14 担任をしないとわからない子

いくら授業で行っていても、その子の良さはわかりません。クラスでの時間はいわば生活。生活をいっしょにしてみないとわからない。これが持論です。

二人の子の話をします。

一人目。彼女はおしとやかな、とてもおとなしい子。委員長をするようなしっかりした子でもありました。僕は真面目な、よくいる優等生の一人だと見ていました。自分のクラスの生徒になって、その良さをもっともっと深めることになりました。学年レクレーションの球技大会で、彼女はサッカーを選びました。その球技大会は男女混合で好きな競技をやっていいという趣旨。勝ち負けより、どれくらい楽しむかというものでした。

え、サッカーなんかできるの? でも、するんです。サッカー部の子はさすがに上手。で、その子に果敢に挑んでいきます。それを見て僕は「この子は本当にいい子なんやな」と実感しました。確か女子は数名。活発な子がエントリーするならまだしも、これにはびっくりしました。

「やってみたかったんです!」という彼女。いやあ、ええ子やわ。彼女は僕が3年間国語を受け持った縁もあり、高校卒業後は文学部に進みました。あんな授業でもしっかり受け止めてくれていたんやなと思うと胸アツでした。クラスでもやっぱり委員長。外から見ている以上に優しく、強く、そして気配りができる子でした。

そして今年の3月。「杉本先生、ごぶさたしています。もし間違っていたらすいません、さっき○○でパンを買われましたか? 杉本先生じゃないかなと思ったけど違ったらダメだと思って声をかけませんでした。実はレジ売っていたの私でした。お元気そうで嬉しかったです」

担任をしていたからこそ、より彼女の良さを知り、そして別れを悲しく感じる時間でした。

二人目。彼女はつんとしている子。表情もあまり出しません。違うクラスにいたときはずっと「なんかムスッとして、難しそうな子やな」と思っていました。そしてウチのクラスに来てしばらくして、僕は本当に見えていないなあと感じることがたくさんありました。

ウチのクラスでやっていた班ノートに、大好きなジャニーズのことをたくさん書いてくれました。「嵐の二宮より先生のほうが男前」という返しがハマったようで、猛烈な抗議を受けました。(笑)

ーちなみに班ノート。これすごくいいですよ。また機会があったら書きます。声なき声が聴けるようになります

さて、そういうやりとりを重ねていくうちに、陰で僕のことを「なおき」と下の名前で呼んでいるとタレコミがありました。表では言えない。これがまたね、いいんですよ。もう以前の「なんやこの子」みたいな印象はありません。僕も彼女とのやりとりがおもしろくなり、嵐の話をするようになりました。嵐のことなんかわかりません。二宮より、という話を延々とするだけです。彼女が家族の話をしてくれるようになり、だんだんと心を開いてくれているのだなと感じることが多くなりました。

懇談でもおうちの方が「先生になついているみたいです」とおっしゃっていました。お母さんも気さくな方で、ご縁で妹さんも担任をさせてもらいました。妹もナイスな子でした。お姉ちゃんの進路が決まって「よかったやん!」と話していたら懇談にひょこっと現れて「先生、合格しました」と。「え、敬語使えるの?」とまたひとイジリすると「使えますよ!」といつもの調子。かわいらしい子でした。

異論はあると思いますが、僕は「先生=担任」だと思って仕事をしています。担任をしないとわからない良さがあります。反面、しんどいこともある。しんどいことに関しては20年後くらいに語ろうと思います。(笑)

何でも3倍くらいに感じるのが担任の先生というものだと思います。何でもね(笑)