見出し画像

第二章1:100%プロジェクト[1979.11-1980.12](NYLON100%)

インタビュー部分は掲載許諾を得ていないので省略しております。本文のみで、不完全です。本の雰囲気だけ知りたい方向け。


■一九七九、ナイロン100%の盛行

【アナーキー・フィルム・コンサート】

一九七八年八月に開店したナイロン100%は、しばらくは通常のロック喫茶としての営業を続けていた。それが変わりだすのは一九七九年。まず二月から毎月一回、店内で雑誌『ZOO』主催のパンク・フィルムの上映会が開催されるようになった。この上映会はもともと別の場所、吉祥寺DACスタジオ801や銀座テクニクスギンザで行われていたもので、そのためか上映会タイトルは「ZOOアナーキー・フィルム・コンサート・パートⅡ」と最初から〝パートⅡ〟が付けられている。
たびたび登場するこの『ZOO』は、一九七五年に創刊されたロック雑誌。初期はハード・ロック、ヘヴィ・メタル、ジャーマン・ロックなどバラエティ豊かに取りあげていたが、パンクの影響をダイレクトに受けて以降は、パンク専門誌として装いを変えた。現在も『DOLL』という誌名で定期刊行中である。
なぜこのイベントがナイロンで行われるようになったのか、肝心の中村は詳細を覚えていなかったが、『ZOO』には広告を載せていた関係からか中村直也も寄稿しており、また『ZOO』編集者の森脇美喜夫、相川和義、黒田義之らは、めいじどうり時代から客として来店していた。その辺りのつながりからイベント開催につながったのではなかったか、と中村は回想している。が、案外、中村が一六ミリフィルムの技師免許を所有していたから、という単純な理由かもしれない(免許がないと映写機を扱うのは禁止されている)。このイベントは『ZOO』が高円寺に「BOY」という店をはじめる八〇年まで続けられた。

【100%プロジェクトとヒカシュー】

ここから先は

10,544字
2001年以降に雑誌等に書いた記事を全部ここで読めるようにする予定の定額マガジン(インタビューは相手の許可が必要なので後回し)。あとnoteの有料記事はここに登録すれば単体で買わなくても全部読めます(※登録月以降のことです!登録前のは読めない)。『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』も全部ある。

2001年以降に雑誌等に書いた記事を全部ここで読めるようにする予定です(インタビューは相手の許可が必要なので後回し)。テキストを発掘次第追…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?