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#151 カリスマ【Gt.Fu-ki】

 預言者のように形容し難い超常的な何かがあるとか、英雄譚のように偶然と奇跡の積み重ねを運命と名付けるとか。
 そういった資質が人を惹きつけるとして語られ、非日常感が寄り添えば、それは立派なカリスマで宗教だ。
 
 カリスマ~と、巷の手垢に塗れ俗物の代名詞ともなってしまったが、神の恩寵だったり、日本語的には天稟であるとか、ネガティブな印象を抱かない言葉回しもある。
 しかし昨今カリスマと言われると、投資家だとか声優だとか調理師だとか、神秘性は存在せず、下手をすれば詐欺臭い。
 
 オカルト的であったり時代の寵児であったり、そうした切り口で語ると偏見や何かで凝り固まってしまうし、そもそも実感が湧かない。
 だから、もっともっと身近な視点でカリスマを分解して、自分の中に落とし込んでみたら、思いのほか単純な仕組みな気がした。
 
 シンプルに、癖が強くて頭が良い。
 
 持論として敵が居ない人間は疑ってかかる、なんて理屈がある。敵が居ない、もしくは少ない人には味方も少ない場合が多く、それは八方美人ゆえ。
 敵も味方も多い人間は、何かしらのスジだとかルールに従った結果としての状況で、それを恐れていない。
 
 閑話休題、話を戻そう。
 癖が強いと敵も味方も増える。少なくとも確実に敵は増える。その時点で一つの篩として機能をしていて、残った味方は多少なりとも惹きつけられる側の才能がある。
 そして頭が良い人間は、自分の何に惹きつけられているのか、どこで篩に残ったのかを的確に把握し、意識せずとも望まれた立ち居振る舞いが出来る。勿論意識しても出来る。
 平たく言えば、自分の癖の強さや指向性を理解した上で、自分を綺麗に見せる手段を心得ている人間。そういった資質を持つ人は身近なカリスマ足り得るのだと。
 
 もう少し悪し様に宣えば、必要に応じて自分の役割を果たし、出来る範囲で要求に答えてきた過剰適応のなれの果て。
 それが身近なカリスマであって、それはエリートサラリーマンなのかもしれない。

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