バタフライマン 第13話 茜さす弓矢
レイブンとその側近ブルーシャークの前に、白いパナマハットを被り、銃を持った長身の男が立っていた。
「それで、俺に何をして欲しいと?」
男は銃を手でくるくると回しながら言った。
「スパグナムよ。お前を見込んでの頼みだ。ユウカゲ村にかつて『繭』の戦士を輩出したアキツ家がある。そこの一人息子、アキツ・リュウジを殺してこい。お前の力を使って村でひと暴れしてみたいと思わないか?」
「お安い御用さ。ちゃちゃっと片付けてくるぜ。」
スパグナムと呼ばれた男はそう言うと、またも銃を手で回しながら玉座の前から去って行った。
「軽薄な男…」
ブルーシャークは怪訝そうに目を細めながらその姿を見送った。
ユウカゲ村は山間部にある中規模な農村である。この村には将来を期待される一人の男がいた。アキツ・リュウジである。精悍な顔立ちの青年で天才的な弓の才能があり、村中の人々の注目の的になっていた。彼の弓道に対する情熱は本物である。幼少期に今も愛用している弓、「茜」は父から預かった品である。しかし、なぜかその「茜」には赤い蜻蛉を模した装飾品が付けられている。父は「万が一のため持っておけ、必ず役に立つときが来る」というのだが、お守りと言うよりはおもちゃの類にしか見えなかった。彼は不思議に思っていた。あの厳格な父がなぜこんな玩具めいたものを弓につけるのか。まるで女学生が鞄に着けているアクセサリーのようだ。彼はこれの意味が知りたくて父親に何度も尋ねたが、同じ答えしか返ってこなかった。
そのころ、スパグナムはユウカゲ村の山奥にある共同墓地にいた。この村では死者は土葬により埋葬されており、墓は簡素な塚のようなものだった。
「そんじゃ、いっちょやりますか。」
スパグナムはそう呟くと、塚に向けて銃弾を撃ち込んだ。銃弾は小さな芋虫のような形をしていた。そして銃弾を撃ち込んで数秒たつと、土が盛り上がり、腐乱した死体が姿を現した。
この銃弾はスパグナムの分身である小さな蟲(ワーム)で、死体の体内で一瞬にして増え、自在に操って動かすことが出来る。スパグナムは次々と塚に蟲(ワーム)を打ち込んでいった。死体が蘇っていき、スパグナムの周りに集まる。
「こいつは賑やかになりそうだぜ!」
スパグナムはハイテンションにそう叫ぶと、体から蒸気を噴きだし、本来の姿を現した。真っ白な顔のない姿でその体は無数の細長く白い蟲(ワーム)で構成されたグロテスクな姿だった。怪物は墓地の中心で生ける屍に囲まれながら高笑いしていた。
リュウジが家に帰ってからしばらく経ったころ、彼はふと外が騒がしいのに気が付いた。
人々が次から次へと家の中に逃げるように入っていく。何が起きているのかと外を見ると、いくつかの人影が妙にふらついた足取りで外の道を歩いている。目を凝らしてその人影を見てみると、それは蛆が湧き、ところどころ白骨が見え隠れした腐乱死体の群れであった。
「どういうことだ‥」
現実ではありえないはずの常軌を逸した光景にリュウジは絶句していた。その歩く屍たちの中心には不気味な怪物がいた。白い蚯蚓のような生物が絡みあったような奇妙な出で立ちの人型の化け物が、やたらとテンションの高い動きをしながら歩いていた。
「アキツ・リュウジ君はいるかなー。いたらすぐに出てくるように。出てこないなら、俺のかわいい死体ちゃんたちに住民襲わせちゃうよ~」
怪物は死体を引き連れ体をくねらせながらそう言った。
「ほらほら大人しく出てこないと…」
すると、通報を受けて駆け付けた一人の警官が怪物の前に銃を手に躍り出た。怪物はすかさず銃を抜いて警官の方に向け、発砲した。銃弾が警官の体に命中すると、彼は地面に倒れて痙攣しながらのたうち回り、見る見るその体が膨れ上がり、破裂した。彼が破裂した後には大量の白い蟲の山が出来ていた。その吐き気を催す悍ましい光景にリュウジは目を背けた。
「いい死にざまだなぁ。惚れ惚れするぜ。早く出てこいよリュウジ~。村人全員こうして殺ることもできるんだぜ。」
リュウジは我慢ならなくなって家から飛び出そうとする。と、そこでリュウジの右腕を掴む者がいた。リュウジの父、アキツ・タツイチである。
「待て。」
「何だよ親父。俺が出て行かないと、他の人たちの命が…」
「ならばこれを持っていけ。」
父はリュウジの足元に置かれていた「茜」を指さした。
「その弓につけられた蜻蛉を取り外せ。そしてそれをかざして『装身!』と叫べ!それからこの矢も渡しておく。今は説明している暇はない。さぁ行くんだ!」
父はそう言うと、蜻蛉が羽を閉じたような形をした矢をリュウジに何本か渡した。
リュウジは訳も分からず、それを持って外に出た。
「お前がリュウジかぁ?随分と遅かったじゃないか‥大人しく俺に殺されろぉ!」
怪物が銃を向ける、とその時、手元の蜻蛉が茜色に光り出した。
「何だ‥」
リュウジは先ほどの父からの言葉を思い出す。そして、こう叫んだ。
「装身!」
「Sympetrum frequens」
蜻蛉から音声が鳴り、分裂してリュウジの体に纏いつき始めた。体に次々と装甲が装備されていき、数十秒でリュウジは矢を持った茜色の蜻蛉の戦士となった。
(どうなってる…?)
リュウジは困惑していたが、すぐに怪物と死体たちの方に向き直った。
「畜生!すでに力を手にしていやがったか!」
怪物はリュウジの方を見るやいなや地団太を踏み、悔しそうな素振りを見せた。
「お前ら!あいつを俺に近付けるな!」
怪物がそう命じると。死体たちが一か所に集まって陣形を組み、怪物の前に大きな壁を作った。
「これで近づけないだろ!」
怪物は誇らしげに言う。リュウジは一瞬戸惑ったが、すぐに弓を向けた。先程父から託された特殊な矢を死体の壁に向かってつがえる。そして彼は勢いよく矢を放った。矢は放たれると同時に形を変えた。閉じられていた翅のようなものが開き、蜻蛉の形となった。矢は自らの意志を持っているかのように飛び、死体の壁目掛けて突っ込んでいった。死体が数体激しく吹き飛ばされ、壁に大きな穴が出来た。そして矢はそのまま飛んでリュウジの元に戻っていく。この矢には標的を正確に捉え、適格に命中させる機能がある。そして攻撃が当たるとそのまま主人の元に帰って行く。そのため矢が切れる心配はないのだ。
(凄い命中率だ‥)
リュウジは急に自信が出てきた。これほどの弓があればあの怪物にも勝てるかもしれないと思ったからだ。リュウジは弓を片手に走り出した。そして歩く死体の壁の真ん中にできた穴に突っ込み、そのまま残りの壁を構成している死体たちに向かって弓を打ち込んだ。弓は凄まじい勢いで死体たちに突っ込み、その体を貫いた。死体たちは将棋倒しになり、動かなくなった。矢がリュウジの元に戻ってくる。
「来いよ‥化け物。」
リュウジは睨みを利かせてそう言った。
「舐めやがって…」
怪物は吐き捨てるように呟くと、銃口をリュウジに向けた。
「この銃が生きた人間に当たればどうなるか…体内で蟲どもが爆発的に増殖し、体が弾け飛ぶ。俺はこの死にざまが好きでたまらないんだ。お前の場合はどうなるかねぇ‥トンボくんよぉ!」
怪物―スパグナムは甲高い声でそう言うと
「行くぜぇ!」
と言ってこれ見よがしな動きで引き金を引いた。リュウジはその瞬間を見過ごさなかった。その優れた洞察力で飛んでくる蟲弾の動きを読み、素早く体を右に移動させた。そして僅差で弓を構え、そのまま矢を放った。矢はスパグナムの方に飛んでいき、蟲銃の銃口にすっぽりとおさまった。矢は銃口を塞ぎ、取り外すことが出来なくなった。蜻蛉型をした矢は銃口の中で暴れ、その翅が内部構造を破壊する、妙に生物的な見た目をした不気味な銃は緑色の汁と中に装填されていた蟲弾をまき散らしてバラバラに分解された。
「これでどうだ?もう武器は使えないだろ?」
リュウジは誇らしげに言った。
「これで勝ったと思うなよ‥青二才が。」
そういうとスパグナムは白いゼリー状のものを取り出した。
「こんなセコいもんは本当は使いたくなかったが‥仕方のないことだ。」
そういうとスパグナムはそれに食らいつき、むしゃむしゃと食べた。するとその体が震え、短時間で膨れ上がり、巨大になっていった。下半身は両足がなくなり長大な白い蟲(ワーム)の姿となり、上半身は等身大の姿がそのまま巨大になったような姿だったが両腕が巨大な白い触手となり、背中からも何本もの触手が生えていた。
「本当はやりたくなかったんだよ。体格差で圧倒するなんていう狡い真似は。でも、銃が使えなくなったんだから仕方ないよなぁ!」
スパグナムは白く長い体をくねらせながら叫んだ。
「来いよトンボ野郎!俺を倒せるものなら倒してみろ!」
スパグナムは触手を伸ばして襲いかかってくる、リュウジは弓を撃つが、触手に当たってもほとんどダメージがない。リュウジは一旦弓で戦うのをやめ、徒手空拳でこの巨大な怪物に挑んでみることにした。彼はこういった一見無理難題に思えることをこなすのが好きだった。リュウジは「茜」を一旦降ろすと、拳を構え、背中の蜻蛉の翅を広げて飛び上がった。そして伸びてくる何本もの触手を手で受け止め、素早い動きで時に避け、華麗に全ての攻撃をかわして見せた。しかし、交わしているだけではこの怪物を倒すことは出来ないだろう。やはり弓を使って打ち破らなければならない。奴の致命的な弱点に矢を打ち込むのだ。装身したリュウジはその複眼に人には見えないであろう何かが見えていることに気づいた。スパグナムの鳩尾の部分に何かが光って見えるのだ。これはもしや弱点なのではと思ったリュウジはそこを狙うことにした。リュウジはすぐさま弓をつがえ、、当てやすい距離まで近づくことにした。
「叩き落としてやる!」
スパグナムは目にも止まらぬ速さで翅を動かしながら突っ込んでくるリュウジを見てそう言うと、体から出た何本もの触手を伸ばして彼をはたき落とそうとした。しかし、リュウジはその攻撃を優れた反射神経で素早く避け、敵の鳩尾目掛けて突撃していく。
(まさか、俺の弱点を…)
スパグナムはそう思った。だが、
(こんな戦士になったばかりの青二才の勘がそんなにいいわけがない。)
彼は強化服にカイジンの心臓部の位置を探知する力があるということを知らなかった。
そして油断した。それがスパグナムの運の尽きだった。リュウジはスパグナムの気のゆるみを見逃さなかった。「茜」をつがえて狙いを正確に定め、鳩尾目掛けて矢を打ち込んだ。
「…っ」
スパグナムは声を出す暇もなかった。矢がみごと命中し、心臓部を打ち砕いたのだ。何かが砕ける音がして、スパグナムの体が光を放ち、燃え上がった。巨体が崩れ落ち、灰になっていく。リュウジは地面に降り立ち、一息ついてから落ち着きはらった様子で風に舞っていく灰を見つめていた。
その後、リュウジは父親から「繭」のこと、カイジン一族のことを聞いた。物事に順応するのが早い彼はすぐにその事実を飲み込み、「繭」の一員として戦っていくことを決意するのだった。
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