西福寺 副住職様がお話し下さったこと

 京都府の南部、綴喜郡井手町玉水にある、真言宗のお寺です。
 お電話をすると、若い副住職様(ご住職の息子さん)が、待っていて下さいました。

 平成10年に建てられた本堂には、須彌壇だけでなく、その左右にも、とにかくたくさんの仏様がお祀りされていました。

 御参考までに列挙しますと、大日如来坐像(現本尊)、阿弥陀如来立像(旧本尊)、愛染明王、如来荒神、十一面観音立像、地蔵菩薩立像、薬師如来坐像、日光・月光菩薩、十二神将、役行者像、不動明王坐像、不動明王立像、弘法大師像、阿弥陀如来坐像、聖観音立像(敬称略)

 副住職様に理由をお尋ねすると、元々宿場町として栄えた井手町には、たくさんのお寺があったが、明治になり廃寺になるお寺が増え、それらのお寺の仏様が、近くの寺に移されることが多く、増えていくのだそうです。

 西福寺さんには、元からあった仏様の他に、3つのお寺からの仏様が集められているとのことでした。

 その中で、一番印象に残ったのは、右端にいらっしゃった聖観音様でした。

 高さ103センチメートルの、平安時代の仏様で、通常は左手に持たれている未敷蓮華を、右手で斜めに持たれています。
 腰の辺りが細いことで、かえって肩幅の広さや、太ももから下がどっしりしていることが強調され、とても健康的に見えます。

 おかしな例えですが、甲子園大会に出場した喜びを噛み締めながら、空を見上げ整列している高校球児の様な、晴れ晴れとした笑みを湛えられた仏様です。

 他にも、結跏趺坐に組まれた脚が小さくて、ちょっと揺れたらコケそうな、平安時代中期の不動明王様や、大きめの螺髪と、段差のない肉髻が特徴的な薬師如来様、更に、主に神社で祀られている尊像ため、図像では見ることがあっても、立体の像としてはたいへん珍しい、三宝荒神の一つの如来荒神様、そして、江戸時代の仏像は形式的でつまらない、という通説が全く当てはまらない、人間らしくたいへん魅力的な、阿弥陀如来坐像様など思わず見入ってしまう仏様ばかりでした。

 その一体一体の仏様を、副住職様は、私一人のために丁寧に説明して下さいました。

 そして、最後に、大人しそうな副住職様が、京都府の宇治田原町にあるハート型の窓(猪目窓)と、風鈴まつりで有名な正寿院さんを引き合いに出されて、「お葬式だけやっているお寺は、これからどんどん廃れて消えていくだろう。正寿院さんの様に考え方一つでたくさんの人に来てもらえるのだから、どんどん拝観に来てもらえる工夫をしなければならない。」と、熱心に話しておられたのが印象に残りました。

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 帰宅してから調べてみると、西福寺さんは、江戸時代に設けられた南山城三十三所観音霊場の27番札所でした。ですが、33の札所のうち、実に17カ寺が廃寺になっていました。副住職様はこのような現状に強い危機感を感じて、あのようにお話下さったんだなぁと思いました。

 ※井手町には同じ名前のお寺がもう一つあります。浄土宗のお寺ですが、場所も近くです。拝観の際はお気をつけ下さい。