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映画「対峙」“すごい映画を見てしまった”

映画の舞台は町の教会。
そこでは近所の子供がピアノレッスンをしていたり、讃美歌の練習が行われていたり、近所の人たちが集うであろう、そんな庶民的雰囲気の教会。
教会フタッフも、親しみやすく庶民的。
そこへ、本日この教会の貸し出しスペースを予約した女性がやってくる。
スーツ姿でビジネスライクなその女性、到着して早々、部屋を細かくチェックする。
教会にはピリっとした緊張感が漂う。
ここで一体何が起こるのか?私たち観客はしばらくは分からないまま映画は進む。
そこにやってきたのは2組の夫婦。
夫婦たちは互いに自分の子供の思い出話を始める。笑いも交えて。
で、この人たちは、何のためにここに来たのだろうか?関係性は?
まだ、分からない。
そしてしばらくして、彼らの感情に変化が現れるとそれに気づく。
彼らは被害者と加害者の家族で、その当事者は彼らの子供たちであると言うことを。

とある高校で起こった銃乱射事件。
発生してから6年、初めて被害者の親と加害者の親が対面する。
そこで繰り広げられる密室会話劇。
セラピストの勧めで、被害者の両親が悲しみから立ち直るために設けられた対話の席。
当然、感情が露わになり、対立し、怒号が飛び交う。
しかし少しずつ、怒りの感情が鎮まり、やがて赦しと癒しの感情がやってくる。
同じ子供を持つ親の立場として同情と共感から。特に母親同士の。
ここは聖母マリアのいる教会。そして赦しの場でもある教会。

このカタルシスの瞬間に、私たち観客はほっと安堵する。
ここで自分たちも彼らと同じく緊張していたのだと気づく。
心地の良い感動も束の間、2回目のカタルシスがやってくる。
このカタルシスはどことなく悲しみが含まれている。
通常の映画は、クライマックス(カタルシス)は一回。映画を盛り上げて、観客を気持ちよく劇場から送り出すために。
ではなぜ、わざわざ悲しみの余韻を監督は残したのだろう。

この映画には随所に印象的なリボンが登場する。
野原にある有刺鉄線。そこに結ばれ風になびく一本のリボン。
リボンを見てピンと来た。

2014年に韓国で起きたセウォル号沈没事故の時に起こった「黄色いリボンキャンペーン」。
黄色いリボンは「戻ってくることを切実に祈る」という意味。
またアメリカでは、愛する人や、戦争に送られて帰ることができなくなった兵士達に対しての祈りのシンボルとして使われている。
また監督は、2018年に起こった銃乱射事件にショックを受け、映画のためのリサーチを始めたとある。
アメリカでは今現在でも銃乱射事件が後を絶たない。銃規制の問題も解決には程遠い。
また銃の問題もさることながら、世界では紛争、争いが絶えない。
そしていつも犠牲となるのは、ここに登場するようないち市民たち。
リボンは監督の祈りであり、社会に向けたメッセージに思えてならない。

この作品は、被害者と加害者と言う対立構造だが、
ここに登場している家族も、当事者である子供たちもみんな被害者なのだ。
それを象徴しているのがこのリボン。
では加害者(加害を加える側)はどこに?そのヒントはエンディングシーンにある。

「対峙」
https://transformer.co.jp/m/taiji/



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