見出し画像

マインドフルネス瞑想を始めて一年が経ちました。

TO-JIBAひろみさんに、マインドフルネスを習い始めてから、一年が経ちました。


今日は、マインドフルネス瞑想をすることについて書いてみたいと思います。

初めに、何故マインドフルネス瞑想をするのか。

一言で言えば、したほうがずっと気持ちよく生きられるからです。

では、具体的にどうなるのか。

それは、やってみないと分かりません。

人によって、起こることが違うので、瞑想をするとこうなるとは、なかなか説明できないのです。

それは、水とはどんなものだと、サリバン先生が、いくらヘレンケラーに言っても分からず、触ってみて初めて水がどんなものか分かったのに似ていると思います。

やってみるのが一番なんです。

私の場合は、欝から、比較的早く立ち直ることができました。

怒ることが減りました。

未来のことを心配することが減りました。

何かアクシデントがあっても、あわてなくなり、起きたことのプラスの面に気づくようになりました。

一度にたくさんのことをせず、一つのことを丁寧に出来ることが増えました。

これは、あくまで私の場合です。

でも、誰にでも確実に起こることがあります。
これから、その一般的なことについて、書いていきます。

まず、

自分の中にある、思考、感情、身体の感覚と、

それを見ている自分との距離が、

だんだんとひらいていきます。

自分の思考や感情を、離れたところから見ることができるようになる感じです。

そもそも、思考や感情は、自分ではありません。

思考や感情を自分だと思うのは、勘違いなのです。

それは確かに自分の中にあるものですし、自分の一部かもしれません。

でも、自分そのものではないのです。

思考は、目や耳に入った刺激をもとに脳が勝手に作り出すもので、自分でコントロールできません。

感情も思考をもとに、脳が勝手に作る電気信号で、やはり自分ではコントロールできないものです。

その目的は、自分のアイデンティティを守ることです。

だから、その声に従ってどこまで物事を完璧に行っても、どんなに頑張っても、最終的に幸せになれないように人間はできているのです。

少し極端なことを言いました。

では、本当の自分とは?

本当の自分は、思考や感情を見てる側の意識。

意識です。

自分がいるという感覚です。

難しいですね、すみません。

映画のスクリーンに例えている本がありました。

思考や感情はスクリーンに映る映画で、意識はそれ見てる人。

いかがでしょうか。少し分かりやすくなりましたでしょうか。

私は、マインドフルネス瞑想を続けていて、思考を、はっきり今来たと、認識できるようになりました。

すると、まるで電光版のニュースを見るように、そーなんだ、ふーんと、やや他人事のように見ることができるのです。

そして、それをただ見るだけ、ふーんで済ますと、思考が消えていくことに気づきます。

反対に、思考は、それに反応して、良い、悪いなどの判断をし始めると、思考に囚われてしまい、思考が延々と続くことになります。

感情も同じです。あの人が許せない、などという感情は、ふーん、とはならないものです。どんどん思考が続き、それに伴って感情が続きます。

そんな時は、ただ気づきます。

判断しないで。受け容れます。

「許せないんやな」ってただ気づいて、親友の隣にいるようにずっと寄り添っておきます。

すると、感情は落ち着いていき、やがて、消えていきます。

感情や思考と、お友だちになる感覚です。

いつも自分にダメ出しばかりしていた自分が、自分の、一番の理解者、友だちになる感じです。

いつもそばで、そうだよねって言ってくれて、見ててくれている自分がいる。一人じゃない。少し安心する。

私は、マインドフルネス瞑想とは、何もしないことで、頭のお掃除をすること、そして、心の中にある自分の居心地の良い家に帰ることだと思っています。

やり方は、いつもは無視している体の感覚に気づくことから始めます。

たいてい呼吸からです。

自分の呼吸をただ見つめます。

繰り返すことで、段々と気付きの力を養い、マインドフルネス瞑想をしたときの穏やかさを心に根付かせます。

すると、余計な思考がだんだん減っていき、反対に、普段気づかないことに気づくようになるのです。

それは、森の中と似ています。

初めは、すぐ近くで鳴いている鳥のにぎやかな声だけに、気を取られます。

それは即ち、今頭の中を占拠している一番大きな心配事などです。

やがて、心が静まり、落ち着いてくると、森には、いろんな音があることに気がつきます。

葉っぱが擦れ合う音や、遠くを車が走る音。何かが落ち葉を踏む音や、どんぐりの落ちる音まで。

気づきが細かく、微細になることは、心が今この瞬間にいる時間が増えること、とも言えます。

 つまりそれは、意識が過去や、未来を彷徨わないでいる時間が、増えるということです。

人は、たいてい、ほとんどの時間を未来を心配したり、過去を後悔したりすることに費やしていて、今の自分のことには、10%も使っていません。

マインドフルネス瞑想を続けていくと、この余分な時間とエネルギーを今に集中して使うことが、だんだんと増えます。

私の場合は、一番心地よい状態に過ごせる心の場所に戻っている時間が増えました。

もう一つ、マインドフルネス瞑想をしていると、私たちが普段気づいていない、意識下、つまり無意識の領域のことに気づき始めます。

それは、自分をいつも陰から操っていた観念と出会うということです。

無意識の観念は、意識の光のもとに曝されると、太陽の下で氷がすぐ溶けるように、消えてなくなる性質があります。

小さい時から、自分を縛っていた観念に、ふと気づかれ、開放感を感じられた経験は、ないでしょうか。

無意識の観念に気づくことで、人間は、自分を縛っていたものから自由になり、今の自分を受け容れ、本来の自分の声を聞きながら、軽やかに生きることができると思います。

私も、そんなふうにまだまだたくさんある自分の観念に、一つずつ気づいて、軽やかに生きたいと思っています。

この忙しい、普通に働いて生きていくだけで、大変な重圧を感じる時代。
そんな時代に、結構役に立つこの知識を、何故か日本の学校では教えません(タイ王国では、高校の教科書に出ていますが)

瞑想という言葉が持つこんなイメージのせいでしょうか。


宗教
お坊さん
超能力
うさんくさい
怪しい
あぶない人
インドかぶれ

色々あると思いますが、マインドフルネス瞑想は、脳の研究者も言っていますが、心の〇〇〇〇です。

この〇〇〇〇に、何を入れるかは皆さんの自由ですが、アップルの故スティーブジョブズさんも日常的に瞑想をされていました。

令和の今、私たちは、江戸時代のひとたちの受け取っていた一ヶ月分の情報を、一日で受け取っているそうです。

なのに脳は、江戸時代からほとんど進化していません。

だから、それほどに酷使している脳は休ませてあげる必要があると思います。

脳を休ませ、頭の中から要らないものをどんどん無くしていって、本当の自分が教えてくれる智慧に気づいて生きていたい。

だから私は、マインドフルネス瞑想をこれからも続けたいと思います。


ながーい記事にお付き合いいただき、ありがとうございます。
どなたかの、何かのお役に立てれば、大変嬉しいのですが・・・