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雑談:KIOTO

振り返ると、2000年にCDで再発されたオクノ修の1stアルバム『KIOTO』がきっかけで、日本の過去の自主制作盤の世界に本格的に興味を持ったような気がします。1972年5月に100枚だけ作られた京都の自主制作盤。もしただの男性シンガーソングライターのフォークアルバムだったら、そこまで興味は持たなかったかもしれません。1972年に100枚だけ出た自主制作盤なんですよ!という事前情報が重要でした。いや、もちろん実際に聴いたアルバムは歌声がよく、曲調もサイケデリック感が漂う、幻の名盤と呼ぶにふさわしい素晴らしい内容でした(ちなみに本来はアルバムにはタイトルはなく、CD化の際に便宜上つけられたタイトルが『KIOTO』です)。

しかし作品以上に、ライナーノーツで触れられていた、1980年頃にニューウェイヴの影響を受けて再び歌い始めた、という話に興味を持ちました。このアルバムで鳴らされる歌声やサウンドが一体どうニューウェイヴに変容するのか? 気になって仕方ありませんでした。やがて『ビートミンツ スローミンツ』『ミントスリーピン』という2枚のCDが出て、全貌が明らかになります。そちらも本当に素晴らしかった。

ライナー途中に出てくる「スーパー・ヒューマン・クルー」というバンドの名前もそそられました。それなりに昔の日本のミュージシャンの音源を聴いてきたつもりだった自分が、まだ一度もその名前を聞いたことがなかったからです。それもそのはず、音源を出してないバンドだったのですね。音源がないことには後追いには辿りづらい……。スーパー・ヒューマン・クルーがただの無名バンドだったらまだよかったのですが、フリクションの前身バンド3/3のさらに前身バンドBlow Upが枝分かれして3/3とスーパー・ヒューマン・クルーになった、というのを知ったせいで一気に興味がわきました。なぜそこにオクノ修がつながるのか? 東京と京都をつなぐ、ロックの地下水脈としか言いようのない奇妙な歴史を感じさせました。

20年前の自分にとって『KIOTO』は謎の多い、東京からそこそこ遠い土地で作られた、神秘的な雰囲気を保っていました。今はわりと調べて、昔よりは冷静に聴けます。あの頃知りたかったけど知れなかった話をここにメモ書きで残しておきましょう。

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2001年以降に雑誌等に書いた記事を全部ここで読めるようにする予定の定額マガジン(インタビューは相手の許可が必要なので後回し)。あとnoteの有料記事はここに登録すれば単体で買わなくても全部読めます(※登録月以降のことです!登録前のは読めない)。『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』も全部ある。

2001年以降に雑誌等に書いた記事を全部ここで読めるようにする予定です(インタビューは相手の許可が必要なので後回し)。テキストを発掘次第追…

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