見出し画像

バタフライマン 第7話 密林の殺人鬼

「ウチらもう抜けるわ。アンタみたいなクソ無能カラスに付き合ってらんないから。」
「あとは俺たちの好きにさせてもらうぜ。」
 レイブンの巣では、度重なる同僚の敗北に嫌気がさしたフィドラーとグラスホッパーが群れを出ようとしていた。
「愚か者どもめ。吾輩の傘下から抜けて後悔しても知らぬぞ。」
「じゃあな!もうてめぇの世話になんかならねぇぞ。」
「せいぜいそのカマボコババアとでもいちゃついてれば?」
「なんと無礼な…」
 ブルーシャークが呟き、手に持った大鎌を振ろうとする。
「よせ、ブルーシャーク。あんな輩は放っておけばよい。」
「そうですね。あんな下劣な者どもはレイブン様の部下にはふさわしくないですね。。取り乱してしまい申し訳ありません。」
 レイブンたちの前を去った後、フィドラーとグラスホッパーは廊下で話していた。
「ウチらもう自由だね。」
「そうだな。俺は狩りの場所でも探すか。」
 グラスホッパーはそう言うと地上へと出て行った。
 
南方の大陸にあるマカムクナン国の広大な密林に、タイラ・ヒカルはいた。タイラ家の人間は毎年一回、この国に飛び、七日間の修行を行う。熱帯の過酷な環境で修業し、心身を鍛えることが目的だ。そしてタイラ家の人々はここに暮らすクリサンと呼ばれる先住民族と長い間交流を深めてきた。彼らは自然を愛し、その恵みを生きていくのに必要な分だけ享受していた。無益な争いを何よりも嫌う穏やかな民族であった。ヒカルは修行の合間に彼らと交流する時間を設けていた。クリサンの長老であるサヤプはいつも彼を温かく迎えてくれる。
「おお、今年も来なすったか。やはり修行ですかな。」
「勿論だ。毎年世話になってすまんな。」
 ヒカルが言う。ヒカルが彼らと会うのはこれで16回目となる。修行のため敢えて野宿や断食をする場合もあるが、それ以外の日の食事や寝る場所は全てクリサンの人々に提供してもらっており、彼は感謝してもしきれないほどだった。
「あとはここまで奴らが来ないことを願うしかないか…」
 ヒカルはカイジン一族の刺客が襲来することを危惧しながら、修行のため密林に入っていった。

そのころ、森に入り、狩りをしていた一人のクリサンの青年が必死に森の中を走っていた。
「はぁ‥はぁ‥」
 何かから逃げているようだ。彼の頭上から巨大な虫の羽音のような音が聞こえてくる。
「ほらほら逃げろ逃げろ。足を止めたら真っ二つだぞ。」
 頭上から嘲笑するような声が聞こえる。青年は巨大な飛蝗の怪物に追いかけられていた。怪物は両腕についた刃物のような突起を振り回し、樹木を切りながら青年を追いかける。
そして青年めがけてその突起を振った。密林に断末魔が響く。怪物はその場を飛んで去って行った。
その数時間後青年の父親が血相を変えてサヤプのもとに駆けてきた。
「長老!うちのせがれが‥」
 父親は悔しそうな顔をしていた。彼の息子は上半身と下半身が真っ二つになった無惨な死体となって発見されたのだ。ヒカルもそれを聞きつけて現場に来た。
「これは酷い‥虎や豹の仕業ではないのか?」
「それはあり得ない。わしらはこの森の獣のことを知り尽くしている。獣ならば、食された跡があるはずだ。彼の死体にはそれが全くない。」
ヒカルはすぐにある可能性にたどり着いた。
(カイジン‥)
 危惧していたことが現実になった。この地でつつましく暮らす人々に危害を加えようというのなら、許しておくわけにはいかない。この場で討たなければ平安は訪れないだろう。ヒカルは何としてでもこの密林に潜伏するカイジンをあぶり出そうと決意した。

一方、密林の真ん中を走る一本道を観光ツアーのジープが走っていた。ガイドの現地人と、観光客の男女2人が乗っていた。彼らは宿泊施設へと帰る途中だった。がその途中木々を駆け抜けていく何かの姿を視認した。
「あら、猿かしら。」
「このあたりにはそんなに生息していないはずですが‥」
 ガイドが訝し気に言う。そして次の瞬間、ジープの屋根に何かが乗った。
「何?」
「猛禽かなにかが止まったのでしょう。少し屋根を‥」
 次の瞬間、フロントガラスに恐ろしいものが現れた。緑色で、縦に細長い顔。目は黒目のある複眼で口元には細かい歯が生えそろっている。巨大な飛蝗の顔だった。それがフロントガラスごしに逆さまでこちらを見ている。
女性が悲鳴を上げる。
「ば、化け物だ!」
 男性が叫ぶ。
「ギシシシシ‥お前らはここで俺のオヤツになってもらうぜ。」
 怪物はそう言うと、刺だらけの腕でガラスを叩き割った。

クリサンの集落の方で、何かが激しく横転する音が聞こえた。
「何事だ!」
 ヒカルが言う。
「あっちには外の人々の車が走る道がある。事故が起きたのかもしれん。」
 ヒカルは妙な胸騒ぎを覚え、その現場へと向かった。
そこには横転して燃え上がるジープがあった。おそらく観光用のものだろう。
そして木の枝に引っかかっているものを見て驚愕した。そこには食い散らされた肉片と、男女三人の生首が刺さっていたのだ。ヒカルは確信した。こんな真似ができるのはカイジンしかいないと。
「とうとうこんな所まで‥」
 奴らはこんな僻地まで侵攻しているのだ。その活動が本格的に始まっていることをヒカルは思い知った。
それからしばらくして、青年や観光客の死体をクリサンの人々が調べ始めた。そしてある男が何かに気づいた。彼は名をタナンと言って、この集落の中でも特に動植物に関する知識が豊富だった。
「この切り口は‥カマンガランに似ているな‥」
 カマンガランとはマカムクナン国の密林に多く生息する肉食性のショウリョウバッタの仲間である。主に齧歯類やトカゲを獲物としており、その体を脚についた刃物のような切れ味を持つ突起で真っ二つに切り裂いてから食べる。その死体をモズのように木に括り付ける習性があるのだが、その時の切り口によく似ているという。しかし、カマンガランはドブネズミ程度の大きさであり、自分より大きな獲物は狙わない。人間を切り刻むなどあり得ないことだ、それに近しい特質を持ったカイジンがいるのだろうと推測した。
そのころ、グラスホッパーは勝手気ままに虐殺を繰り返していた。観光客を見つければ切り刻み、空腹を感じればその肉を食した。カイジンには理性も秩序も存在しない。
「ギシシシシ…『繭』の戦士もここにきてりゃあいいんだがな。」
 グラスホッパーはふと、大きな飛蝗に気づいた。カマンガランである。
「こいつを使って遊んでみるか…」
 グラスホッパーは翅と顎をこすり合わせ不気味な不協和音を出した。するとカマンガランは翅を開いて飛び上がり、どこかへ行った。
「こいつは面白くなるぜ。」
 グラスホッパーは空を見てそう言った。

クリサンの村の近くを見回っていたヒカルは茂みがガサガサと動くのを見た。見ると一頭の豹が苦しげに暴れているのが見えた。豹の体には無数の緑色の飛蝗がこびり付いていた。
タナンが言っていたカマンガランに違いない。だが、自分より大きなものを襲うことはないはずだ。
「これは一体‥」
 すると、カマンガランの一匹がヒカルに気づき、豹の体から離れてこちらに向かってきた。豹はその場から逃げだした。
「何!」
 カマンガランの大群が次から次へとヒカルに襲いかかってくる。ヒカルは「蛍火」を抜き、襲い来るカマンガランたちを次々と斬りつける。カマンガランの脚が彼の頬を掠める。すると頬に傷がついた。かなりの切れ味だ。見ると、カマンガランたちが次々密林から飛び立ち、群れを成してどこかへ飛んでいく。あの方向には、クリサンの村がある。
「まずいぞ‥」
 ヒカルは急いで群れを追いかけた。
カマンガランの大群は、すぐにクリサンたちの集落に到達した。人々は何事かと上を見上げる。やがてカマンガランたちは人々目掛けて襲いかかってきた。
「カマンガランが我々を襲うとは…」
 サヤプは驚愕していた。そこにヒカルが来た。
「こいつらは俺が一人で片づける。あんたらは隠れていてくれ。」
 ヒカルは「蛍火」をかざすと、カマンガランの群れに向かって行く。カマンガランを軽くあしらうように次々切り刻んでいくヒカル。その刀さばきには長年の修行の成果が表れていた。胴体に張り付いてくるカマンガランを引き離す。脚の爪が食い込み、着物が裂け、皮膚が破れて血が噴きだす。傷だらけになりながらも、なんとかカマンガランの群れを全滅させた。その後、密林の奥地から邪悪な念がにじみ出ているのを感じた。カマンガランを操った張本人―カイジンーが森の奥にいるのだ。ヒカルは密林の方へと駆け出した。奥地の開けた場所の手前の木の上に、緑色のレザージャケットを着た逆立った髪の男が座っていた。口の周りには血の跡があった。
「おやおや‥誰かと思えば、『繭』のホタル野郎じゃねぇか。」
「貴様、カイジンか?」
「その通り、グラスホッパー様よ。」
「この森の異変もお前の仕業だな。」
「ご名答。自由になったんで、ちょっとした暇つぶしだ。」
「自由?何のことだ?」
「レイブンのクソ野郎のところから抜けたんだよ。あの野郎にうんざりしてな。」
 レイブンという名は、あのコンストリクターも口にしていた群れのリーダーの名だ。評判はよくないともコンストリクターは言っていた。
「貴様は人間を食ったな。この気違いめ。」
「あぁ食ったとも!あの黴菌以外はな。」
「黴菌?何のことだ。」
「あの野蛮人のことさ。俺が華麗に真っ二つにしてやった。」
「貴様!クリサンの人々を何だと思っている!」
「まぁ聞いてくれや。俺たちにとっちゃあ、文明社会で暮らしてる人間どもですら虫けらみてぇなもんだ。こんな未開の地で暮らしてる奴らは虫けら以下さ。ようするに黴菌ってわけ。黴菌は食いたくねぇからな。殺してそれでサヨナラだ。」
「貴様の言葉を聞いて確信した。貴様らカイジンとは決して分かり合えん。命をそんな風に語る奴とはな!」
ヒカルは強化服を取り出した。
「Luciola lateralis
「装身!」
 ヒカルは蛍の剣士となり、「蛍火」を構えた。
「ギシシシシ!じゃあ俺も‥」
グラスホッパーは全身から蒸気をふき出し、頭が縦に長い飛蝗の怪物に変わった。
「参る。」
「ギシ―ッ!」
 グラスホッパーは凄まじいスピードで飛びかかり、両腕の鋭い刃を振るう。その刃が「蛍火」と触れ合い、火花が散る。凄まじい硬度の刃だ。「蛍火」と同等か、それ以上かもしれない。グラスホッパーは飛び上がり、腕を振るう。すると周辺にあった樹木が軒並み切り倒されていく。ヒカルは自分の方に向かって倒れ掛かってくる木を次々斬る。そして背中の翅を開いて上空に飛びあがった。グラスホッパーも負けじと飛び上がる。そしてどこからともなくカマンガランの大群を呼び寄せる。群れが一斉にヒカル目掛けて飛んでくる。
しかし、強化繊維と合金と作られた強化服の前では虫の攻撃など無に等しい。ヒカル刀をを一振りする。と同時に凄まじい殺気が放出され、カマンガランたちは恐れをなして逃げ出す。そしてグラスホッパーの腕の刃と、ヒカルの「蛍火」が交差しあう苛烈な決闘が始まった。大量の火花を散らしながら両刃がぶつかり合う。どちらが先に折れるかで勝負が決まる。そして、激しいせめぎ合いの末、グラスホッパーの腕の刃が全て折れた。
「ギシィ!」
 グラスホッパーが動揺する。そしてこういった。
「悪かった!俺の負けだ。もう何もしないから許してくれ!」
その言葉を聞いて、ヒカルは一瞬刀を降ろした。しかし、その隙に
「ギシャシャッ!」
 グラスホッパーが猛スピードでこちらに向かって手についた鉤爪を振り下ろす。そしてバネのように伸縮する足を伸ばして、ヒカルの胴体に蹴りを入れる。ヒカルはバランスを崩し、密林に墜落してしまった。
「まったくどうしようもねぇお人よしだなぁ。カイジンが反省するとでも思ったのか?」
 グラスホッパーはクリサンの集落の方を向く。
「さぁて、野蛮人どもを血祭りにあげるとするか。」
「待て‥」
 ヒカルが言う。
「何だぁ?」
「お前を集落には行かせない。」
「バカめ。その状態で俺を止められるものか。」
 ヒカルは地面に強く叩きつけられ、強いダメージを受けていた。再び行動できるようになるまでには時間がかかる。しかし、それを待っていたら、グラスホッパーが集落に行くのを許してしまう。
「これ以上の無益な殺生は許さん!」
ヒカルは最後の力を振り絞って立ち上がり、「蛍火」を手に持ち、その切っ先を前に出す。そしてその翅を開き、飛び上がった。そしてグラスホッパーに突撃し、その胴体を突き刺した。
「ギィッ!」
「新たな技を貴様で試してやる。」
 そして刀でグラスホッパーは突き刺したまま真っすぐに飛んだ。その方向には切り立った山肌があった
「蛍之墓標!」
 ヒカルはそのまま刀を押し込み、グラスホッパーの胴体を貫通させた。そして山肌に貫通した刀を突き刺した。
「ギシャァァァッ!」
 グラスホッパーは断末魔を上げ、そのまま炎を上げて灰になった。残ったのは岩肌に刺さった「蛍火」だけだ。その出で立ちはまるで墓標のようだった。
「これで‥終わった。」
 ヒカルは地面に降り立つと、装身を解き、膝をついて倒れてしまった。それから数時間後
彼はクリサンの人々に助け出され、目を覚ました。
「お前さん、何と戦っていたのだ?」
 サヤプにそう聞かれ、ヒカルはカイジンのこと、「繭」のことをを伝えた。彼らならば口外はしないだろうと思ったからだ。それほどヒカルはクリサンの人々を信頼していた。
「そうか‥この世が怪物の手に渡ろうとしているとは‥」
 クリサンの人々は話を聞き、ヒカルの、他の戦士たちの武運を祈った。ヒカルは数日後回復し、修行に励んだ後、集落を後にするのだった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?