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#141 パンチラと犬の糞【Gt.Fu-ki】

 これはとある悟りの話。
 この年齢での気付きというのは早々得られるものではなく、正しく天啓であると確信したのがこのタイトル。
 バンドのコンテンツとしてこれで良いのか、お伺いを立てる程度には正気で、閃いた瞬間は気が狂ってるかと疑いもしたが、日が経つにつれて正当性を増してくる。
 パンチラと犬の糞、その相関関係から導き出した答えについて一つ。
 
 7月初頭、バンド練習の為に鶴見へ向かうが、横浜駅での乗り換えは困難を極めた。エフェクターを買い替えたが故に大型化し、車輪の付いたハードケースを引くものだから、歩みも遅くなる。
 陽が落ちても熱量を保つ地下空間、人混みに流されつつも緩々と進む。遅々とした人流に嫌気がさし、一度立ち止まってビールを呷る。ぬるくとも、僅かばかりのアルコールであれど、効果は高い。
 気を取り直し、心なしか大股で京浜東北線へ向かう途中、視界に入った。

 早くホームへ抜け出したい焦りが人の流れを読み、周囲を観察させる。
 その結果として起きた悲劇でもあり、悟りへの第一歩でもある。
 そう、兎も角。視界に入ってしまった。ここが始まりだ。
 
 それはFFシリーズでお馴染みの魔法と同じく、空間を歪ませ周囲に場を形成していた。高い質量で惹き付ける重力そのもの、悪目立ちである。
 しかし悪意や侮蔑で終わらずに、期待と好奇の視線を集めつつ、お構いなしといった素振りで貸しロッカーを漁り、荷物をぶちまけ床に座り込むイマドキのJK。
 4人か、6人か。人数も姿形も覚えては居ない。大した問題ではないからだ。本質は平成初期のギャルが夜遊びに繰り出す準備として欠かさずに行っていた古の儀式、生着替えを現代に持ち込んだことである。

 ジャージ→制服スカート→私服。
 この手の流れはガングロやコギャル全盛期の常套手段であり、日常であった。それが駅構内でも教室でもコマ劇場前であっても、ありふれた光景でしかなかった。
 それを令和のJKが踏襲している違和感と懐かしさ、そして重力場。釘付けとは正にその通りで、脚は動くが目が離せない。
 大股で歩いてはいるが首は徐々に旋回し、目を離せない。
 
 そしてその時は来た。
 座り込むJKのパンチラである。
 
 しっかりと脳裏に焼き付いている。紺色の制服、少し日焼けした肌、濃くて品の無いピンクの下着。
 多分、これも遺物となった見せパンだろう。もう少し詳しく観察すれば、もしかしたら、ルーズソックスだったのかもしれない。
 何にせよ、横浜西口のドンキかビブレで、4桁未満で手に入る代物。世代相応であるし、人種的にも整合性が取れる。
 これが真っ白の綿素材であったのならば、悟りへ繋がらなかった可能性すらあるが、ただただ順当なパンチラであった。
 
 嵐の日には神風は吹かないものかと憂い、強風の朝には天佑神助かと勇み、惜しい瞬間は呪詛を紡ぐ。そう、パンチラで一喜一憂したのだ。
 相応の情熱を注いで来たからこそ、現実となった際の、等身大で通常運航のパンチラが、ラッキースケベ未満でしかない。その現実は重い。
 滾る精力を持て余す若さではないが、情念やらが見当たらない。恋焦がれたホームへ向かいつつも何かないかと、足りない頭をフル回転。冷房の効いた車内に乗り込む直前で「汚ぇな」と、ひとりごちた。
 
 
 ~の乱、~戦、~役。歴史を紐解けば人々の諍いに名前がつき、ある程度の分類化が進んでいます。
 詳しくはないのですが、争い事の中でも政治的な変革を齎したか、その可能性が高いものを~変と呼称するそうです。
 この悟りはパンチラを目撃しなければ至らなかった極地であるからして、パンチラの変と呼ぼうと思います。


 パンチラの変から数日、じわじわ暑さを増しながら高い湿度を誇る日中。夏直前の猛暑に二日酔いの頭を抱え出勤する最中、閃いた。
 車の脇をすり抜ける女子高校生か、視野の先で揺らめく陽炎が誘う夏か、片手に握ったスポーツドリンクか。
 今となっては気が付いてしまった衝撃が全てを上書きし、切っ掛けは思い出せない。しかしそのどれか、もしくはそれら全て、そして見えざる何かが、同じ答えへと収束され答えを導き出した。

 犬の糞だと。
 
 昨今、マナー向上によって道端に犬の糞は落ちていない。でも小学生の頃は雨に濡れてグズグズになったエロ本と同じ位の遭遇率で、そこかしこに散らばっていた。
 好奇心旺盛な当時の通学途中であれば、確実に木の枝で弄んだ。エロ本は拾って教卓に押し込んだ。それが汚いと知っていても、楽しいが優先されたし、それだけで本当に楽しかった。
 本当に他愛ない、知的探求心とさえ言えない、無邪気な好奇心。中学生になって性であったり酒や煙草といった不良に向けた憧れでもあり、高校生になって夢に見た車やバイクや楽器でもある。
 
 男子諸君、特に80年代生まれならば尚の事、思い出して欲しい。
 うだる様な夏休み直前の最終登校日、あの日に見かけた人とも犬とも区別のつかない糞。記憶の片隅に蔓延っているだろう?
 同じく河原に落ちてる湿ったエロ本、マセた同級生の透ける下着、二人乗りのステップが付いた自転車、髪を染めた友人が吸い始めた煙草、親族が内緒で一口くれる酒、先輩の運転する車でのナンパ、初めて楽器に触れた全能感。
 そこへの情熱や希望がその世代であったはずだ。
 
 無知が故に持ち合わせていた憧憬はやがてセピアに朽ちて、経験の積み重ねから夢ではなく現実に成り下がる。
 望むエロを実現させ、自転車を下りて免許を取り、酒や煙草はただの日常でしかない。全ては手にした過去になった。
 奇跡的に拝めるパンチラでさえ、偶然に左右される現代の犬の糞と大差がないのだと、改めて気付いてしまった。
 後生大事に抱えてきたが、べつにそれは、思っているほど大事ではない。散々口に出して、パンチラが存在しない世の中など滅べば良いと宣ったものの、実際には昔に好きだった漫画を読み返した時の様に感慨に耽り、記憶の引き出しを開くトリガー程度の意味しか持たない。
 
 パンチラは我々少年の持つロマンの欠片だった。

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