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115 学校において「みんな」とは誰か

聞いた話です。LINEの文面です。

「今日はみんな出場できたし、試合にも勝つことができました!」

という喜びの内容でした。あるお母さんがくれたもの、とのこと。

それを見て「うちの子は試合に出てないのにね」と。背番号をもらってないその子はずっとベンチでその日はスコアを書いていたそうです。

ここでいう「みんな」とは誰のことを指しているのでしょうか。

「大会には優勝できたけど、僕は試合には出られませんでした。いつ声がかかってもいいように準備はしてきたつもりでした。先生、僕に少しでもいいのでチャンスをいただけませんか。」

数年前に野球部の顧問をしているときに、ある子が書いた野球ノートの文面です。調子づいていた自分は「いただけませんか。」という懇願というよりか、この嘆願に打ちのめされました。地区の小さな大会でしたが、コロナでほとんどの大会が消滅し、やっと企画された小規模の大会。そこで〈結果〉が出せたといい気になっていた矢先のこれでした。

こんなこともありました。文化祭の日にクラス写真を撮ろうとみんなで写真を撮りました。片付けでこのあとは三々五々てんでばらばらになる予定だったので焦っていて、とにかく急がないと思ってのことでした。あろうことか、クラス全員いないのに、撮ってしまったのです。

〈全員〉とか〈みんな〉とか、学校で働いていると割と使いがちなフレーズです。聞こえもいいし「一人も見捨てない」というキャッチーな言葉は子どもたちに寄り添いたいと思う心ある先生には勇気の出る言葉です。

ただ、これが本当の意味での〈全員〉や〈みんな〉であるのか、というととても難しくなってきます。私は私だし、俺は俺。その集合が〈全員〉であったり〈みんな〉であるのです。

恥ずかしながら僕は〈全員〉や〈みんな〉を【個】とみなして動いてしまうことがあります。本当の意味での〈全員〉や〈みんな〉はそれこそ一人残らずいてこそ。雑に「全員での勝利」とか「クラスみんなが」とか声高にやってしまうのは実は先生のスタンドプレーではないか。

先のLINEを受けてその子のお母さんは、

「ウチの子の試合はスコアを一生懸命書くことだからね。そういう子への一言があってもいいよね。でもウチの子は頑張ったよ」

とのことでした。僕はとても重い言葉だと、聴いていて受け留めました。

ウチの子は一人。その集まりがクラスであり、部員であり、それが〈全員〉であって〈みんな〉なのです。つまり、その言葉はつかうにはとても重い責任を伴うことで、それを引き受けて初めてつかっていい言葉だと、僕は痛切に思うわけです。

最近は甲子園大会でも「スタンドにいるベンチに入れなかったメンバーも…」という言葉をインタビューで当たり前のように聞くようになりました。これは現場を預かる当事者としては綺麗事ではなく、本当にそれを背負ってここにいるのだという表明でもあるのです。同時に、それを言ってもらうことによってスタンドにいた人たち含めての〈みんな〉が完成すると、そんなふうに思います。

先の野球ノートの部員。引退試合となった3年生の最後の大会で出番を作ることができました。知らず知らずのうちに、勝つこと〈だけ〉にウエイトが行きがちになっていました。そして、その彼が出ている場面で必死に仲間が応援する姿を見て、自分はなんという失敗をしてしまったのかそこで自覚しました。〈みんな〉が試合に出て、その〈みんな〉がその試合で引退していきました。

クラス写真を撮るとき、「みんなおるか?」と何度も生徒に聞きます。あっと思っていつも言い換えます。〈みんな〉なんかいません。「おらん子、おらんか?」です。多くの子たちといると〈みんな〉でいる気になる。そこにいない子、いるはずの子がいないとわかって、やっと〈みんな〉が完成するのです。

スギモト