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自分に優しくする

父と、母を大事にせねばと思う。
でも、時々、父のことが嫌いになる。

父は、年のせいで耳が遠くなり、母は、そのせいで意志の疎通がはかりにくくなったことを気にしていて、精神的にしんどいと口にしている。

みんなで相談して父に高性能の集音器を買ったが、面倒くさいと、こちらが促さないと使わず、デイケアの人のように、耳元で話してくれという。

先日、母や私の言うことを聞こえているのに、聞こえないふりをすることが度重なったので、私も、流石に怒った。

母が、コミュニケーションで悩んでいるのに、なぜ聞こえている時まで無視するのかと。

頭の中では、そんなことで怒っちゃいかん、相手は、高齢なんだからという声がしていたが、私は腹がたった。

自分の言いたいことは、こちらががしゃべっていても構わず話すのに、こっちが話しているときに聞こえないふりまでするとは何事か。

直後から、「怒ってしもたなぁ」と、自分を責める気持ちが湧いてきた。
高齢者がわがままになるのは、よくあることだ、なぜそれを広い心で受けとめられないのか。

こんなこと言って、もし明日、心臓の発作でも起こしたら、これが最後の言葉になるぞ。

さまざまな言葉で自分を責めた。

以前の私だと、そのまま、自分を責め続け、自己嫌悪がずっと続き、晴れない気持ちのまま何日も過ごしていたと思う。


だが、最近は、こんなとき、自分を責めずに、優しくするようにしている。

落ち込んでいる自分に声をかける、

「腹がたったんだよな」
「怒らないほうが良かったかなって、思ってるんだよな」と。

反省したり、後悔している自分の言い分を、批判せずにただ聞いている。

しんどいときは、しんどがっている自分のところに行って、そのしんどさに、寄り添う。

一年ほど前から、こんなふうに自分の気持ちに気づいて、もう一人の自分に接する練習を、TO-JIBAひろみさんに教えてもらいながら続けている。

自分の中には、思考や感情などがたくさんあるが、それを見ることができるもう一人の自分(意識)がいる。

その意識に気づいてもらえると、感情や思考は安心して、ある時はゆっくり、ある時は直ぐに消えて行く。

自分をコントロールすることが少しずつできるようになってきた気がしている。