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箸重!番外編 「おれ」のふんどしで勝手に船を浮かべるな #1

其之壱『ヘブンズじじい』

じいやが死んだ。
八十九歳だった。
「こんな年になるまで良くぞ仕えてくれた」親父が言った。
おれはと言うと、「九十の大台までもう少しだな。いつまでおれの執事でいる気なんだ。もう、じいやの顔は見飽きたぞ」
なんて、能天気に軽口を叩いていた。
急性心筋梗塞だった。
自宅に戻り、ブランデーをひと口傾けたところで、「ちょっと横になる」と、そう言い残してそれきり息を引き取ったらしい。
本当に、昨日まで元気に微笑んでいたんだ。おれの身の回りの世話や、執事長として統括管理、家のことだけじゃなく親父の会社のことまで、目まぐるしく働いていた。はた目にも、どこか悪くしているようには見えなかった。
もしくは誰にも言えない病巣があったりしたのだろうか。
おれの知らないところで、胸を押さえ苦しんだりしていたのだろうか。
棺に横たえられた青白いじいやの姿に、そんな後悔ばかりが浮かぶ。
口惜しさで、奥歯を強く噛んだ。
悲しかったからではない。決して。
決して、悲しかったからではない。
ただ、涙は頬を伝う。
誰が泣いているって?
歯噛みしているだろう?
そうだ。これは、悲しくて泣いているのではない。
じいやを看取れなかった口惜しさだ。悲しいからではない。
おれが母親の腹の中にいる頃からおれを見守ってくれていたんだ。
おしめを替えてくれたのもじいやだ。
物心ついて、一丁前に幼稚園の先生に恋心を抱いたときも。
友人ができなくて、札束を見せびらかし不死鳥のごとく増長したときも。
近所のガキ大将にも札束拳で挑んだものの、こっぴどく返り討ちにあったときも。
いつも傍にいた。傍にいて、やさしく微笑んでくれていた。
そうそう。
成人式の日は、朝から晩まで泣きはらしていたっけな——
棺が閉じられ、天国へと旅立っていくじいやに、まともに目を向けることもできずただおれは、嗚咽を上げながら次から次へとあふれてくる涙を、いつまでも拭わなかった。〈了〉



※実はじいやの死因は老衰なのですが、あまりのショックに「おれ」は勝手に脳内でドラマティックに死因を変換してしまったようです。

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