雨の日のさんぽ
先日、マインドフルネス瞑想をしながら、自分の負の心の状態に意識を向けているとき、ふと、これは、雨の日の散歩とどこか似ているなと、気づきました。
負の感情を見続けることが、雨の日のさんぽに似てるのは、雨の日のさんぽが、晴れの日より寒く、薄暗くて心は滅入るし、傘はささなければならなくて、実際、嫌な気分ばかり続くのに、それをずっと意識しているところです。
その時、私の心の中には、言わなければよかったという思いが、こびりついて、少し落ち込んでいたんです。
以前ならそんな時、早く、明るい気分になりたいなぁって思って、嫌な気分からは、すぐ意識をそらしていたんですが、マインドフルネス瞑想をするようになって、少し経って、そんなちょっとしたネガティブな感情も意識し、感じようとするようになったなあと、思っています。
でも、決して心地よくない心持ちを、何で敢えて意識し続けるようになったのか。
それは、私が、マゾヒスティックだからなのではなくて、不快なことも含めて、様々なことを感じている自分を見ているのが、面白いなぁと思うようになったからかもしれません。
以前は、嫌なことを感じている自分が、そのまま自分自身でしたので、こんなことはしませんでしたし、しようとも思わなかったです。
ですが、何かを感じている自分と、それを少し離れて見ている自分とが、実は別なんだということが分かり、更にマインドフルネス瞑想にであって、ネガティブな感情も実は、自分の心の一部であって、ことさら避けるものでもなんでもないんだから、ただ見ていればいいんだなぁって、思えるようになるにつれて、嫌な気分も少しずつ味わうようになってきました。
マインドフルネス瞑想は、自分の感情や思考を、目の前の流れる川を見ているように、反応せずただ眺めている練習です。
でも、これは、心が落ち着いていないと、まだまだ難しいです。
すぐ考えの中に入っていってますし、強いネガティブな感情がどーんと来たときなどは、見ているどころではなく、すぐ反応して、何とかしようと頑張ってしまい、かえって感情に巻き込まれて、抜け出せなくなっています。
最近、マインドフルネス瞑想で、日常生活で違いを感じることがあるので、面白いくて、よくします。
やっていても、直ぐには結果が出ないことも多いですが、そんなことにも慣れてしまえば、果報は寝て待てみたいな感じです。
今日は何が起こるのか、待っています。