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最後の万博(仮)リサーチ報告3

タイトルを「最後の万博(仮)」に変えてみました。理由は後ほど書いてます。隠しテーマが定まってきました。あとはいかに万博したい人も反対の人も混乱に巻き込めるかを考えてまたタイトルを変えていくと思います。

1 大阪でのリサーチ



あいりんセンターの前。プロテストのゴミ山が作られている。

12月末、一週間ほど大阪をリサーチしました。また秋田へ出向き、能登地震、日航機自事故を経て迷いつつもプロジェクトの芯が掴めてきました。今回はそれぞれの報告をします。大阪!釜ヶ崎という地区で滞在しており、この地区に関してはリサーチの殆どを費やしていました。日雇い労働者の方々や家のない方も多く住んでいる街です。知っている方も多いと思います。あべのハルカスがすぐそばに見える場所に路上生活者のお爺さんが寝ていたり、凍死者を出さないための越冬闘争という年末のイベントが行われていたりする様子は本当にカオスでした。そびえ立つビルの風景を作ってきたのは、ここで寝ているお爺さんかもしれない。資本主義社会の歪さがこんなにわかりやすく見える場所があったとは、と驚きました。もうこの街だけでもアート本来の役割を持っているといってもいい。現実を突きつけられました。

2 大阪のローカル:ストリートと公共

釜ヶ崎の路上にはこのような張り紙が数多く見られる。


ここ釜ヶ崎には、「釜ヶ崎芸術大学」というゲストハウスとカフェと庭をしている施設がある。ここがとんでもなく面白い。釜ヶ崎のひとたちと詩を書いたり絵を書いたり、それを展示しまくったり、そこに生きた人たちの痕跡が無数に重なって主張し合う、ご機嫌でカオスな空間があった。しかもそれが、なんだか様々な人生の集積の地層を見ているような、そんな厚みを帯びている。もはやここは人類学者が踏み込んで然るべき場所だな、とすら思う。ひたすらダンボールに達筆で詩を書く人、缶ビールのアルミで精巧なからくり人形を作る人、いろんな人が自分の思うままに突き抜けてしまっている。その突き抜けたものが溜まってきて相互作用を引き出したり、反発し合ったりする空間。そこにはアーティスト/非アーティストの別なく、ただつきぬけてしまった者たちによるカオスな大合唱がある。現代アーティスト森村泰昌と鹿児島出身の日雇い労働者・坂下範征の部屋は、その集大成のようで、圧倒されるものがあった。
釜藝は大阪関西国際芸術祭にも出展していたのだが、そこでは「street3.0」というテーマで展示されていた。現代におけるストリートはなにか?を問う、なかなかに刺激的な展覧会だったのだが、その中でも群を抜いて面白かったのがChim↑Pom from Smappa!Groupと釜ヶ崎芸術大学の展示だった。詳しい内容は書かないが、ストリートの可能性について共鳴する部分が多かった。体制側に与えられたプラットフォームや通常の規格、常識といわれる規定からはみ出てしまう個人の「ヤバさ」が集まってきてしまう場所として「ストリート」があり、そこではハプニングとしてのコレクティブが発生してしまう。そこに本当の意味でのクリエイティビティが発揮されるのでは?と。
これは本当に勉強になったし、ストリートで起こっていったことを映像にして室内で眺めているこの時間もかなり有意義だと思った。既定路線をすり替えることによって結果的に変革しちゃったというちゃっかり感、はみ出し物同士の無意識のコレクティブ、自然を作為する、というような、今僕が大注目しているようなチャレンジがもりだくさんだった。
そもそも釜ヶ崎芸術大学が2025年万博と同時期に開催される、大阪関西国際芸術祭のStudy企画としてのこのフェスティバルに参加していることも相当面白い。闘争や反発(反博運動やかつての前衛のような)ではなく、ぬるっといつのまにか状況を変えてしまうような柔軟な戦い方。最近東浩紀の「訂正する力」をよんだが、ここに書いてある「訂正」というワードにもとてもシンパシーを覚える。

3 三角公園での出会い


三角公園のステージ。火を囲み、炊き出しを食べて前夜祭を迎えた。冤罪事件の署名活動や、釜ヶ崎の人たちの写真を展示したテントもあった。


三角公園という、路上生活者の人々が集まってくる公園がある。その公園では毎年年末に釜ヶ崎越冬闘争というイベントが開催されているそうで、前夜祭にたまたま遭遇したので参加した。画像にもあるように、路上生活者の凍死を食い止めること、ガザ、ウクライナへの反戦の主張、辺野古基地建設反対などなど、さまざまな祈りが折り重なっている。この後、慰安婦問題を当事者に寄り添う団体が登壇し、歌を歌ったり、原発反対の市民団体が登壇しスピーチしたりしていた。最初に開会のあいさつをされていた方のことばが頭に残っている。
「本来人は助け合って生きていく。ほんとうに豊かな生き方とはそうして助け合うことではないか」
記憶で書いているので間違っているかもしれないが。そう言っていたと思う。この声が街に響く。後ろを振り返れば、すぐにあべのハルカスが見える。少し離れたところでは万博の巨大木造リングが作られている。その瞬間、無性に感動してことばがなくなった。公共、公共、と色々と考えてきたが、もしかしたら今ここに公共というものは宿っているのではないか。個人が一人の個人としてともに生きること。親密さも思いやりも対立も反発も糞尿も炊き出しも内包したこの場所が、公共とはなにか?という強烈な批評性を日本社会にさりげなく突きつけている。ひとが生きる道、豊かな道とはなにか。豊かな街とはなにか。矛盾まみれ尿まみれの街で、「生きる」上でなにが大切なのかを考えた。彼らはSNSにも組織されない。自治の働きかけを行うツールとして「掲示板」「公園」「自主発行新聞」「集会」「落書き」などを使っているようだ。このやり方はとても参考になる。とても手触りのある自治のあり方だったので、参加可能な感覚が強くあった。SNSや普段の生活での不気味な平和とは全く違う。ある意味平和ではないが、圧倒的に息はしやすい。敵も味方も、予測不能なものとして「ふくまれ」ているし、「ふくんで」いる。異物や対立を含んだフィールド、その単位で自治しようとしているからか?なんにせよ、感じたことのない豊かさを感じる。これはなんだろう。

三角公園にある掲示板。ほかにも路上の壁に万博についての労働者目線での新聞が貼ってあったりする。

ここにある豊かさとは、静かな孤独や絶望をみつめた一人きりの個人だけが発する突き抜けた声たちが、偶然性によって指揮されカオスに絡まりあった対話/合唱/劇の豊かさなのではないか。

4 政治を扱う芸術が芸術でありつつ政治であるために


「機運醸成」は街中に広がっている。「機運醸成」ということば気になる。


「訂正する力」に書いてあった、平和とは、戦争の欠如であり、政治の欠如である。との記述が気になっている。そこで、政治を扱う芸術が芸術でありかつ政治であることについて考える。
芸術や文化というものは、政治とは根本的に違うはずだ。そして今、私は政治の方に生きる上でのリアリティを感じる。なぜ、今芸術をすることにリアリティを感じないのかというと、自分たちをとりまく環境のほうが戦争状態だからだろう。芸術=遊びが単純な逃避に見えてしまうのだ。しかし、そうでない芸術のやり方もあるはずだ。それは、芸術=遊びをしていたらいつの間にか世界が平和になっていた、というようなやり方だ。一見すると遊びに見える、というのが大事で、それは遊びには敵味方を越えた場所で相手と触れ合える瞬間があるからだ。必要なのは、遊びに見せかけた政治、もしくは結果的に政治的意義を持ってしまう遊びをすること。そこに、偶然性というものも関係してくるはずだ。いつの間にかこうなっていた、ということを半意図的に生み出すこと。偶然性を組織する、という一見矛盾したことに可能性を感じる。そして偶然性は、誰のものでもないのだ。共有された驚きの瞬間を経て、いつの間にか変わっているという創作(?)の仕方を目指す。そこでの言葉の扱い方はどんなものになるだろう。劇作家・演出家としてはこの具体レベルでの操作をどうしていくかが気になっている。今後実験を繰り返していく予定。

5 さいごに


次回は万博と震災と戦争について。実際に夢洲の建設現場と1970年の万博記念公園を見てきた報告と、能登半島震災、そして戦争の重なり合いについて書く。今のところ、万博の姿を借りて、ぬるっと戦う予定ではあったのだが、震災が起きて状況がまた変わってきている。一つの街が壊滅的なダメージを負った中でも、一年きりの架空の未来都市は建設され続けているこの状況自体がカオスすぎる。より万博のグロテスクさが目に見えるようになってきた。参加団体のボイコットも置き始めるのではないか。だからこそ、アーティスト側が「万博やめろ!」ではなく「万博をします!」といい出したほうが作用は強く出るのではないかと思う。とにかく、負の意味で「万博」ということばがもつ政治性はどんどん高まっている。これをどう乗りこなせば最大限の反応が引き出せるか。
そこで思ったのが、この万博を、人類史から万博が卒業する機会にできないか、というアイデア。万博卒業プロジェクト。どうしたら日本人は、そして人類は万博をやめられるだろうか、という問いを共有してみたい。この万博プロジェクトもそろそろ本格的に動き始めようと思う。まず宣伝を作ってパビリオン参加者を募ってみたり、旗を作って様々な土地を巡ってみたりしようと思う。



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