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プロローグ(NYLON100%)

「ナイロン100%」とは、一九七八年八月から一九八六年三月まで渋谷にあった〝伝説〟の喫茶店である。店内は白く無機質な内装、BGMは最先端のパンク/ニューウェイヴ。ヒカシュー、プラスチックスなどが早い時期にライブを行い、8・1/2、ゲルニカ、東京ブラボーなどがここを拠点に活動、ムーンライダーズやサロン・ミュージックの面々も客として訪れた。音楽関係以外にも写真家の荒木経惟や、漫画家の渡辺和博、ひさうちみちお、奥平イラらが展示を行い、『遊』の松岡正剛らも遊びにきていたという。同時に、初代店長の中村直也は友人らと「100%プロジェクト」を結成し、荻窪ロフトや新宿ロフトで月一でパンク/ニューウェイヴのライブを主催。他にも8・1/2のピクチャー・レコードの制作や、『宝島』をはじめとする雑誌の編集・執筆など、多彩な活動を行っていった。
八二年に二代目店長として増戸実が就任する頃、店内には大型のビデオ・スクリーンが導入され、海外の最新のビデオ・クリップや映画などを常時上映するようになる。この時期から、東京タワーズやナゴム・レコード周辺の人物が出入りしはじめ、後期ナイロンの顔となっていった。しかし渋谷の風景や客層の移り変わり、経営者の撤退など様々な要因により、増戸は閉店を決定。八六年三月にさよならパーティーが開かれ、ナイロン100%は終わった。

本書の目的はこの〝伝説〟の正体を暴くことだ。日々のスケジュールがそのまま歴史となるライブハウスなどと違って、喫茶店は休憩や待ち合わせ用途に使われる、単なる中間地点の場であるため、たいした記録が残っていない。にも関わらず、日本のパンク/ニューウェイヴを語る際に、ほぼ必ずといっていいほどナイロン100%の名前は登場してきた。かといって、そこがどんな店だったかは触れられないまま、せいぜい「戸川純がウェイトレスをしていたらしい」「ケラリーノ・サンドロヴィッチは劇団名〈ナイロン100℃〉をここから取ったらしい」という程度の認識のまま、あやふやに伝承されていたように思う。本書は七〇年代後半から八〇年代前半にかけての、一見関係なさそうな様々な出来事に寄り道をしながら、渦巻きをぐるぐる回るようにその中心に近づいていく。

ナイロン100%が開店してから三〇年経った。そこでは一体、何が起きていたのか?

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