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バタフライマン 第16話 銀の海豚と化け鯨

港に一組の男女が佇んでいた。女の方は隣の男を憧れの目で見つめていた。彼女は数か月前にこの男と交際し始め良好な関係を築いていた。女は近いうちにこの男と結婚したいと思っていた。彼女の両親もそれを快く歓迎してくれた。男は女の耳元で愛の言葉をささやき、急に女の体を抱き寄せた。大柄な男はそのまま堤防の上に上がると、女を抱きかかえたまま
―海に飛び込んだ。
そのころ、女の両親は彼女が男と共に出かけて行ったきり、一向に帰ってこないことを不思議に思っていた。彼女は夜遊びをするような人間ではない。これまでも一度たりとも夜遅くに帰ってきたことなどない。日没までには必ず帰ってくるのだ。両親が一抹の不安を抱きながら娘の帰りを待っていると、突如として窓から何かが投げ込まれた。それは濡れた布に包まれグチャグチャにつぶれた肉塊のようなものだった。夫婦が身を寄せ合って恐怖に震えていると、窓から娘の恋人が入って来た。男はなぜかぐっしょり濡れた体をしていた。
「よぉ。お父さんにお母さん。」
そして両親に向かって声をかけた。
「いきなり何をするんだ!娘はどうした?」
父親が語気を荒らげて言う。
「え?今投げ込んだだろ?」
母親は先ほど投げ込まれた肉塊のようなものを見て、悲鳴を上げた。その肉塊についていた布は娘が着ていた服だった。
「うちの子に何をしたの?」
「ちょっと海底まで散歩に連れて行ってやったら、ぺしゃんこに潰れちゃったよ。よくもまぁこんな軟弱な娘育てたもんだね。」
「な、何を言ってるんだ…」
「私の娘を返して!」
「うるさいな。未練がましいよ。全部お前らのせいだろ。」
男はそう言うと、両親の方に顔を向けた。男の額が黒く盛り上がり、キィンという不気味な不協和音がそこから出た。それを聞いた両親は耳を押さえてもがき苦しみ、やがてその頭部が脳漿をまき散らして破裂した。男はそれを見るとフッと笑いながらその場を去って行った。
 
レイブンは憤慨していた。彼の群れのカイジンは軒並み「繭」の戦士によって討伐され、残るはブルーシャークとあと一人を残すのみとなっていた。そのカイジンの名をケートスと言う。だがそのケートスは群れの中でも屈指の異常者であった。彼はレイブンに褒美をもらったり、「繭」を倒したりすることに全く興味を持っていなかった。あるのは人間の女を自分の住処である深海で生きたまま犯すという願望のみ。年中女を犯すことばかり考えており、それしか眼中にないと言っても過言ではない。レイブンはこの男のことを見放していた。カイジンにとって異常性や人間に対する残虐性は賞賛されるべきものだが、この男は今のカイジンたちに最も必要な「繭」の排除のことを全く考えていないのだ。そのためレイブンは彼に微塵も期待を寄せてはいなかった。彼はもう腹をくくり、自ら出撃す
ることを考えていた。
 
そのころ、アオキ・ワタルはメタモル・シティの海浜地帯を調査していた。近頃、恐ろしい猟奇殺人犯が出没しているというのだ。現場には必ずグチャグチャに潰れた女性の死骸と、頭部が破裂したその女性の両親と見られる男女の死骸がある。この連続一家惨殺事件はもう三件目にのぼり、警察は半ば匙を投げかけている。そう言った事件を調査するのが「繭」の役目なのだ。そう言った残虐かつ不可解な事件には十中八九カイジンが関わっている。しかし、生きている被害者が一人もいないし、犯行の現場を見たものも誰一人としていない。また、「繭」は非政府組織であり、現場に立ち入ることも許されない。カイジンの居場所を突き止めるためには被害者の身辺を独自に調べる必要が出てくる。殺された女性は皆、犯人と交際関係にあったのではないかと警察やメディアは見解を述べている。これは本当にその通りで被害者たちはいずれもジョージ・イサナなる人物と交際していたことが被害者たちが利用した施設の記録などから分かっている。そのジョージなる人物はいったい誰なのか。ここが謎である。そのような名前の人物は戸籍に登録されておらず、全くの謎に包まれている。現場にも不可解な点があり、磯の臭いが漂っていたこと、そして最大の謎は潰れた女性の死体の髪の毛から深海棲のプランクトンが見つかったことである。これを聞いたワタルはすぐに確信した。海に棲むカイジンの仕業と言うことは間違いない。ワタルはカイジンが女性を生みに引きずりこんで水圧で潰して殺したという結論を出した。ならば、海浜地帯を見回っていれば、必ず姿を現すはずだ。何のためにそんなことをしているのかはよくわからないが、カイジン一族の残虐行為には理由などない場合が多いので大した問題ではなかった。ワタルは海浜地帯のカップルが集まる港などを中心に見回りを続けていた。すると、人気のない堤防のある海辺に男女が向かっていくのを確認した。男はがっしりした体つきで髭を生やしている。いかにも体力に長けていそうながたいのいい男だ。二人の雰囲気は相思相愛のように見えた。しかし、なぜあんな暗い場所に入っていくのだろう。ワタルは怪しく思いその二人に目を付けた。男は女の耳元で何かささやくと女を抱きかかえ、堤防の上に上った。女は戸惑い、不安そうな表情を見せた。そしてそのまま男は海に飛び込もうとした。
「待て!」
ワタルは急いで男を呼び止めた。男はワタルの方を向いた。
「なんだ。水を差さないでくれ。これから彼女が俺に相応しい女かどうかを試すんだからないで。」
「彼女をどうするつもりだ。」
「お前には関係のないことだ。あっちに行っていろ。」
「これを見ろ!」
ワタルは銀の海豚の形をした強化服をかざした。カイジンを討つ者の証である。
「それは!」
「貴様は人間ではないな?」
「ばれたか‥まぁ仕方がない。お前を嬲り殺しにした後、彼女との海底散歩を楽しむとするか。」
男は女性の体を投げ出そうとする。ワタルはすぐに飛び出し、その体を両手で受け止めた。
「早く逃げろ!奴は君を殺す気だ!」
ワタルはそう言うと、彼女は涙目で頷きながらその場を走って去っていった。
「よくも女を逃がしたな!『繭』の戦士め。」
「逃がさなければ彼女は死ぬ!殺す気だったんだろう!」
「殺す?誰がそんなことを言った。あの女が俺との海中散歩に耐えられれば、晴れてこの俺と結ばれて一緒に暮らせるはずだったんだぞ。」
「深海に引きずりこむんだろう?」
「そうだ。それに耐えられた女だけが、俺の女に相応しい。」
「そんなことをして生きていられる人間がいるはずがないだろう。この気ちがい半獣め!」
ワタルはそう敵を怒鳴りつけると、強化服を構えた。
「Tursiops truncatus。」
「装身!」
ワタルは銀色の海豚の鎧をまとった騎士のような戦士に姿を変えた。男も蒸気を体から噴きだしながら本当の姿をさらけ出す。体がむくむくと大きくなり、青黒い体で身の丈四m以上もある鯨の獣人に姿を変えた。
「見ろ。このたくましい姿を。カイジン界一の伊達男とは俺のことさ。」
「いかれた化け物め。行くぞ。」
ワタルは銀色の拳を構えた。
鯨男は巨体を構え、猛然と襲いかかってきた。まるで大岩が突進してきているかのような気迫だった。ワタルは不覚にもその気迫に怯んでしまい、そのまま弾き飛ばされて堤防に激突する。その勢いで堤防のコンクリートが崩れる。鯨男は再びワタルに向かって突進してくる。ワタルは起き上がると今度は冷静かつ瞬時に状況を判断し、今度は身をかわした。
鯨男は勢い余って堤防に頭部を強打する。
それを見ながらワタルは
「どうした?お前の力はそんなものか?」
と言う。鯨男は牙を剥きだした恐ろしい表情でこちらを睨み、
「いいや、まだまだだ!」
と叫び、突き出た額をワタルに向かって向けた。
「どうするつもりだ!」
「消し飛んじまいな!」
鯨男―ケートスはそう言うとその額からキィンと頭に響く音が出た。その刹那、凄まじい衝撃波が発生し、ワタルは激しく後ろに吹き飛ばされ、港に積まれていたドラム缶に激突した。ケートスは発達した頭部から超音波を出して敵を攻撃することが出来る。その超音波は生物の体を破壊してしまうほど強力だ。犠牲者の女性の両親の頭を吹き飛ばしたのもこの音波である。ワタルはドラム缶の山の中から起き上がった。
「『繭』の戦士め‥一筋縄ではいかないな‥」
ケートスは並の人間なら全身が爆発四散するほどの最大威力の超音波をワタルに向けて発射した。だが、「繭」の開発した強化服はそれに見事耐えきり、ワタルの体を守った。しかし、その衝撃波により彼の体には大きな負担がかかっており、彼は体勢を立て直すまでに時間を要した。ケートスはその隙を突いて拳でワタルの胴を殴りつけた。
「がっ!」
「どうだ。俺はお前ら人間に己の弱さを思い知らせるために女どもを深海に連れて行っている。もし耐えられる女が出てきたら、殺すのをやめてやってもいいぜ。」
「ふざけるな。私が断言しよう。そんな人間など存在しえないとな!」
「まぁそうだ。だからこそ、弱い人間に代わって俺たちカイジン一族がこの世界を支配する。軟弱な人間どもよりも、俺たちがこの星の支配生物に相応しい。強い者こそが全て制するのだ!」
「貴様らが支配生物?笑わせてくれるな。」
「何がおかしい!」
「貴様らカイジンは人と鳥獣魚虫が混ざったこの世でもっとも忌むべき存在だ。自然の摂理に逆らった生物だ。そんなものの存在が許されるはずがないだろう。」
「やはり貴様には命をもって俺たちの恐ろしさを知ってもらうしかないようだな!」
ケートスはそう言うと、海に飛び込んだ。
「こっちに来い!お互いに有利な環境でやり合おうじゃねぇか!」
「いいだろう。」
ワタルは勇ましく海中に飛び込んだ。そして海中の死闘が幕を開けた。ケートスが頭を上に上げるて咆哮する超音波が出て半径10m以上の水域に広がった。。周囲の魚が音波の影響で次々と絶命していく。ワタルは強化服の力で何とか耐えるが、強化服とて壊れない保証はない。この殺人音波を何度か浴びていればいずれもたなくなる可能性が高い。なんとかして音波の発生源を破壊せねばならない。鯨は頭部から超音波を出して獲物の烏賊などを麻痺させて捕らえる。その鯨の特性を持つケートスの音波の発生源も頭部に違いない。ならば、どのようにすればあの頭部を破壊することが出来るのか。正攻法で近づいても音波を出されて吹き飛ばされるのがおちだ。ワタルはケートスの音波が発射される感覚を見た。敵は連続して音波を出し続けているが、音波と音波の間にわずか数秒ほどの無音の時間があることに気が付いた。これはケートスが音波を出すときに一瞬生じる貯めの期間である。頭部を攻撃するなら、この隙を狙う他ない。ワタルは次々飛んでくる音波に出来るだけ直撃しないように水中を素早く移動し、何とか距離を詰めようとする。と、次の瞬間、絶え間なく発射され続けていたケートスの音波攻撃が止まった。
「そこだ!」
ワタルは波砕海獣拳をその頭部に打ち込もうとする。しかし、
「甘いな。」
ケートスはその巨大な拳をワタルの胴にめり込ませた。その威力は水中であっても凄まじいもので、ワタルは後ろに吹っ飛ばされる。
「当ててみよう。お前はこう考えていた。俺の音波が止まった隙に、俺の頭を壊して音波攻撃を封じようしていたんだろう?すべてお見通しだ。」
ケートスはその筋骨隆々の見た目に反して優れた頭脳と洞察力を持っていた。敵の行動を読み、それを避ける術をすぐに算出することが出来た。
「お前は自分の計画が完璧だと確信していたようだが、俺には通用しない。」
(くっ‥意外と頭が切れる奴だ。)
「その反応はあれだな。今ので倒せると思ったのにって感じの反応だな。心底ダサい野郎だ。お前を殺したらカイジンの歴史書に乗せてやるよ。一番ダセェ人間って触れ込みでな。」
ケートスは嘲りの言葉をワタルに向けた。
「それにしても俺ときたら頭が切れるねぇ。そしてこの肉体美。どこをとってもモテる要素しかねぇ。人間を支配したら、俺が全ての女を味わってやるぜ。待ってろよ。」
ケートスは自画自賛を始めた。彼は完全に陶酔していた。自分の力で「繭」の戦士を打ち負かしている事に快感を覚えていたのだ。そして今自分が戦いの渦中にいることすら忘れた。これがケートスの最大の弱点である。戦闘中に自分が優位に立つと、重度の自己陶酔に陥り、戦いの手を止めてしまう。ワタルはその隙を見出し、ケートスの頭部に拳を打ち込んだ。
「ゲェッ!」
ワタルの手に何かが潰れるような感覚が走った。
「やりやがったな貴様ぁ…」
「油断したお前が悪い。残念だったな。」
どうやら無事に音波を出す器官を破壊できたらしい。これでケートスにできることは格闘戦のみとなった。
「拳だけでぶつかってくるがいい。」
「お望み通り、グチャグチャになるまで殴ってやるぜ‥」
そして水中で雌雄を決する戦いが幕を開けた。巨大な拳と、細く筋肉質な拳がぶつかり合い、水中に衝撃が走る。波砕海獣拳は屈強で、なおかつ細い腕の者にしか習得できない。細く抵抗の少ない腕はまさに海豚の体当たりのごとき素早い攻撃をすることができ、その威力はケートスのような大柄な相手にも大きなダメージを与えることが出来る。身軽な彼にとってケートスの予備動作の攻撃は非常に避けやすく、恐るるに足らなかった。やがてケートスの動きが鈍くなってきた。疲れが見え始めている。ワタルは今度こそ隙を見出し、
胸に拳を叩き込んだ。渾身の一撃である。
「ガハッ!」
ケートスがそううめいた瞬間、何かが砕ける音がして、ケートスの体が泡を立てて溶解していく。ワタルはそれを見届けると、ゆっくりと海から上がった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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