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虹ヶ咲3rdアルバム個人楽曲感想/1年生

 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 3rdアルバム『Just Believe!!!』すごく良かったです。

 良かったので、自分の「好き」を自身へ可視化するために、何がどう刺さったのかを言葉にしていきます。
 読み返して気付きましたが、楽曲感想の皮を被ったスクールアイドルここすきポイント語りです。

・「感想」であり「解説」「考察」とは全く異なります。
・性質上キズナエピソードやメインストーリーのネタバレを多く含みます

 では以下より、オタクが浅瀬で喋ります。
 学年ごとに分割。まずは1年生4人から。


やがてひとつの物語/桜坂しずく

 1曲の中で何度も歌い方が変わる、ひとつの舞台のように色んな姿を見せる曲。まず凄いの一言です。

 試聴動画で初めてBメロを聞いたとき、突然のセリフ調にめちゃくちゃびっくりした記憶があります。
 サビももしやそれで突き抜けるのかと思いきやそれはありませんでした。キズナの歌劇団の話に意識を持っていかれ過ぎた。

 この「桜坂しずくのソロなら大抵のことはあり得るのではないか」と思ってしまう掴み所のなさ、底知れなさは、スクスタで描かれてきた彼女の物語に起因するのではないかと感じています。

 彼女の初期から一貫している「演じること」への思いの強さ。それは時に、自分自身ですらどこまでが自分なのか、自分とはなんなのかを見失いかけてしまうほど。
 そしてこんな文章を書いていてなんですが、3曲聴いてキズナや諸々のエピソードを読み返しても、未だに彼女のことを掴めている気がしません。


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 この曲へ繋がるキズナ20話は圧巻のしずくオンステージでした(ゲーム的な仕様で言うと21話開放でプレイ可能になるのですが、内容に密接しているのは20話と捉えています)。

 彼女が朗々と語る「物語」は、明らかにスクスタ内の「あなた」が見聞きした彼女の姿や体験してきたことと重なります。

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 しかし、一通り語った後に問われた「この物語の主役はしずくなのか」という言葉に対して、彼女は「そうとも言えるし、そうとも言えない」「私であって、私ではないイメージ」と答えました。ここがとても難しい。

 一度言語というフィルターを通し物語へ変えた段階で、彼女の中では「桜坂しずく」という名を持つ「キャラクター」になり、自分自身とは≠の関係になるのでしょうか。どうなのでしょう。なにも分かりません

 2番の歌詞ではよりパーソナルな部分に踏み込んでいるように聞こえますし、実際そうではあるのでしょうけれども、上のキズナの流れを聞くと本当にそれだけなのかは分かりません。
 これは彼女の「人間」に対する解釈を理解できない限り到達できないのかもしれないです。哲学の領域では?

 人生は舞台、と捉えるしずくが歌詞の中で自分と「あなた」を振り返り、それすらも歌として改めて舞台へ上げていく。
 この「あなた」も「あなたであって、あなたではないイメージ」なのでしょう。
 凄い構成です。入り組み過ぎててもうよく分からなくなってきました。圧倒されています。だから好きです。

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 19話では「人はみな役者、世界は舞台、その物語を重ねてまた新しく物語を紡いでいきたい(意訳)」と語っていた彼女。
 「この世は舞台、人はみな役者」とはシェイクスピア喜劇『お気に召すまま』の有名なフレーズです。
 シェイクスピアがお気に入りと話していた記憶があるので、このセリフから彼女の世界観は確立していったのかも。

 そして2番サビの歌詞!!という感じ。冒頭2行が特に好き。

「はじめようここからがそう第三章
起承転結の転になる」

 なるほどそういう言葉を使うのか! という一体どの視点かもよく分からない感想を持ってしまいました。
 「第三章」というのは歌詞にある起承転結の転とももちろん繋がりますし、メタ混じりだと3つめのソロ曲、という部分にも通じます。

 演じているがゆえの壁にぶつかり、あえて素をさらけ出す選択をした1曲目。
 その経験を踏まえ、自分らしさとは演じることと改めて自己を見つめた2曲目。
 彼女自身の物語を語り、「あなた(人生という舞台を演じる全てのひとびと)」と共に未来を織り上げようと歌う3曲目。

 先に待つクライマックス、カーテンコール。そして更に先にある新しい舞台の幕開けで、彼女は何を見て、何を感じ、何を演じようと思うのでしょう。

 なんだか桜坂しずくという女の子への分からなさを痛感しまくる感想になっていますが、それはそれとしてすごく好きな曲です。
 単純に聴いても転調や後半のボルテージが上がっていく感じなど、ワクワクとエモを沸き立てながら4分が過ぎていきます。

 ここまでの書き口だとなんだか自分が彼女を常在戦場演劇フリークと捉えていそうに思えてしまいますが、きっと数多くの場面で、彼女の素を目にしてはいるのだと思います。

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 バレーボール顔面キャッチとかキズナ15話とか、あとは1年生同士で喋っているときは特に顕著とも感じています。

 ただ彼女にとってはその「素」と思える状態すらも、人生という舞台に立っている状態である以上、役者と演技という性質からは不可分のものなのかもしれません。
 考えれば考えるほど混迷を極めてきました。今後ももっと彼女の考えを知っていきたいです。


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 そして全くの余談ですが、キズナ15話で言っていた彼女の「お気に入りの場所」、一体どこなんでしょう。以降のキズナで触れられなさすぎて初見のとき思わず1話飛んだのかと思いました。
 Rサイドで言ってた海岸でしょうか…? 口ぶり的に喫茶店とかの気もしますし……。
 未所持URのサイドストーリーで話されているとかの場合は大人しくむせび泣きます。


アナログハート/天王寺璃奈

 自分自体やスクールアイドル像に悩む、というキズナのキャラも多い中、彼女のスタンスはブレずに一貫しています。

「みんなに気持ちを伝えること、みんなと心で繋がること、その先で一緒に知らない世界を知っていくこと」

 キズナでも迷うポイントは伝える「手段」や繋がる「方法」であって、根本の動機や軸はブレていません
 彼女は苦手なものに対して、周囲の人と現実的で具体的な手段を検討し、立ち向かっていきます。

 璃奈が他のメンバーから「強い人」「チャレンジャー」と評されるのはこういうところなのだろうと思っています。
 小柄な身体で、ブレることなく自分の殻や世界へ挑み続けている女の子。かっこいいです。

 キズナでも、自身のイベントから離れていってしまったファンの人たちにかなり具体的に行動を起こしていましたね。寂しいと思ったからだけではできない行動です。
 心を届けた人を取りこぼさず、手を繋いでその先も一緒に笑っていたい。いっそ貪欲とも言えるほどのパワーは、小さい体から世界に向かって広がっていきます。

 曲の中で特に気になったのはここ。2番のBメロです。

「いつでも胸の中には “ありがとう”と“ごめんね”を」

 ありがとう、は分かります。では「ごめんね」とは?
 正解は見えませんが、自分なりの解釈をしてみます。

 まず考えられるのは「表情を作れないためにうまく心を通わせられなかった人」「ボードから感情を汲み取ろうとしてくれる人」

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 そして「人と通わせたいのにうまく伝えてあげられない自分自身の心」
 きっとどちらも内包しているのでしょう。
 「ありがとう」と「ごめんね」の両方を向けられる人、どちらかだけを向けられる人もいるのかもしれません。
 けれどそのふたつは常に璃奈ちゃんの心にある言葉。どちらも原材料は「愛」です
 感謝の言葉はもちろんのこと、愛してもおらず、迷惑をかけても構わないような相手には、心からの「ごめんね」なんて言葉は出てきません。

 もう少し考えます。「キズナエピソード挿入歌」として見るとどうか。
 3rd楽曲に繋がるキズナを見る限り、少なくともよりクリティカルな対象者として、
「璃奈ちゃんを応援しているけど、静かに歌やお話を聞きたいというスタンスとのズレが起きてしまい、イベントに来なくなってしまったファン」
 が見えてきます。

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 彼女がスクールアイドルとしてあまり知られていないような初期の段階から、ボードという表現で自身を伝えようとする姿を応援している人たち。
 苦手に立ち向かう彼女の姿に勇気をもらっている人たちです。

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 そういう層こそが恐らく、璃奈ちゃんが過去のキズナで語っていた、手を差し伸べたい「昔の私みたいに、ひとりで寂しいなって思ってる子」なのでしょう。
 だからこそ、そういったファンの人たちや、そうではない人たち。
 その両方と一緒に楽しめるようにと頑張る彼女のキズナエピソードは心を打ちます。

 電波よりももっとアナログな心というもので、みんなに手を伸ばして繋がっていく。
 みんなと繋がりたいと願う璃奈の原動力、その原材料もまた、自分と関わる人、応援してくれる全ての人たちへの愛なのだと思います。

 最後にちょっと脇にそれますが、キズナ12話──初めて璃奈ちゃんボードを外し「あなた」の前でパフォーマンスをする回──において

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と彼女は言った上で、

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 あまりにもかっこ良過ぎて璃奈ちゃんのキズナの中で自分はここが一番好きです。

 特に「楽しませるよ」が最高です。「楽しんでね」という優しい呼びかけではなく「楽しませるよ」という力強い宣言
 先ほども書いたばかりですが、不安な気持ちもあるとすでに口にしてからのこれです。かっこよすぎる。

 小動物っぽさや、QU4RTZでとりわけ顕著な妹っぽさというはちゃめちゃ可愛い要素の中に、通底するブレない力強さ。
 この曲が柔らかくポップな歌い口でもどこか頼もしく聞こえるのは、こういうところにあるのだと思います。


決意の光/三船栞子

(単独の試聴が無かったため再掲。14:35〜あたりから)

 正直に言うと感想として書けることはまだ少ないです。かっこよくて好き、というのはあるのですが。
 というのも、まだ「スクールアイドルとしての三船栞子」について知っていることがほとんど無いからですね。彼女自身と同じように、手探りで知っていく段階にあります。

 ソロ1曲目はだいたい名刺やアイコンのようなものというか、初見の人にも分かりやすく「この子はこういう方向性ですよ」というイメージを4分前後にデフォルメした曲が多いです。特にかすみの「ダイアモンド」や果林の「Starlight」が分かりやすいかも。
 この曲もその例に倣っていると受け取っています。

 三船の伝統を負っている彼女を示す和テイストに、未知の世界で手探りながらまずはがむしゃらに進む、勢いのあるロック
 「和をモチーフにした熱く真っ直ぐな子」という方向性はこの1曲でだいたい分かります。

 一方、掘り下げという点については2、3曲目に敵わないでしょう。
 それはそう。1曲目に詰め込まれたら絶対に情報過多で訳が分からなくなるのでそれで正解です。俳句とかでも絶対やっちゃダメなやつ。
 という意味で、自分はまだスクールアイドルとしての彼女をよく知りません。なので語れる言葉も多くは持ち合わせていない、ということになります。

 ただそれでもひとつ分かるのは、彼女の冠する「まっすぐ系」の「まっすぐ」が、同好会に入る前と後で明らかに変化していること。


 自身の「適性を見抜く力」を信じ、現実や他者との乖離の原因も分からず盲目に突き進んでいた、暴力ともなり得る「まっすぐ」
 それが歌詞にもある通り、迷い、それでもその先にある理想に向かって進んでいく、という意味での「まっすぐ」に。

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 迷うということは、ときに立ち止まり、周りを見渡し、場合によっては今まで見た道を振り返る行為を内包しています。
 これは同好会絶対潰すガール・スクドル認めないガールと化していた時期の彼女からしたらあり得ないことです。

 彼女、18章で「そもそも他者と共有できるタイプの人生経験が少なそう」感がすごくなってきました。
 才能で人を「配置」するカリスマではなく、本当の意味で人に寄り添い、正しく導けるようなリーダーに成長していくのは、まだこれから先の物語なのでしょう。
 誰かに寄り添うためには、相手を知り、共感を示し、例え納得できなくとも理解を示す姿勢が必要です。

 彼女が言う「正しく幸せに」の「正しさ」の根拠をどこに定めるかで話が色々変わってきそうでもありますね。
 「正しさ」を自身の中だけでなく他者との対話や相互理解の中で探っていく、という出発点を見つけられたとき、理想の世界へ向けて彼女は一歩大きく前進するのかもしれません。

 ところで、同じ和でもエマは雄大さ、温かさ、連なる歴史の連続性を感じさせるものに対して、栞子のそれはもっと属人的というか、等身大の熱の塊のようなイメージです。
 音楽ジャンルが民謡と和ロックで違うのももちろんですが、内包するものも大きく異なっているのがソロの面白さだなーと感じています。


Margaret/中須かすみ

 曲名が「鏡よ鏡」の白雪姫を示唆していて無敵級*ビリーバーとモチーフが共通している
とか、
 カタカナ読みだと恋占いの花のマーガレットと、貝が異物などで傷つき、それを膜が覆うことで生まれる真珠とのダブルミーニングっぽくなっている
とか、その辺りのエモは先達の方々の解説があると思うので省きます。

 1番の試聴段階でもおかしくなりそうだったのに2番の歌詞と転調で情緒が壊れました。
 内容ももちろんですが、(メタ視点だと鈴木エレカ神なんですがいったん置いておいて)キズナエピソード上のやりとりから見て、この歌詞を彼女自身が書いたという事実にです。

「聞いて!
 全部伝えたとしても 離さないでほしい」
「ヴェールが包む隠れた私 驚かせちゃってほんとにごめんね」

 ちなみにふたつ目に挙げた歌詞は「驚かせちゃった」対象を2通り想定できます。
 ひとつはスタンダードに、隠れた私を見せた相手。この歌詞だと「君」にあたります。
 もうひとつは、ヴェールを自分自身にとっぱらわれた「隠れた私」
 ストレートに考えれば前者なのでしょうが、後者で解釈しても面白いかもしれません。

 話を戻します。つまるところ裏を返せば「全部伝えたら離れてしまうのではないか」「隠していた自分を見せたら驚かせてしまう」という不安が心にあると言っているようなものです。
 2度目になりますが、キズナ上ではこれを中須かすみが書いています
 
 推測ですが、もしこの歌詞の要素を「みんなのかすみん」フィルターに通したら、

「ぜーんぶ伝えたとしても最高に可愛いかすみんのこと、みんなはだーい好きですもんね♡」
 とか

「こっそり隠してたアンニュイかすみん、そのあまりの可愛さにメロメロになっちゃいますよね〜?」
 みたいになっちゃう可能性もあります。

 ちょっとこれはやりすぎかもしれませんが、要するに、彼女が望ましいアイドル像とする「自信に満ちた一番可愛いスクールアイドル」としての言動になってしまうということです。
 だからこそ、ファンのみんなにも届ける歌詞として、彼女は素かそれに近い気持ちで言葉を書いていると分かります。


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 見せるのは不安だけれど、それでも見て欲しいし聞いて欲しい。
 その上で、そこも含めた自分という存在を好きになって欲しい。

 そして、好きでいてくれる相手のために、もっと素敵になれるように頑張りたい。

 飾らない願いがいじらしいし可愛くて仕方がなくなる歌詞です。
 キズナでは「そういう風にアンニュイに”振る舞って”キュンとさせる作戦」と本人は称していますし、「あなた」はそれを否定していないので、これ以上ここについて突き詰めはしませんが。

 キズナ21話で出る下の選択肢を選ぶと聞ける彼女の言葉と、なによりも声色が全てを物語っています
 表情はいつもの笑顔なのに……なんてことを言うんだ……なんて声で……
 直接見ていただきたいので画像は貼りません。

 どんな姿でも可愛いと言ってくれる人がいること。そばで支えてくれる人がいること、そのままでも寄り添って励ましてくれる人がいること。
 それが彼女にとってどれだけの意味を持っているのか。

 ゲーム内ではたった2行のテキストですが、あまりにも雄弁に語ります。
 もし未聴の方がいたらどうにかボイスありで聞いてみてほしいです。できれば全人類。

 無敵級*ビリーバーもMargaretも、中須かすみという女の子の素に近い内面にスポットを当てている、という点では共通していますが、アプローチは異なります。
 無敵級が自分が自分を好きになるための応援歌、自身を奮い立たせるための歌だとして、Margaretは明らかに対面に他者の存在があるという点です。

 それはファンであり、仲間であり、スクスタの「あなた」でもあり。
 パーソナルに踏み込む、というテーマでは同じでも、アプローチの違いでこれだけ曲調も歌詞も異なるものが出来上がっているのが面白いです。
 念のため断りを入れれば、これはどちらが良いとかの話ではありません。自分は両方に殴られ情緒が崩壊しました。

 内面を描く2曲を反復横飛びしながらアイドル像を描く1st2ndも間に挟んで聴いているので、中須かすみソロ曲でボックスステップを踏んでいるような状態です。

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 ところで、曲の歌詞で彼女は自分の弱さを表現している(という作戦(ということにしている))のですが、この括弧書きの連続の通り、まだ自分自身の本当の言葉として直接それを「あなた」に伝えることはしていません。

 それは彼女の意地や見栄、あるいはプライドによるものなのかもしれませんし、言葉で言わずとも踏み込んで、その上で肯定してほしいからかもしれません。正直分からずにいます。
 この点が今後どうなるのか、あるいはどうもならないのか。
 引き続き情緒をかき乱されながら見届けていきたいと願っています。


 以上、1年4人の曲感想です。
 繰り返し聴くたび感想や感情は移り変わったり増したりしていくので、これはあくまで今の自分が抱いた印象の文章ということになるでしょう。
 しばらく後に読み返した自分がどう思うのか、怖さ半分楽しみ半分の気持ちでいます。

2年生の3rd楽曲感想は以下より。

3年生の3rd楽曲感想は以下より。


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