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バタフライマン 第10話 先代蝶戦士の初陣

メタモル・シティが新都市計画によって開発される何十年も前、この地はアケビという農村であった。畑と農家が点在する何の変哲もない穏やかな村で、店と言えば個人経営の商店のみ。その中心の一際立派な西洋風の屋敷が、カラスマ家であった。そこで暮らしていたのが。若き日のカラスマ・キイチである。彼の父にしてミドリの祖父、カラスマ・カヅキは大変尊敬を集めていた人格者であり、地主にして莫大な資産を持ちながらそれを私利私欲のために濫用せず、慎ましやかな生活を送っていた。その息子であるキイチもまた、謹厳実直を絵に描いたような青年であった。この村で、ある恐ろしい事態が起こる。
 村のはずれにはノゾミ山という低い山があった。その麓には何が奉られていたのかもわからない古びた社がある。手入れこそされているものの、ここをを参拝したり、訪れたりする者はほとんどいない。ある日、その境内を毎日清掃していた老婆が、社の中に何かの気配を感じた。境内に入る人すらほとんどいないのに、社の中の入るものなどいるはずがない。不審に思って覗いてみると、そこには白い布を被った何者かが座っていた。その人物は老婆の方に顔を向けると
「我が名は千本針。この地に降りた神仙なり。」
 と言った。老婆は驚嘆した。
「今すぐこの社を建て直し、我を崇め奉れ。」
 千本針を名乗る怪人物はそう言うと、老婆にこのことを村中に広めるように命じた。こういった霊的存在を信じていた老婆はすぐに村人たちにこのことを伝えた。すぐに社の改修が執り行われ、数週間が立った後。人々は千本針と名乗る男を本物の現人神であると崇め始めた。彼は体から針を抜き取ると彼を崇める人々に渡した。そしてそれを肌身離さず身に着けるよう命じた、。信者は瞬く間に増えていき、村人のほとんどが白と黒の縞模様の針を身に着けていた。いつの間にか、「千本針教」なる集団が立ち上がり、人々は皆朝起きて社に行き、千本針を礼拝した。このことをよく思わない者がいた。カラスマ・キイチである。今までも怪しげな宗教紛いが村に来ることはあったが、今度のは異質である。皆の熱狂度が尋常ではない。千本針が全財産の半分を捧げろと言えば、信者は何のためらいもなく捧げる。農作物や畜産物を捧げろと言われれば、言われるままに捧げる。そして何度もお辞儀を繰り返し祈り続ける。一日中針に向かって祈り続ける者、自らの体を針で突き刺し、自傷行為を行う者までも。これをいぶかしんだキイチは社に行き、千本針の正体を見抜こうとした。キイチは社に近付くと、集会の様子をそっとのぞき見した。白い布を被った男が壇上に座り、その前に信者たちが集まり、膝をついて礼拝していた。皆怪しげな文言を唱えながら、一心不乱に地面に手をつき、千本針を崇敬していた。その異様な光景を見て、キイチは戦慄した。礼拝が終わるころ、キイチは社の外に立っていた。すると一人の老婦人が、
「あらカラスマさんとこの坊ちゃん。あなたも千本針様のもとでご奉仕したらどう?、『功徳の針』を拝んで『針行』をすれば、今よりももっと立派で徳の高い人間になれるわよ。」
 そう言った老婦人はキイチに腕を見せた。
「これを見て、毎日の修行の証よ。」
 そこには太い針で突き刺したような傷がいくつもあった。キイチは目を背けた。こんなことを強要する宗教は明らかにおかしい。
「まさか、全員これを‥」
「えぇそうよ。千本針様に使える信徒の義務だもの。」
 この異常な宗教の流行に危機感を覚えたキイチは、父カヅキにこのことを相談した。
その異常性を知ったカヅキは村人たちを役場に集め、こんな如何わしいものを信じることをやめるように言った。体を傷つけることを強要する教えなど無駄でしかないと諭し、説得しようと試みたが、人々からは多くの反発の声が上がった。彼らはもはや千本針の教えを絶対視しており、部外者からの諭しなどに聞く耳を持つことはなかった。そしてカヅキはその異常なまでの信仰を集める千本針という者の正体にある恐ろしい可能性を見出したのだった。それはカラスマ家の人々が代々戦ってきた不倶戴天の敵にして人類全体の敵でもある恐怖の存在であった。そして、息子にあるものを託す時が近づいているかもしれないと感じるのだった。
 千本針とその信者たちの奇行はますますエスカレートしていった。腕に針を刺し続けながら街中を練り歩いて布教をしたり、蛙や野鼠に針を突き刺して食し、「功徳の肉」と称するなど、異常性は日に日に増していく。そしてついに、恐ろしいことが起きた。ある日、息子と娘を持つ二人の母親が千本針に社に呼び出された。
「千本針様。何かご用ですか?」
「お前たちにはそれぞれ子がおろう?」
「はい、いますが‥」
「その子らを明後日の夜、我の社に連れてこい。お前たちの子供を、我の供物として捧げるのだ。さすれば、我が有り余るほどの功徳をお前たちに与えよう。」
 母親たちは絶句した。いくら信仰の対象である千本針の言葉といえども、大事な子供を供物として差し出すなど出来るはずはない。
「千本針様のご命とは言え、我が子を捧げるなど到底出来ません!」
「どうかそれだけはご勘弁を…」
「ならば仕方がない。こうするまでだ。」
 千本針はそう言うと、母親二人の後ろに回り、首に小さな針を刺した。すると二人の目つきが生気のないものに変わり、恍惚の表情を浮かべながら、社を出て行った。
そのころ、2人の母親の子供であるユヅルとヤヨイはそれぞれの家で母親の帰りを待っていた。すると、母親が帰って来た。
「お帰りなさい。今日はユヅルにいい知らせがあるの。」
「何?母ちゃん。」
「明後日の夜、あなたは千本針様と一つになれるのよ!」
 母親は狂喜じみたまなざしでそう言った。
「えっ‥それって‥」
「とにかく楽しみにしててね。明後日の夜、ヤヨイちゃんと二人でお社の中に入ってもらうからね。0時になったら、千本針様が来てくれるわ。」
 ユヅルにはなんのことだかさっぱり分からなかった。千本針は、母親が最近はまっている宗教のようなものだということは知っていたが、一つになるとは何を意味するのだろうか。
その後、ユヅルはヤヨイの所に行った。彼女はこの時間はいつも道端で鞠をついている。
「ヤヨイ‥実はうちの母ちゃん、ちょっと変なんだ。明後日の夜にお前と一緒に社に来いとかさ‥」
「私も言われた。お母さん、目つきがおかしかったわ。いつもと全然違ったの‥」
 怖くなった2人はカラスマ家に向かった。キイチは子供たちからも慕われていて、いつも相談に乗ってくれる。2人はカラスマ家の門を叩く。キイチは子供たちの話を聞いた。
「実は僕も、その千本針って奴のことを怪しいと思っていたんだ。よし、その日、社の前にいてあげよう。何かあったらすぐに飛び入るからね。」
 キイチはそう言うと、子供たちは家に帰って行った。
その後、キイチはカヅキにこう言われた。
「お前、千本針について何か子供たちに頼まれたのだろう。全て聞いていたぞ。」
「はい。それが何か…」
「千本針の正体は割れてる。お前に見せたいものと託したいものがある。」
そういうとカヅキは家の裏にある土蔵の中に入り、古びた書物の山を持ってきた。表紙には「改人録」と書かれている。カヅキは本を開き、中の絵をキイチに見せた。
「これは…」
 そこには人間と鳥獣魚虫を混ぜ合わせたような異形の醜悪な怪物たちが描かれていた。
「これは‥妖の図譜か何かですか‥」
「いや。これはそんな絵空事を載せたものではない。バクフの時代から続く『繭』が編纂した門外不出の図譜だ。」
「すると、この化け物が実在すると‥」
「そうだ。奴らの名前はカイジン一族。自然の摂理を冒涜する暗黒の魑魅魍魎にしてこの世にある中で最も恐ろしい絶対的な悪だ。獣にも劣る悪鬼だ。そして千本針もカイジンだ。お前には奴らと戦う義務がある。」
「しかし、そんな化け物とどう戦うと‥」
「そのためにこれがある。」
 カヅキはそういうと、斑の蝶の形をした装飾品のようなものを取り出した。
「これは‥」
「お前は今日から、『繭』の一員だ。いざとなったらそれを手に握って『装身!』と叫べ。そうすれば、お前は戦士になれる。子供たちを何としても救うんだぞ。」
 カヅキはそう言うと、キイチの肩を強く叩いた。
 一方、社では、
「シャラシャラシャラ…人間ってのはちょろいもんだ。それっぽく出鱈目を言えば、すぐに目の色変えて言う通りにする。おかげで新鮮なガキが踊り食いできるぜ。キラービーにも子供の手足を持って帰ってやろう。さぞ喜ぶぞ‥シャラシャラシャラシャラ!」
 社の障子の向こうで背中から何本もの針が生えた影が不気味に揺れながら、恐ろしい言葉を口にしていた。
そしてその夜、母親は子供たちを連れ出し、社に置いていった。二人は暗い社の中に取り残された。キイチはその裏で何か起きたらすぐ飛び出せるように密に見守っていた。しばらくすると、白い布を纏った男が社の奥から現れた。
「おぉ。稚児らよ。待っていたぞ。我のもとに来い。」
 2人は抱き合いながら怯えていた。
「怖がることなど何もない。お前たちは我と一つになるのだ。さぁこっちに来い。」
 千本針が2人に手を出したその時、キイチが社に飛び込んだ。
「待て!貴様、子供たちをどうする気だ!」
「誰だ!神聖なる儀礼の邪魔をする無礼者は!」
「何が神聖だ。狂った化け物め!」
「まさか‥お前‥」
「貴様の正体は割れている。本当の姿を現せ!カイジン一族とやら!」
「ばれちまったら仕方がねぇ。お前をガキどもと一緒にオカズにしてやる!シャラシャラシャラ!」
 千本針の口調が変わり、背中の布が破れ幾本もの縞模様の針が伸びてくる。顔は鼠のような醜悪な物となり、体からも毛が生える。千本針はたちまち悍ましい獣人となった。その姿は以前本に描かれていた山嵐という異国の獣に酷似していた。
「俺はポーキュパイン。お察しの通りカイジン一族だ。」
ポーキュパインはニヤリと笑う。
 キイチは慌てず、父から託された者を取り出す。見るとまばゆい光を放っている。手に握りしめると
「Luehdorfia japonica」
という音が鳴った。そしてキイチは
「装身!」
と叫んだ。すると蝶の形をしたものが変形し、キイチの体に纏いつく。そしてそこには、美しい斑の翼を
広げた戦士となった。
「『繭』ッッ!性懲りもなくカイジン一族に楯突きやがる。」
「なんだか知らないが子供を食おうとする奴を放っておくわけにはいかない。ここで倒さてもらう。」
 キイチはそう言うとユヅルとヤヨイを外に逃がした。二人は素早く社の外に駆けだしていく。するとポーキュパインは
「テメェ何しやがる!せっかくの晩メシを逃がしやがって!」
 ポーキュパインは激昂し、背中に生えた無数の針を2人に向かって飛ばした。キイチはすかさず社の入り口の前に立ちふさがり、飛んでくる針を全てその体に受けた。針は合成繊維できた強化服に当たって折れ、床にボロボロと落ちた。
「貴様の相手は僕だ。かかってこい。」
「シャラシャラシャラ!いいだろう。」
 ポーキュパインは体を大きく震わせ、背中に生えた全ての針を一気に発射した。
「針筵ォ!」
 上から何百本という数の針が降ってくる。キイチは飛び上がり、社の天井を突き破って
屋根の上へと退避した。針が全て社の畳に刺さる。ポーキュパインの背中から瞬時に針が生え、すぐにキイチの後を追って天井に開いた穴から飛び出す。
「待ちやがれチョウチョ野郎!標本にしてやる!」
 ポーキュパインは社の背中から針を飛ばしながら屋根の上を走ってキイチに襲いかかってくる。キイチは飛んでくる針を避けながら走り、拳を振りかざす。武術の経験は少なかったが、気づけば体が敵を討とうという確固たる信念の元に動いていた。飛んでくる針をものともせず、頑丈な強化服で全て跳ね返していく。そしてポーキュパインに拳を当てようとする。しかし次の瞬間、ポーキュパインはキイチの手の甲に噛みついた。強化服のおかげで痛みはほとんど感じなかったが、かなりの圧力がかかった。キイチはすぐに膝を使って思い切りポーキュパインの下顎を打った。ポーキュパインの口が手の甲から離れる。ポーキュパインはまたも針を飛ばすが、キイチはそれを全て強化服ではじき返し、再びその胴に蹴りを入れる。仰向けになったポーキュパインを見計らってキイチは翼を広げ、空に飛びあがる。そして気づけばこう叫んでいた。
「大揚羽正拳突き!」
 キイチはその胴体に向かって空から急降下する形で、拳を強く打ち込む。ポーキュパインは一瞬動かなくなったが、また攻撃をしようと体を反り返らせた。その刹那何かが砕ける音がして、ポーキュパインがギャッと叫び声を上げる。そしてそのまま全身から火を放ち、燃え上がって灰となり、消えていく。
「終わった‥のか‥」
 キイチはその様子を静かに見つめていた。
ユヅルとヤヨイは目の前に現れたい美しき武士(もののふ)の姿を抱き合いながらキラキラと光る眼で見つめていた。
 その後、村の人々は洗脳から解放され、二人の子供の母親は自分のしたことを恥じて、子供たちに泣きながら手をついて謝った。キイチはこれからも、カイジンの個体数が激減するある日まで何十年にもわたって戦い続ける。そしてカイジンたちがより恐ろしく残忍になって戻った時代、その戦闘能力と義の心はミドリに受け継がれるのだ。
 
 
 
 
 
 


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