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#023 記憶に残る正月の思い出【Gt.フーキ】

 2021年が始まりましたが何とも言えない年明けで。今回のお題は「記憶に残る正月の思い出」なのですが、今年の正月は色々な意味で記憶に残りそうです。酒も呑んだし、フグも喰ったし、散らかったし、コロナだし、牛丼喰わされて死にそうになったし、1月が始まるや否やの映像記憶は枚挙に暇がない。
 まぁこの何年か、お店を始めてからは年越しは茅ヶ崎Loginの恒例イベントになっているので、そんな記憶ばかりです。なのでもうちょっと昔を思い出してみようかと。


 最初に出てくるのは軽井沢ですね。薪をくべる暖炉に螺旋階段、渡り廊下のゲームコーナーに大浴場。バブルの残り香的な何かで年末年始をホテルで過ごしていました。
 小さい時は散策に出て遊んでた記憶があります。もう少し大きくなってからは持ち込んだ文庫本を読みつつ、妹と遊んだり、姉とスリークッションをやった記憶が結構鮮明にありますね。ちゃんとキューも握れなかったのでしょうが教えて貰いつつ「ビリヤードをやった」だから大人だといった感覚を覚えています(苦笑)

 きっと凧あげや羽根突きもやったはずなのですが、記憶が朧気ですね。どこかのタイミングで書初めをしたことがあるのは覚えていますが……軽井沢の鮮明さには勝てません。
 他に自宅で過ごすお正月というのは母親と一緒に作った御節を食べながら、栗きんとんの練りが甘いとか、なますが旨いとか、そんな話ばかりでしたね。父親の地元が新潟なんですが、そこの日本酒を呑みつつ、雑煮を喰って過ごしてた記憶がありますが、こうして書いていくと、案外何も覚えていないのだなと。
 

 ただ、そんな中でしっかり覚えていることが1つ。アル中の叔父が来た時ですね。
 小さい頃は本当に嫌いだったのを覚えています。酔っぱらって騒いでダル絡みしてきて、もうね、本当に嫌いでした。憎む相手ってのは自分の可能性なのだと、大人になってから先輩の言葉に納得したことがあります(笑)
 二十歳前後の正月ではあまりのウザさから殴る寸前まで行きました。流石に顔面殴るのは不味いだろうと壁を殴って、右手にヒビを入れたか剥離骨折したのをぼんやり覚えています。親族の前で殴り掛かる程度には本当に嫌いだったんですね、やっぱり。

 けれど不思議なもので、20も半ばの頃には何故か仲良くなってました。人生で2回破産して家族にも捨てられた土地転がしの男が「自分の墓はもう買ってある」と、酔っぱらいながら朗らかに叫び「だから好きな事をやるんだよ」なんて宣うのだから、生き様みたいなものに惹かれたのでしょうね。
 そこからは一緒に呑んだりもしました、奢りは極稀で割り勘なら良い方です。
 もう少し本を読んだ方が良いと、部屋の蔵書を眺めては官能小説を沢山くれました。
 帰るから駅まで送って行けと言われて、電車代と行きがけの酒と煙草は間違いなく私の払いでした。

 改めて文字にしてみましたが、対外的に褒める所が何一つ見当たりませんね。でも、男の持つロマンってのはそんな所にある気もします。
 人からは褒められないのが前提で。金にもならず怪我もするし、意地を見せたり見栄を張ったり、なんの役にも立たない美学とも自己暗示とも言える何か。死ぬ準備は出来てるから好きな事をするんだという、そのどうしようもない姿勢が多分好きだったのだと思います。


 自分の価値観というか、ルパン三世的に「男には自分の世界がある」といった事を実感させてくれた相手です。命日が2月14日だったのもあり、正月から命日までの思い出は全部持って行かれてます。
 私が商売を始めたから、より一層色濃く思い出してしまう。生きてたら、もう少し色々な話を聞けたなとか考えてしまいます。この時期に思い出す事はそればかりですね(苦笑)
 そういった訳で、正月の思い出はアル中の叔父さんでした!!

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