見出し画像

バタフライマン 第11話 悲しみの海の闘士



 南の海に浮かぶマルテルーズ島にジョゼという漁村があった。藁でできた家が立ち並び、島民のほとんどが漁業に従事している。ここにヒアワサ・ペズという青年がいた。ヒアワサは村でも評判の銛の名手で、その腕前は百発百中であった。今日も彼は魚籠の中にどっさりと入ったブダイやハタを得意げに持って海から帰って来た。桟橋に上がると、筋肉質な坊主頭の男が笑顔でヒアワサに話しかけた。
「今日も大漁だな。ヒアワサ。」
「お前こそ結構な量を捕ったじゃないか。」
 この男はアントンと言って、ヒアワサの子供の時からの親友である。幼き日から共にこの村で暮らし、一緒に漁に出ることもよくあった。気のいい男だったが、最近、婚約者ができたためかいつもに増して浮かれていた。二人は仲よく談笑しながら浜辺を歩いていた。すると、愛嬌のある童顔の女性が手を振っていた。アントンの婚約者である。
「じゃ、俺はこれで。」
 ヒアワサはそう言うと、魚籠を担いで家に帰った。
 次の日、ヒアワサが漁に出かけようとすると、見慣れない男が桟橋の上に立って海を眺めていた。白衣を着て眼鏡をかけた勤勉そうな男だ。男はヒアワサの方を向くと、こう話しかけた。
「君がヒアワサ・ペズだね。話は聞いている。私はアオキ・ワタルというものだ。君に託したいものがある。」
 男はそう言うと、オレンジ色に光る魚の形をした装飾品のようなものを取り出した。
「君のような強者なら、これを使いこなせるはずだ。もし村に何か恐ろしいものが襲来した時、これを掴んで、『装身!』と叫ぶんだ。そうすれば、この村を守る力が手に入る。」
 ヒアワサはポカンとしていた。何が何やらさっぱりだ。新手のカルト宗教か、インチキ商売ではあるまいか。そうは思ったが、彼は無償でこれをくれるというので、取り敢えずもらっておくことにした。アクセサリーとしては美しかったからだ。
「私も同業者でね。」
 男は銀のイルカの形をした同じタイプのアクセサリーをちらつかせながらそう言った。
「では、いざという時は活用してくれ。」
 そういうと、ワタルは去って行ったのだった。

 アントンとその婚約者は白い砂浜の上に座って、幸せそうに話していた。その様子を何者かが見つめていた。
「めっちゃアツアツじゃん。あの人間ども。」
 金髪に派手な化粧を施した顔、右手が蟹の鋏になった若い女が一人呟く。カイジン一族のフィドラーである。レイブンの元を抜け、このマルテルーズ島に密に潜伏していたのだ。彼女は頃合いを見て、この平和な島の島民を皆殺しにしようとしていた。
「決―めた!アイツらちょん切っちゃえ!」
 カイジンという生物は幸せそうな人間を見ると本能的に殺人衝動が沸き上がる。そしてこの愛を誓った仲睦まじい二人はその恐ろしい本能の犠牲になろうとしていた。
 
 次の日、ヒアワサはいつも通り銛と魚籠を持って漁に出かけた。家の前ではアントンが待っていた。これも毎日のことだ。二人で桟橋まで歩いて行くと、アントンはこう言った。
「俺はちょっと彼女に顔みせてくる。先に漁に出ていてくれ。」
 アントンはそのまま婚約者の女性の家の方に向かっていった。彼は最近、猟に出る前に彼女に会いに行くことが多い。そしてまた砂浜に座って仲睦まじく過ごすのだ。これが長くかかる日もあり、ヒアワサが海に行って三十分ほど後にようやくアントンが来ることもざらにあるが、もうすぐ結婚式がある彼なら浮かれるのは当然だろうということで特に気にしていなかった。が、その日、アントンはいつまで経ってもいつも潜っている珊瑚礁に来ることはなかった。今日は別の場所に行ったのかと思い、ヒアワサは珍しいこともあるものだと不思議に思いながらも海から上がって砂浜に着いたが、そこにもアントンの姿はなかった。
「一体どこに行ったんだ‥」
 ヒアワサはアントンを探しながら一人そう呟いた。すると、砂浜に木で作られた棚のようなものが置かれていることに気が付いた。ヒアワサは見慣れないものを怪しみながら近づいた。そこには見るも恐ろしいものが置かれていた。花や貝殻で飾りつけられた棚につけまつげやメイクで飾られた生首が二つ乗っていたのだ。そして信じたくはなかったが、その首には見覚えがあった。アントンと婚約者の女性のものだ。これは嘘だ。誰かが俺をはめようとしてるんだ。テレビの企画かもしれない。きっと今に後ろからアントンがピンピンして後ろから出てくるんだろう。そうに決まってる。しかし、いつまでたってもアントンが姿を現すことはなかった。すると、後ろから声がした。
「見てよ。ウチの自信作。」
 見ると上半身は裸同然で胸に布を巻いただけ、ダメージの入った短いジーンズをはいた若い女が立っていた。金髪にけばけばしい化粧。一見観光客のようだったが、左手は白い蟹の鋏になっていた。女はヒアワサの打ちひしがれた顔を見てこういった。
「何?ひょっとしてコレ、アンタのお友達だった?その顔ウケるんですけど。」
「お前がやったのか‥これを‥」
「そうだよ。新婚カップルさんをちょん切って、可愛くデコってあげたの。素敵でしょ。」
「何を‥何を考えてやがる!こんなこと許されるとでも‥」
「何だぁ。気に入らなかったのかぁ。あっ!体は美味しかったよ。ごちそうさまー。」
「食ったのか‥アントンの体を‥」
「そ。なんか文句ある―。」
ヒアワサは泣き叫びながら銛を振りかざし、女に向かって突進していった。しかし女はその銛を大きな鋏でつかんだ。
「何?やる気?」
 女は鋏で銛をへし折ると、ヒアワサの腹を蹴り上げた。ヒアワサは砂浜に倒れ込む。
(こいつ‥人間じゃない‥)
 その力は明かに人間が出せるものを超えていた。その時、ヒアワサはあるものを思い出した。
先日、あのワタルという男から手渡された魚型のアクセサリーのようなもの。確か島に恐ろしい物が来た時に使えと言っていた。ならば今こそその時だ。ヒアワサはアクセサリーとして何気なく持ち歩いていたそれを取り出し、ワタルに言われたように
「装身!」
と叫んだ。しかし何も起こらない。ヒアワサは何度も試したが一行に何も起きない。親友の仇を取るためには、力が必要だ。この人ならざる化け物女を倒すのにはヒアワサの生身の力では無理だ。ワタルが言っていたような「力」が。
「なになに?繭ごっこ?かわいー。」
 女の煽りが響く中、何度も力を得ようとするヒアワサ。どうしてだ。目の前に親友を無惨に殺し、悪趣味なオブジェに変えた怪物がいるのに、なぜ反応しないのか。もしかして本当にインチキだったのかもしれない。あのワタルという男は詐欺師だったのだろう。
「そうだ!アンタもお友達とおんなじにしたげる。」
 女は白い大きな鋏をぐわっと開き、ヒアワサ目掛けて襲いかかってくる。ヒアワサは死を覚悟した。その時、目の前に人影が現れた。白衣を着た眼鏡の聡明そうな男。間違いなくあの時の男、ワタルだ。
「まさかこんなに早くこの島を襲うとはな。カイジンめ。」
「アンタ、もしかして『繭』の奴?」
「その通り、アオキ・ワタルというものだ。」
 ワタルはヒアワサの方を向くと、
「来るのが遅れてすまなかった。想定外の事態でね。」
ワタルは銀色の海豚の形をしたものを取り出した。
「Tursiops truncatus。」
「装身!」
 ワタルの体が光に包まれた。そこには銀色の騎士がいた。海豚の鰭のような頭部の突起に銀色に輝く筋肉が浮き彫りになったスーツ。子供番組で見る戦士そのものの姿をした存在がそこにはいた。
「その姿は‥」
「これが『繭』の戦士の姿だ。」
「あぁ。あんたがインチキじゃないってことは分かった‥でもなぜ俺はその姿に、戦士になれないんだ!」
「それは君に『憎しみ』の感情があるからだ。」
「憎しみ‥」
「そうだ。大切な親友を殺され、怒りに打ち震える気持ちはよく分かる。だが、君は私怨で仇を討とうとしている。それでは駄目なのだ。個人的な憎しみや怒りに突き動かされていてはその強化服は反応しない。それは義の感情に呼応するのだ。全ての人を、生命を悪しき手から守りたいという思い。恨みを晴らそうなどという利己的な思いではなく、これ以上犠牲者を出したくない、この島の人々を守り抜きたいという思いを持って初めて、強化服は応えてくれる。」
 ヒアワサは強く願った。この化け物女の好きなようにはさせない。島の人々をこれ以上は死なせたくない。自分の正義のためではではなく牙なき人々を悪魔の手から守るために戦う者となりたい。そう思った時、あの魚のアクセサリーのようなものがオレンジ色の光を放ち始めた。彼はそれを握りしめ、静かにこういった。
「装身…」
「Holacanthus clarionensis。」
 それから何らかの言語らしきものが発せられ、光を放ちながら分離した。それはヒアワサの体に纏いつき、鎧となっていく。鱗のような模様が彫り込まれた頑丈な鎧。
 先が少し青くなった鰭のような装飾。そして手に握られていたのは、眩いオレンジ色に輝く銛だった。男は戦士となったのだ。
「は?二人とかイミフでしょ?まぁ、殺すからいいけど。」
蟹女―フィドラーはそう言うと、体から蒸気をふき出し、完全に異形のカイジンとしての姿を現した。左側の鋏だけが大きく、4m近い巨体を持ち、下半身からは蟹の脚が6本生えていた。顔は両目が付きだした蟹そのもので、口には醜い牙が生えていた。胸には乳房らしき隆起があったが、女性らしさはその姿からはほとんど見受けられなかった。
「ギチギチギチ‥」
「な、なんだこいつは‥」
「これがカイジン一族だ。説明は後だ。早いとこ倒すぞ。」
「あ、あぁ。」
 ワタルは銀色の拳を振りかざし、ヒアワサは太陽のように輝く銛を構えた。ワタルは拳で飛びかかるが、その大きな鋏で弾き飛ばされてしまう。
「あ、言っとくけどウチ舐めないでね。通り名持ち候補だから。」
フィドラーはそう言い放った。そして、その巨大な鋏を今度はヒアワサに向かって振り下ろそうとする。それを見たワタルはすぐに起き上がって駆け出し、ヒアワサの前に立ち、その腕で鋏を掴み、一押しでその大鋏を押し返した。フィドラーがよろめく。その隙にヒアワサが飛びあがり、輝く銛を敵の肩に突き刺そうとする。しかし、その甲殻は固く、銛を突き刺すことが出来なかった。
「どう?ウチ、自慢じゃないけど怪我したことないから。」
(くそっ…何て化け物だ。)
 ヒアワサがそう思っていると、ワタルが拳を握りしめてフィドラーの前に立ちふさがった。そしてまるで銀色の弾丸のごとき速さで敵に飛びかかり、そのままその肩に拳を浴びせた。すると、フィドラーの肩のわずかにひびが入った。
「どうだ?」
「は?」
 フィドラーは自分の肩に着いた傷をしばらく凝視していた。そして目の色を変えて
「はぁぁぁぁっ!アンタ、ウチの体にキズつけたわけ?」
「そうだ。もう少し深手を負わせたかったがな。」
「あり得ないっ!どうしてアンタごときが…」
「随分と動揺しているな。そんな小さな傷で。」
 ワタルは彼女の甲殻の防御力が些細な傷をつけるだけで著しく低下するのではないかと推測していた。その動揺ぶりを見る限り、その予感は的中したようだ。ヒアワサは敵が怯んでいる隙に素早くその光り輝く銛を持って肩の傷目掛けて飛びかかった。ヒアワサははひび割れに銛を突き立て、力を込めて押し込んだ。ひび割れが広がり、青い血液がにじみ出る。
「ギィィィィィッ!」
フィドラーは奇妙な叫び声を上げた。
「なんで?なんで?ウチがこんなになるはずないのに・・ウチが負けるわけないのにっ!」
フィドラーは喚きたてる。その声はまるで幼い少女のようだった。
「死ねっ!死んじゃえっ!」
フィドラーは巨大な鋏を地面に叩きつけながらなおも喚く。
「やかましい蟹だな。」
 ワタルが冷たく言い放つ。
「うるさいうるさいうるさいっ!消えろっ!」
 フィドラーは泡の塊のようなものを口から吐き出した。それが海辺の岩に当たると、岩がジュワジュワと音を立てて溶解し始めた。
「アンタたちなんか、溶けて無くなればいいんだ!」
 フィドラーは泣きわめきながら泡の塊を二人に向かって吐き出し続ける。ワタルは慣れた動きで素早くその攻撃をかわし、ヒアワサはまだ強化服を身に着けて間もないにも関わらず、こなれた動きで避け続ける。間髪入れずに振り下ろされる巨大な白い鋏。それを銛一つで受け止める。しかし、その鋏の重圧に銛が軋みだす。
「潰れろ!」
「嫌だね。漁師が蟹に負けたら末代までの恥だ。」
 ヒアワサは渾身の力を込めて鋏を跳ね返し、相手が怯んだ隙を見て飛び上がり、その突き出た眼を目掛けて銛を振りかざし、その飛び出た眼を力強く突いて根元から折った。
「ギィィィィッ!」
 フィドラーが再び叫んでよろめく。そして闇雲に地面にその大鋏を叩きつけ始めた。ヒアワサとワタルは何度か弾き飛ばされながらも立ち上がり敵の方へと向かっていった。ヒアワサの輝く銛と巨大な白い鋏がぶつかり合い、火花が散る。ワタルはその胴体に拳を何発も打ち込む。そしてついにその巨体が体勢を崩し、砂浜に仰向けに倒れ込んだ。彼女は脚をじたばたと動かしながらふらふらと起き上がる。ワタルの拳を受けたせいでその甲殻はかなり傷んでいる。
「アンタたち‥絶対許さないっ‥」
 彼女は呟くように言った。ヒアワサとワタルはもう彼女に戦う力がほとんど残っていないことを見抜いた。
「波砕海獣拳!」
 ワタルが拳を構え、そう叫びながらフィドラーの鳩尾に拳を入れた。彼女の体は砂浜に仰向けに倒れた。そして倒れ込んだその巨体に向かって銛を構えたヒアワサが飛びかかる。
「光魚銛撃(クラリオンハープーン)!」
 ヒアワサは気づくとそう叫んでいた。光り輝く銛がフィドラーの胴体の真ん中に突き刺さる。
「ギギギィ―ッ!」
 その体の真ん中にひびが入り、体中から泡が噴きだし、ドロドロに溶けていく。二人はその様子を静かに見届けていた。
「これで終わったのか…」
「いや、カイジンの中でもこいつはかなり格下の存在だ。この島もじきに奴らにマークされるだろう。」
「また化け物が襲ってくるのか?」
「おそらくそうなる可能性は高い。だが、その時は君がこの島を守るんだ。これ以上の犠牲者をこの島から出すな。もし奴らが攻めてきたら、命に代えても人々を守れ。」
 この日をもって、男は島の守り手となった。光の銛を受け取り、太陽の輝きを放つ鎧を手に入れた。男は銀色の騎士に続く「繭」で二番目の海の戦士となった。
 
「フィドラーめ。大口をたたいておいてこれか。」
 軍服を着た尊大な男、レイブンが椅子の上から冷たく言い放ち、タペストリーの蟹の紋章を爪で引き裂いた。
「これは貴方に背いた罰でしょう。あのような愚かな無礼者など、いないほうが良いではありませんか。存在自体がレイブン様の名誉を汚します。」
 青いローブを着た口元を隠した女、ブルーシャークが言う。
「そうだな。吾輩にはフィドラーなどいなくても何ら問題はない。それに吾輩の群れにはまだ優秀な者たちがいる。あれほどの面々が揃っていれば、必ず『繭』は潰れるだろう。」
 レイブンはフィドラーの死などまるで気にしてはいないかのようにそう言った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?