに関する資料が大量に出品され、それをひたすら落札していたら印刷費がなくなったのです。2006年夏に出した『ウェブアニメーション大百科』の印税は全部それに消えました。その後、何度か出そうとしたのですが、コピー誌という性質のためか、資料と称しコピーして勝手に配布されてる場面に数度遭遇し、気分が盛り下がりまくり、うんざりしてやる気がなくなったのでした。言ってくれれば増刷するのに……(愚痴)。

それから現在に至るあいだに色々と情報も増えました。今ではここに載っている情報は珍しくありません……とは思いませんが、わりと昔よりは素直に読めてしまうと思います。情報が整理されてきたからです。混濁した不定形の文化をスパッと切り取って幻想を剥ぎとってしまうことが『BET』の創刊の動機であり、その威力がなくなってきたなと感じました。

ここでは『BET』創刊準備号の内容に加えて、創刊号のために集めていた情報などから、若干、ちょっとだけ、追加しています。あと全体的に漢数字だったのを算用数字に改めました。

■特集・吉祥寺マイナーとは何か?

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●ふにゃふにゃで中の透けて見える未熟卵──吉祥寺マイナーの短い生涯

──吉祥寺マイナーは1978年3月7日から1980年9月28日まで、日本におけるアヴァンギャルド/フリー・ミュージックの一つの拠点となったレンタルスペースである。とは言っても開店当初からそうだったのではない。順を追って見てみよう。──

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