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バタフライマン 第9話 死の砂嵐

果てしなく続く砂の大地―ナティフ砂漠にある小さな街、アトラク。ここに不気味な影が忍び寄っていた。カンドゥーラを纏い、手には錫杖を持った色黒で長身の男。分厚い唇の間からは整った大きな歯が見えており、葉巻の端をくちゃくちゃと噛んでいた。男はアトラクの街を見据えると、錫杖で地面を突いた。すると地面の砂がごうごうと音を立てて巻き上がった。砂は空に向かって高く舞い、巨大な砂の竜巻となった。
「行け。」
 砂の竜巻はまるで生きているかのようにアトラクの街へと向かい、猛威を振るった。建物が倒壊し、人々の悲鳴がこだまする。街が瓦礫の山となったところで、男は錫杖で再び地面を突く。すると砂が盛り上がり、巨大な砂の津波となって街に襲いかかった。人々はたちまち生き埋めになってしまった。
「さて、商品の回収の時間だ。」
 数時間たって、男はそう言い、街に入っていくのだった。
この男はカイジン一族の中でも特異な「通り名」を持つカイジンである。通り名は暴虐の限りを尽くした凶悪なカイジンにだけつけられる、彼らにとっての勲章だ。そしてこの男の名は
“屍(デス・)商人(キャラバン)”キャメル。
 
 ある日、新聞にこんなニュースが載った。。
「ナティフ砂漠にある街が全壊。住民忽然と消える。」
 これを見たカラスマ・ミドリは驚愕した。ナティフ砂漠と言えば、以前彼がゴミムシダマシの調査のために出向いた場所である。その時宿を借りたのが、破壊されたというアトラクの街である。彼は真っ先にカイジンの関与を疑った。というよりそれ以外はあり得ない。
予想通り、「繭」の本部にいる父カラスマ・キイチから出動要請が出た。今すぐナティフ砂漠に向かうようにというものだった。ミドリは装身し、砂漠へと飛んだ。ナティフ砂漠には特徴的な形の岩山がいくつも並んでおり、訪れる人々はそれを目印にしている。アトラクの街は確かハヤブサ岩と呼ばれていた猛禽の横顔を思わせる岩の近くにあったはずだ。そこに辿りつくと、城壁に囲まれた街の変わり果てた姿が目に入った。建物はほぼすべて崩れ、あちこちに夥しい量の砂が積み重なっていた。報道によれば、これだけの被害にも関わらず、死体は一切見つからなかったという。間違いなくカイジンの仕業だ。以前、ミドリが最初に戦った敵であるブルーリングからカイジン社会では人間の死体が上等のインテリアとして高値で取引されていることを聞いている。これにはおそらくかなり大がかりな商品の仕入れだ。
(どこまで命を冒涜すれば気が済むのだ‥)
 彼は昔から狩人が獲物を剥製にしてインテリアとして飾ることが嫌いだった。が、これはそれ以上に残虐に映った。この砂漠の周辺にはもう一つ、ナームという街がある。カイジンはもしかしたらそこを狙うかもしれない。ミドリは翅を広げ、ナームの街の方まで向かった。街の近くまで来ると、カンドゥーラを着て錫杖を持った長身の男がたたずんでいるのが見えた。
(あれは…)
 ミドリは訝しく思い、男に話しかけた。
「ここに何の用だ。ナームの者か。」
「私は単なる商人だよ。今日はここに商品を仕入れに来たんだ。『死』という名の商品をね。」
 ミドリはそれを聞いて身構えた。こんな異常な発言をするのは紛れもなくカイジン一族だ。
「その姿は『繭』の戦士か?こんな所までご苦労なことだ。」
「やはりカイジンか。ナームの街をどうするつもりだ?」
「跡形もなく破壊しつくし、商品を回収するのだ。住民どもの骸をな。」
「やはりそうか。この悪魔め‥・」
「この間のアトラクとかいう街の連中の死体は高く売れた。子をかばい、子供もろとも覆いかぶさるようにして死んだ愚かな母親の死体はそれはそれは高く売れたぞ。それに何より滑稽だった。みすみす自分の命を投げ出して、ちっぽけなみみっちい命を救おうとするのだからな。」
ミドリは拳を握りしめた。外道の極みだ。これまで見てきたなかで最悪だ。
「人の命をそんな風に嘲笑うのか。」
「愚かしいものを笑って何が悪い。それに死体は高額な商品になるのだ。下等な種族に価値を見出してやっている私のことを優しいとは思わないか?」
「人々はお前の金づるではない。」
 ミドリはそう冷たく言い放つと、戦いの構えをとった。
「おやおや。私と勝負しようというのか。」
 男は大きな歯を見せてニヤリと笑った。
「私はこれまでお前が戦ってきた相手とは格が違うぞ。その名も高き『通り名つき』だ!見せてやろう。『屍商人』キャメルの恐るべき力を!」
 男が錫杖を振るうと、周囲に砂の渦が巻き起こり、姿が変わった。そこにいたのは駱駝の獣人だった。ニヤニヤと不敵な笑みを浮かべた顔。両足は蹄、両肩にある盛り上がった瘤のような突起。そしてかつてない禍々しい邪気。これまでのカイジンが霞んで見えるほどだ。ミドリは拳を振り上げる。しかし、キャメルは動かない。微動だにしない。
「どうした?かかってくるがいい。」
「お望みの通り、消し飛ばしてやる。」
 ミドリが殴りかかると、キャメルは錫杖で地面を軽くついた。すると砂が巻き上がり、中規模な砂の竜巻となり、ミドリの方に向かってきた。
「なっ!」
 ミドリは咄嗟に避ける。するとキャメルはミドリの足元の地面の方に向けて錫杖を向ける。すると足元の砂が盛り上がり、巨大な砂の竜巻となってミドリを吹き飛ばし、岩壁に叩きつけた。
「ぐっ!」
 岩壁に張り付いた状態のミドリはそのまま力なく落ちていく。
「グフュフュ‥幾度となく人間どもの命を塵に変えてきたこの私の最大の武器は砂だ。砂上にいる私に敵はいない。貴様は今、この大砂漠そのものを敵に回したに等しい。」
(何という力‥)
 森羅万象を操る恐るべき圧倒的な力。これが「通り名」を与えられたものの実力。
「私の実力はこんなものではない。カイジン一族に楯突いたことを後悔させてやろう。」
 キャメルはそう言うと、錫杖の中心部を持って振り回し始めた。するとキャメルの両側の砂が盛り上がり、2つの竜巻となった。
「塵旋双極!」
 かろうじて立ち上がったミドリを二つの竜巻が容赦なく襲う。ミドリはまじりあっては離れる竜巻にもみくちゃにされ、再び岩壁に叩きつけられる。
「もう分かっただろう。この私に戦いを挑むこと自体が大きな間違いなのだ。」
 ミドリはそう言われても再び立ち上がり、猛然とキャメルに立ち向かう。
「虫けらめ。諦めたらどうだ。」
「貴様の思惑通りには決してさせない!」
 ミドリはまた体勢を立て直し、キャメルに拳を振りかざす。
「何度挑もうと結果は同じ事だ!」
 キャメルはまた錫杖を振るい、砂の竜巻でミドリを吹き飛ばす。何度岩壁に叩きつけられようとも決して引こうとしないミドリ。
「愚かしい。お前は学習するということを知らないようだ。圧倒的な実力差を前にしてどうして立ち向かうのだ。諦めてそこで大人しくしているがいい。」
「御免こうむりたい。私が動かなければ、多くの人命が失われる。ナームの人々の命を奪わせはしない。」
「下等な命を一気に散らすのは爽快だぞ。お前も見れば分かるはずだ。今攻撃をやめるなら、命は見逃してやる。」
「そんな悲劇があってたまるものか!見逃してもらわずとも結構だ。彼らを守れないのなら、私は死を選ぶ。」
「ほう。威勢がいいな。」
 ミドリはこの時、キャメルの動きを完全に把握し、攻撃をかわすことを考えていた。砂の竜巻の混じり合ったり離れたりする動きはいつも規則的であることを見出していたのだ。ならば、その動きを読んで避ければいい。ミドリは翼を開き再び攻撃を仕掛けた。すかさずキャメルが錫杖で塵旋を巻き起こす。ミドリは羽ばたいてその動きを華麗にかわし、
キャメルに向かって拳を叩き込む姿勢に入る。そしてなんとか胸に拳を叩き込んだ刹那、
キャメルの体は塵となって消えた。
「これで‥終わったのか‥」
 ミドリは一瞬安堵したが、何かがおかしい。いつもなら断末魔の悲鳴を上げながら炎に包まれて果てるはずのカイジンがこのように静かに姿を消すだろうか。ミドリは訝しんだ。
すると、後ろに殺気を感じた。避けようとするも、遅かった。錫杖で胴体を殴りつけられ、怯む。キャメルはミドリの背後に突如として姿を現したのだ。
「今お前が倒したのは、私が生み出した蜃気楼(ミラージュ)だ。全く馬鹿正直に騙されるのだな。滑稽の極みだ。」
 キャメルの錫杖が操れるのは砂だけではない。彼は砂漠で起きうるあらゆる現象を操ることが出来るのだ。それには蜃気楼も含まれる。
「それにしても実によくできた武器だ。」
 キャメルは錫杖を愛でるように見つめながら言った。そして再び地面を突き、塵旋を巻き起こした。
「引導を渡してやる。塵旋双極!」
 ミドリは何とか立ち上がり、迫りくる二つの竜巻を見据えた。そして冷静のその動きを読んで翼を広げ、軽やかに飛び回り、見事かいくぐってみせた。
「もうその手は食わないぞ。」
 キャメルは苛立ったのか、大きな歯をギチギチとすり合わせながら錫杖で何度も地面を突き、いくつもの塵旋を巻き起こした。ミドリはそれでも冷静さを欠くことはなかった。落ち着いてその明晰な頭脳で塵旋の動きを把握し、その規則的な動きに対応して素早く避けた。
「小癪な虫けらめが!私を愚弄するか。」
「動きを覚えれば避けるのはたやすい。」
「ならばこれでどうだ!」
 キャメルは錫杖の先端で強く地面を討った。
「砂塵巨壁(ダストウォール)!」
 地面が大きく盛り上がり巨大な砂の大波が起きた。まるでそびえたつ城壁のごとき高さだ。
そしてキャメルはその巨大な壁のような砂の波の上に飛び乗った。
「さぁどうする、虫けら。」
 ミドリはその様子を見ても怯まず、戦いの姿勢をとった。キャメルは巨大な砂の津波を動かし、襲いかかってきた。波の上で錫杖を振り回し、いくつもの塵旋を巻き起こす。ミドリはそれを避けながらキャメルに向かって拳を向けて空を舞う。
砂の大波と一体化したキャメルは次から次へと塵旋を放ってくる。ミドリも徐々に対処するのが困難になっていく。
「そのザマで私に拳を打ち込めるのか?」
 キャメルは嘲笑うように言う。ミドリは一言も発さず、怯まずに飛び続ける。矢継ぎ早に飛んでくる砂の竜巻に何度か巻き込まれることがあったが、それでもその中から脱出し、ひたすらに飛び続ける。
「しぶとい奴め‥」
 その時、キャメルの集中が途切れた。その隙にミドリが横から近づき、錫杖を奪い取ろうとする。錫杖さえなければ砂を操る攻撃は使えないだろうと踏んだのだ。キャメルは身構えるが、右手の錫杖をミドリが掴んだ。あと少しで奪い取れるかというその時、キャメルは錫杖を大きく動かしてミドリをはねのけた。ミドリはバランスを崩し、砂の上に落ちた。
「そんなにこれが欲しいか。ならば奪ってみるがいい!」
 キャメルは錫杖を振るう。するとその姿がみるみるうちに分かれていき、いつの間にか二十体以上に増えた。
「蜃気楼二十化身!」
 キャメルは蜃気楼による二十体の分身を作りあげ、ミドリの目をかく乱した。
「さぁ。杖はここだぞ。奪うがいい。」
 ミドリは直勘だけを頼りに分身の一つに掴みかかろうとする。しかし、
「残念だったな。外れだ。」
 キャメルがそういうと、巨大な塵旋を巻き起こし、ミドリを吹き飛ばす。ミドリはまたも岩山に叩きつけられる。しかし再び立ち上がり、砂の大波の上で猛スピードで円を描いて回転する二十体の分身に直勘を研ぎ澄まして拳を叩き込み、錫杖を奪おうとするも、何度も弾かれてしまう。ミドリは幾度となく弾き飛ばされる中、キャメルの分身を注意深く観察していた。そしてある一体が他の分身よりも動きが0・001秒遅いことを見出したのだ。ミドリはその動きを見定めると、勢いよくその拳を打ち込んだ。そして一瞬の隙を見て錫杖を掴み、渾身の力を込めて奪い去った。
「何ッ!」
 キャメルは魔術師ではない。この特殊な錫杖から出る凄まじい風圧で砂を浮かし、竜巻や砂の壁を作っていたのだ。よって、錫杖がなければ、格闘戦以外で敵に太刀打ちすることは出来ない。
「貴様!返せ!」
「それは出来ないな。」
 ミドリはそう言うと、錫杖を脚でへし折った。
「これで貴様はもう何もできん。諦めろ。」
「こうなれば、あの手を‥。」
 キャメルはそう言うと、肩の瘤のように盛り上がった部分から奇妙な白い塊を取り出し、それを食した。
「改獣変化…」
 改獣変化とは、通り名持ちのカイジンのみに与えられたゼリー状の物体「ドーサ」を摂取することによって発動する特殊な変身能力である。鳥獣魚虫としての能力を完全に活性化させ、巨大な体躯と圧倒的な破壊力を持つ巨獣となる。「改人」から「改獣」へと変化するのだ。破壊と殺戮を極めた通り名持ちだからこその特権である。
「ドーサ」を食らったキャメルは見る見るうちに全身の細胞が変化し巨大化していく。手足や首が伸び背中から瘤が盛り上がる。半獣でありながらも人型を保っていたこれまでのカイジンとは全く違う姿へと変わっていく。そこには不気味な細く長い脚と血の気の引いた真っ白な体を持ち、生気のない目でニヤニヤと歯をむき出し、笑ったような悍ましい表情をした巨大な駱駝の怪物がいた。その恐るべき巨獣の前にミドリは立ち尽くした。こんな巨体のカイジンと単独で張り合ったことはない。高層建築物ほどの大きさはある。コンストリクターを優に超える怪物だ。キャメルは表情一つ変えずにその長い脚をミドリに向かって振り下ろした。ミドリはすかさずそれを避ける。一挙一動全てが破壊と殺戮につながる。それが改獣変化の恐ろしさである。ミドリは振り下ろされる巨木のような脚を避けながら立ち振る舞うことしかできなかった。なんせ規格外の巨体である。彼一人で防げるような代物ではない。ミドリは一旦岩山の上に退避した。キャメルはミドリなど眼中にないかのように方向を変え、ナームの街の方を向いた。そしてその方角へと巨大な脚を動かして進撃していく。
(町ごと踏み潰そうというのか!)
 ミドリはなんとしても止めなければと思った。この場でまごまごしていたら、大勢の命が犠牲となる。しかし、あの巨大な体をどう止めようというのか。ミドリは思索を巡らせた。そして、ある手を思いついた。ミドリは翅を広げて飛び立ち、キャメルの細い脚目掛けて拳を打ち込んだ。硬くはあったが、かすかな手ごたえはあった。キャメルはミドリを蹴り飛ばそうと脚を大きく振るう。ミドリは避けつつ、再び拳を打ち込む。その脚の骨を砕き、直立を不能にするのだ。そうすれば、敵を完全に阻止することが可能になる。巨獣化したキャメルは確実に弱体化している。その長い脚で眼下のものを蹂躙することしかできなくなっているからだ。つまり脚が全てと言っても過言ではなく、それを挫いてしまえば、移動が不可能になってしまう。「ドーサ」は必ずしも有利な効果をもたらすとは限らないのだ。ミドリはその巨大な脚による攻撃を避けつつ何度も拳を打ち込んでいく。そして敵の骨にひびが入る感触を覚えた
(よし!)
 そしてミドリはその拳を最大限の力を込めて叩き込んだ。その瞬間、なにかが粉砕される音が響き、キャメルの巨体が崩れ落ちた。そのミドリは地面に降り立つ。すると、キャメルの巨大な顔がミドリの目の前に倒れ込んできた。凄まじい砂ぼこりが立つ。地面に顎をつけ、恨みがましい目でこちらを見つめてくる。
「巨大化したのが運の尽きだ。残念だったな。」
 ミドリがそういうと、キャメルはニヤリと笑うような表情を見せ、勢いよく周りの砂を吸い込み始めた。そしてミドリに向かって息吹とともに砂煙を吐き出しミドリを浮かせ、そのまま上を向いて、上空に向かって吹き飛ばした。彼なりの最後の足掻きだろう。しかしミドリはその危機的な状況を好機に変えた。瞬時に翼を広げ、拳を掲げ、キャメルの頭頂部目掛けて落下した。
「大揚羽急落正拳!」
 ミドリの拳はその頭頂部の中心に見事命中し、何かが砕ける音がした。そのしてキャメルがその顔を歪ませた瞬間、巨体が燃え上がり、たちまち骨となり、灰となった。脂が焼けるような匂いが立ち込める中、ミドリはその様子を岩山の上から静かに見つめていた。


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