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ジャンル名の起源:ニューミュージック(1970年編)(※未確定)

「ニューミュージック」というジャンル名については未だに気になっています。前に記事にしたこともありましたが、そちらは日本の1970年代の邦楽についてのニューミュージックではなく、『ニューミュージックマガジン』に到るような、1960年代の新しい音楽=ロック/前衛ジャズについてのニューミュージックでした。そっちを読んだことを前提としたうえで、今回は邦楽についての話です。

ここでいうニューミュージックがどんな音楽を表すのか、まずは辞書でも引いてみましょう、ネットで。

一九七〇年代に日本のポップス界に現われた新しい傾向の音楽。フォークやロック系の歌手や演奏者による、主として自作自演のポップス。従来の歌謡曲に比べて新しい感覚の流行歌。

『精選版 日本国語大辞典』

フォークやロック系の歌手による自作自演のポップス。なるほど、いわゆるシンガーソングライターみたいなものですね。自分の作った曲を自分で歌う人達。吉田拓郎、井上陽水、南こうせつ、泉谷しげる、荒井由実。そういったミュージシャンの作るポップスをニューミュージックの代表とするのが基本のようです。この中でオシャレで洋楽っぽいのがのち「シティポップ」と呼ばれて独立して扱われるようになり、その他のオシャレなイメージのないヤツはニューミュージックのままでした。

さて、この言葉がいつ登場したのかには諸説ありまして、とりあえず一番有力とされる説をご紹介しましょう。

1972年ベルウッド説

『ベルウッドレコード発売記念 特別ダイジェスト』(30A4)

音楽プロデューサーの三浦光紀さんがキングレコード内に立ちあげたレーベル「ベルウッドレコード」を、この記事を読む皆さんならご存知でしょう。第1弾リリースは1972年4月25日(あがた森魚、六文銭)ですが、レーベル発足記念で関係者配布用に制作された非売品レコードがあります。それが『ベルウッドレコード発売記念 特別ダイジェスト』。収録アーティストは友部正人、あがた森魚+はちみつぱい、山平和彦、六文銭、高田渡。リリース日はわかりませんが、第1弾の前でしょうから1972年3月~4月前半頃でしょうかね?

このレコードのライナーに、三浦光紀さんによる所信表明的な文章が掲載されています。そのタイトルが「ニュー・ミュージックの宝庫〈Bellwood〉の出発にあたって」

解説。現物ないので転載

現代社会に起りつつあるいろんな局面に於いて、古い様式から新しい様式への変革・移行が、今、急速に行なわれる傾向にあります。このことは音楽産業界に於いても著るしく、若者達の間にも一方的に押しつけられるコマーシャルな通俗的流行歌に対する反発や、それを憎悪する反骨精神が次第に広がって来ています。若者達は古い体質の音楽産業資本から与えられた音楽ではなく、自分達の手で作り、育てられた音楽を、求める傾向にあります。しかるに今日ほとんどのレコード会社は今だに旧態依然としたレコード制作に頼り、大手のプロダクションや音楽出版社の顔色をうかがうあまり、これら若者の動きを知っていても、実際、彼らの本当に求める音楽を製作しにくくなっているのが現状です。私たちは視覚文化が後退し、若者文化の中核になって来た感覚文化の重要な地位にあるレコードを再認識するとともに、今若者の間に起こりつつある“新しい音楽(ニュー・ミュージック)”を重要視するものです。これらの問題を踏まえ、若者の率直で簡潔で飾り気のない音楽をコマーシャルな色づけをせず、彼らの自由奔放なパーソナリティーをそのまま生かすことによって“新しい音楽”を、生み出して行くことを目的として発足したのが〈Bellwood〉です。

三浦光紀「ニュー・ミュージックの宝庫(Bellwood)の出発にあたって」

「自分達の手で作り、育てられた音楽」は、最初に引用した辞書にも登場する自作自演という意味を含めた広い意味での説明でしょうし、大手プロダクションや音楽出版社の顔色をうかがわないというのは、つまりレコード会社主導で職業作曲家の作った楽曲をあてがいただ歌わせるような旧来的なプロダクションシステムを良しとしない姿勢の表明です。フォークやロックの歌手による自作自演の“新しい音楽”をリリースしていく宣言と見ていいでしょう。まさにニューミュージックのことではないでしょうか! これが最初に違いない!

……というところで、別の気になるのを見つけたのでその説明。

1970年3月説

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