老いていく母と暮らしていると 自分でも嫌になるくらい なんで?ってことにもイライラしてしまう ヘタすると「はーー?!っんなんだよぉ!」なんて 今まで使ったことのない 汚い言葉で攻撃していることもある それくらいの激しい言葉を吐かないと 心の調整ができない様な感覚で ダメだよーーー! 抑えて。深呼吸して。 という気持ちがヒラリとかすめるのだけど 私自身も年齢的なものなのか 近頃一段と 感情と声のボリュームの調整機能がぶっ壊れている こんな調子だと いくら”鈍感力”に磨きが
女子づくしが 私にはHappy この世には男性もいたんだった!と不意に改めてハッとする事がある。 意味不明かもしれないけれど、 私の世界の登場人物はほぼ女性のみで構成されている。 母とスポーツジムについての会話の途中 そういえば男性も同じプールを利用するのよね?! うーーん残念、それでは気持ちよく過ごせない、、、という展開になった。 そのような発言は控えるべき。 少なくとも親しくしてくれている人たちには敢えてそのような事を 伝える必要はないから気をつけること!と何度も注意
今日こうして生きているから 死についてよく考える方だと思う。 楽しい食事の席で話題に挙げるものではないし これについて口にすることを嫌う人もいるから 他人とは語り合わないようにしているけど。 8年前に祖母が他界したが なかなか会える距離にいなかったため、大きな悲しみは感じなかった。 94歳になる頃だったから大往生だねぇと、長く生きて生を終える過程を 大好きだった祖母からなんとなく教わった気がした。 寝たきりの毎日からやっと自由になって、 早く迎えにきてよ〜と何度も呼んでい
今回は 鼻毛のはなし どうでもよい話なのだけど、 鼻毛の処理はしてますか? 鼻毛のほんの先っぽをカットしたのはこの50年で合計20本あるかないか。 ずっと気にはなってたけれど、飛び出してはいないみたいだし、 ま、いっか。で通してきた。 つい先日 小さな鏡を手に「鼻毛が〜 鼻毛が〜」とフガフガしている母に遭遇。 そんな顔もできるのね!という変顔で直視ができなかった。 もともと体毛の薄い母も気になるということは、 比べればまだ全身の細胞も活発な私も 少しは気にしたほうが良いの
マザコン、ファザコン、そしてミコン。 未婚なものだから、50歳でも嫁入りまえです。 ある日予期せぬ大きな衝撃が走らない限り、 最後の彼氏で大満足している。 その関係はもう10年ほど前に止まったままだけれど 互いのお誕生日と新年のお祝いメッセージは今も欠かさない。 生存確認の意味もあり、二人の間の変わらない挨拶を交わす。 年々文字数が減っていくが、 自分にとっては家族の次に大切な人。いつも案じている。 母と同じ年の彼氏。 17歳くらいの頃に初めてその名を発見して以来 こっそ
初めて目にした時は おぉっ!って希望の光が差したような喜びが走った。 「自己肯定感の低いわたし」 誰かが書いたその文面に目が留まり、これは救いの言葉だ!!と飛びついた。 自己肯定感が低いので〜。 自分の至らない部分を上手く埋めてくれる言葉だと思い使いまくっていたのだが、「私もわたしも〜」と共感女子が一緒になって盛り上がるというパターンもあり、その度に違和感があった。 そして気づいた。嗚呼、、、またやってしまったと。 相手は返事のしようがないし、そんなこと言われたんじゃ会話も
断捨離と終活の境目が分からないなーーー そんなことを思いながら既に何度か手をつけている戸棚を開けた。 さてさてこの箱はなんでしたっけ? と手にとったのは 何度も審査にかけられ生き残った 超厳選お気に入りレターの小さな箱だった。 物忘れの激しさが少々深刻になってきているけれど、 10通ほどの手紙やカードは まるで初めて読むような 超厳選にしては記憶の片隅にもないチームだった。 大体が20年前に受け取ったメッセージ。 海外移住が決まった姉からの手紙や、仕事を共にする母からの叱
トラウマ あと少しで眠りに落ちる そんなタイミングだった 朦朧とした脳で 答えを探り出すには随分と年月を遡る必要がある質問だった 「うーん、えっと、」とりあえず頭に浮かぶ単語を発するよりも先に じんわりと涙が溢れ出し 気がつけばベッドの上で泣きじゃくる自分がいた 突然の大洪水に 寝ぼけながらも引いた 涙と一緒に溢れでたのは 小学2年生の頃の出来事に対する自分の感情だった。 鉄の塊のような蓋をこじ開けられてしまった「何してくれるねん!」という 微かな怒りと、 涙で滲んだ視界
野菜は焼く派 アスパラ ブロッコリー にんじん かぼちゃも 蓮根も キャベツだって 茹でるのではなく 焼いて食べるとより美味しいと感じる 焦げている そう呼ばれるギリギリ一歩手前の 鼻をかすめる香ばしさと こんがりを通り越して ”ゴンガリ”とした焼きいろが食欲をそそる 余計な水分が入らず 野菜本来の甘味が際立つのだとおもう 色づきを見極めながら焼きつけるその際に 無駄に空焼き状態を強いられるフライパンの劣化も気になるところだが 美味しさのために犠牲になってもらってい
人は自分がして欲しいと潜在的に願っている事を 他の人に施す 行動を干渉されたくない女性は 自分の周りの人間の行動に寛大で自由にさせるし 好意を持つ相手にちょっかいを出すことなんて 典型的なかたち 私は女性のかわいい部分を探し出して褒める できれば口に出して伝えることが 癖になっている その女性の素敵なところが強調されてポン!と視界に入ってくる感じ 「それはね、自分自身が人にそうして欲しいと思っているこのなのよ」 「だから気がつくのよ」 知ったような口調で言われた瞬間は
ポンコツな毎日を 25歳でOLを辞めて以来、 寝ても覚めても”好き”と思えるお菓子を 自分の生涯の仕事としてやっていこうと決心して走り続けてきた。 その間、恋も幾つかしてみたけれど 最優先は彼ではなく仕事。いつもピリピリしてたのだと思う。 一つ恋が終わるたびに とてつもなく安堵し、仕事にだけ集中できるぞ!という喜びが 恋の終わりの悲しみを見事に押し退けて心を占領するのだった。 始まると同時に、いつ終わる?と考えてしまう自分がいた。 大好きでたまらない事を仕事にすることがで
匂いは記憶ととても綿密に連動している。 しかしそれ以上に、 いつどこで何を食べたか?を中心に記憶が構成されているのは私の脳。 食べ物が登場しなかった事柄は文字通り味気ないゆえに、 出来事としてカウントされず メモリーにも残らないシステムだ。 味覚が冴えている。というより 視覚的に食べ物が登場したか否かで振り分けられている。 それに気がついたのはすっかり大人になってから。 話を鼻に戻しましょう。 匂いはその時の空気感を一瞬にして思い出させてくれる。 ぽかぽか陽気の木漏れ日が心
初めまして にかえて取り止めのない話から始めてみよう はじめまして。 butter cream と申します。 書く 伝える 発信する その先に 伝わって 喜んでもらえて 楽しみにしてもらいたい 周りにいるライターのお友達や読書家の人には敵わない。 ずっとそう思うことで逃げてきたけれど、心の片隅に大事に取っておいた そんなこと 遂にやってみようじゃないか!の時が来たのです。 といっても、これまでの人生で絶対的な評価をされることを成し遂げた訳でもなく まだまだ自分の向かう先すら