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融念寺 裾をつまんだお地蔵様

 奈良県北葛城郡王寺町の住宅街の中にある融通念仏宗の小さなお寺です。

 重要文化財の、2体の仏様は、恵宝殿にいらっしやいました。
 大変明るい性格の御住職が、丁寧に説明をしてくださいました。

 2体とも、元は神岳神社の神宮寺にお祀りされていた仏様で、神像として造られたのではないかと言われているそうです。

 地蔵菩薩様は、10年程前に東京国立博物館で展示されてから有名になり、全国から拝観の方が来られるようになったそうです。
 
 9世紀半ば頃に造られた古い仏様です。高さは、156センチで、スラリとした、モデルさんのような体型の仏様です。
 彩色の無い木の素地のままの仏様で、内刳りのないヒノキの一木造りです。
 頭の上のほうが阿弥陀様のように高いですが、阿弥陀様のような肉髻の段差があって高くなっているのではなく、お地蔵様なので、剃髪した頭が伸びた感じです。

 丸く弧を描く眉は浅く彫られ、その下の瞼は少し眠たげです。目は細く開かれ、口元には笑みを浮かべておられます。そして、西洋人の様な、鼻筋の通った、高い鼻をされています。
 そして、この仏様の最大の特徴は、長い右手が衣の裾を膝の辺りで優雅に摘んでおられることです。

 摘んだところから延びる衣のひだが、さざなみのように下に向かってくり返される様子が何とも自然で心地く、裾を摘む手が大変しなやかでエレガントです。

 裾を摘んだお地蔵様は、桜井市の長谷寺でも拝観しましたが、この仏様の様にしっかり摘んではいませんでした。

  鼻筋が通っていて、足が長いのでどことなく、異国の仏様という感じがします。
 
 向源寺の十一面観音様にお会いした時にも感じましたが、この仏様は、仏様を彫ることに精通した、たいへん腕の立つ仏師によって彫られたことだけは、間違いなさそうです。その人は、もしかしたら異国の仏師だったのかなと、思います。

 隣には聖観音様がいらっしゃいました。舟形の板光背を背負っておられます。その光背には彩色文様が残っています。また裏には、造られた年も残されています。

 お体にも彩色や漆、白い下地が一部残っていますがほとんどは、落ちて木の素地が表れています。

 腰は細いですが反対に太腿から下はどっしりした体型です。

 お顔は頬の膨らんだ丸顔で、女性というより、健康的な中学生か高校生に見えました。一言で言えば、誰もが日常的に、どこかで見かける顔という感じでした。

 舟形の板光背は、室生寺の、仏様に良く似ている気がしました。
 同じように、地蔵菩薩様の全体の感じも、元は室生寺の仏様だった、安産寺のお地蔵様に似ている気がしました。
 (もしかしたら、室生寺と関係があるのでしょうか?)

 地蔵菩薩様は、神像ではないか?と言われることが多い仏様ですが、私は、神像ではない気がします。
 今までにいくつか神像を拝見しましたが、笑っておられる像はあまり無かったかなと思います。どちらかというと、神像は、訥々した表情の像が多いような気がします。また、衣も、浅く簡素化して彫られることが多いような気がします。地蔵菩薩様の様に、裾を摘んだ優美な表現は、神像としてそぐわない気がします。

 どちらにせよ、まだ、仏教が一般の庶民に十分浸透していない時期に、仏よりまだカミを信じていた人たちが、その仏様を見た時、ぐっと惹きつけられ、仏教に興味や親しみを感じるようにとの意図で造られたお地蔵様と、観音様なのかなと思いました。

 この時期に作られた仏様の中に、極めて魅了的な仏様が多いのは、そのような意図のもとに作られたからなのでしょうか?

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 以前は、拝観できる曜日が限られていましたが、今は、(予約は必ず必要ですが)御住職の都合がつけば、曜日に関係なく拝観できるようです。

 すぐ近くに、やはり融通念仏宗の同じ名前のお寺があります。時折、間違える方がおられるようです。住所にご注意ください。 

 冒頭にある写真は、お寺のフェイスブックに出てくる「ねこ如来」です。御住職がよく行かれる餅飯殿(もちいどの) 商店街のガチャガチャ屋さんで買いました。