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ばるぼらさんの全記事アーカイヴ

2001年以降に雑誌等に書いた記事を全部ここで読めるようにする予定です(インタビューは相手の許可が必要なので後回し)。テキストを発掘次第追加します。あとnoteの有料記事もここに… もっと読む
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2023年12月の記事一覧

2014年1月1日の新聞の報道をふり返ってどの新聞を買えばいいか決める

2013年12月30日に大瀧詠一が亡くなってからもう10年が経ってしまって、しかしなんだか本人がいないところで行なわれる未発表音源の発掘やらリマスター再発やら追悼特集やらはどうにも興味が持てず、買ってはいるけども、一度聴いたら終わりという感じです。 とくに雑誌の特集なんて、なんて言うんでしょうね、数人を除いて、「下手なことを言ったら本人に反論されたり怒られたりするかも」という緊張感を維持できていない印象です。この人の中に大瀧詠一はいないんだな、という感じ。コントロール欲の強

雑談:ポップカルチャーの歴史を書く時の最終目標を設定すると多分こうなる

みの『にほんのうた 音曲と楽器と芸能にまつわる邦楽通史』という本が出るというのが自分のツイッターで話題になってるのを見て、しかもその話題のなり方が微妙にネガティブ寄りな感じでした。ネガな側の言い分としてはようするに「お前に書けんのか?」ということでしょう。歴史を書くというのは超難しい作業であるという前提のもと、それをできるのか?と言いたいわけだな、と理解しました。 歴史、というのは昨今の文化現象において地位が急上昇しています。同時にものすごく嫌われる分野でもあります。どうい

『NYLON100%』不完全版・目次

2008年にアスペクトという出版社から出した『NYLON100% 80年代渋谷発ポップ・カルチャーの源流』という本がありまして、2023年にアスペクトが破産しまして、会社がなくなったようなので、もう出ることもないだろうからnoteに載せておきます。復刊の話も一瞬あったけど、まあ多分出ない。 とは言っても、インタビュー部分は許可をとらなくてはいけないため、ワタシが書いた地の文だけ、本文だけ、noteに載せます(有料だよ)。インタビュー読まないとわけがわからんだろうとは思いつつ

エピローグ(NYLON100%)

もう一度、本書のプロローグに書かれたナイロン100%の要約を読み返してもらいたい。ナイロン100%に関わった人々や出来事が時系列に羅列され、内容に間違いはないはずだ。だが、ここまで読んだ貴方なら、いかにこの要約が要約でしかないか、出てくる名前の一つ一つに、どれだけの物語が隠れていたのかがわかると思う。 本書に登場したほとんどの人にとって、ナイロン100%にいた時期は現在に通じる何かを始め出した時期と重なっている。それらはナイロン100%が影響を与えたというよりも、各々にとって

終章:ナイロン100%閉店[1986-](NYLON100%)

インタビュー部分は掲載許諾を得ていないので省略しております。本文のみで、不完全です。本の雰囲気だけ知りたい方向け。 ■一九八六年、ナイロン100%のおわり【ナイロン100%とCSV渋谷】

第四章:ナイロン100%第二期[1982-1985](NYLON100%)

インタビュー部分は掲載許諾を得ていないので省略しております。本文のみで、不完全です。本の雰囲気だけ知りたい方向け。 ■一九八二年以降、後期ナイロン100%【中村直也が辞めた後で】 中村直也が辞めた後のナイロン100%は、しばらくニャンコとバイト店員だけの時期が続いたようだ。ちょうどこの頃のナイロンを取りあげた記事が雑誌『UP』九号(八一年九月)に載っていた。

第三章:シーン再編[1981](NYLON100%)

インタビュー部分は掲載許諾を得ていないので省略しております。本文のみで、不完全です。本の雰囲気だけ知りたい方向け。 ■一九八一、シーン再編と拡散【一九八一年の100%プロジェクト】 レコード・リリース、ライブ企画、『宝島』の連載と、大きな動きが続いた八〇年に比べ、八一年の100%プロジェクトの仕事は表向きには地味なものだった。レコードが結局8・1/2一枚でリリースが終わったことは既に述べたが、「ナイロン100%デー(100%プロジェクトデー)」が八〇年一杯で終了し、再びラ

第二章2:100%プロジェクト[1979.11-1980.12](NYLON100%)

インタビュー部分は掲載許諾を得ていないので省略しております。本文のみで、不完全です。本の雰囲気だけ知りたい方向け。 ■一九八〇、100%プロジェクト【七〇年代から八〇年代へ】 七九年一一月一七日に神奈川大学で行われた「Electric Circuit for 80's」のパンフレットに、中村が七〇年代から八〇年代へ向けた状況論を寄稿している。タイトルは「いまさらプラスチックやセルロイド」。文章を少し抜き出そう。

第二章1:100%プロジェクト[1979.11-1980.12](NYLON100%)

インタビュー部分は掲載許諾を得ていないので省略しております。本文のみで、不完全です。本の雰囲気だけ知りたい方向け。 ■一九七九、ナイロン100%の盛行【アナーキー・フィルム・コンサート】 一九七八年八月に開店したナイロン100%は、しばらくは通常のロック喫茶としての営業を続けていた。それが変わりだすのは一九七九年。まず二月から毎月一回、店内で雑誌『ZOO』主催のパンク・フィルムの上映会が開催されるようになった。この上映会はもともと別の場所、吉祥寺DACスタジオ801や銀座

第一章:ナイロン100%[1978.8-1979.10](NYLON100%)

インタビュー部分は掲載許諾を得ていないので省略しております。本文のみで、不完全です。 ■一九七八、ナイロン100%のはじまり【ナイロン100%開店】

序章:プレ・ナイロン100%(NYLON100%)

インタビュー部分は掲載許諾を得ていないので省略しております。本文のみで、不完全です。本の雰囲気だけ知りたい方向け。 ■渋谷のロック喫茶〝めいじどうり〟【〝めいじどうり〟とは何か?】 柴田よしきのミステリ小説『少女達がいた街』(一九九七年・角川書店)にこんな描写がある。

プロローグ(NYLON100%)

「ナイロン100%」とは、一九七八年八月から一九八六年三月まで渋谷にあった〝伝説〟の喫茶店である。店内は白く無機質な内装、BGMは最先端のパンク/ニューウェイヴ。ヒカシュー、プラスチックスなどが早い時期にライブを行い、8・1/2、ゲルニカ、東京ブラボーなどがここを拠点に活動、ムーンライダーズやサロン・ミュージックの面々も客として訪れた。音楽関係以外にも写真家の荒木経惟や、漫画家の渡辺和博、ひさうちみちお、奥平イラらが展示を行い、『遊』の松岡正剛らも遊びにきていたという。同時に

「おたくの研究」再考

今更「おたくの研究」の話なんて、2000年頃ならまだしも、2020年代のインターネットにはありふれてしまって、新規性のある話を書くのが難しいネタですが、これまで誰も言及したことがない話があるのを思い出したから書く……。まあ大したことはないのですけど。敬称略。 前提・簡単なおさらい「おたく」と呼び合う人々がまず一定数いて、その呼び方を象徴と見て、ある種の人々に対する総称を「おたく」と命名しました。命名者は中森明夫。舞台は『漫画ブリッコ』1983年6月号です。白夜書房から出てい

雑談:オタク研究って気を抜くと男性視点になるなと思っている

こう、文化研究をしていると、誰しも自らの性別が持つ視点からは逃れられないなと痛感します。自分はバランス良く物事を見ている!なんて本気で言えますか? 男性は男性視点で物事を見てしまうし、女性は女性視点で物事を見てしまう。これは逃れられない。だから謙虚でいないといけないわけですが……。 「ホモソーシャル」という言葉が世間に流通するようになったのは2000年代に入ってからです。接頭語「homo-」は「同じ、同一」、「social」は「社会、団体」ですが、社会学の文脈では主に「女性