ブタニク日記#4 怒れない

怒れない。社会とか友人に対する不満とかはあるのに怒れない。

インターネットのやり過ぎで感情が希薄になってる部分はあると思うが、まだ喜怒哀楽の四つくらいは持ち合わせてると思う。

怒れないと言っても全ての人間に対して愛を持って接している訳でもない。もちろん僕の心の中に怒りはまだ存在する。
それを外部に出力するのが億劫になっているのだ。

喜びや悲しみは出力するのが簡単だ。自己完結するから。もちろん外部からの何かしらの反応をもらえれば嬉しいが、なくても外部に出力するという行為は完結するのでなくてもさほど問題でない。

僕の持論だが、怒りは人間が社会性を獲得するにつれ、最終的に生まれる感情だと思う。他人に対する不満は、社会の中で他人と共存することを享受した人間にしか芽生えないからだ。

そのせいか、外部に出力する際の難易度が最も高い。
今後のことを考えると相手を傷つけてはいけないし、自分の言いたいことも相手にはっきり伝えないと僕の精神が持たなくなってしまう。

おそらく僕が怒れなくなっているのは、この難易度の高さ故に失敗した時が怖いからなのだろう。
確かに相手に非があるし、自分も不満がある。だけど僕が怒ってかえって相手を怒らせてしまうと元も子もない。そういう考えの結果、僕は怒るのを諦める。
Youtubeで猫の動画を見て「かわい〜」って言って怒りを忘れてしまう。

怒り方が下手

僕が怒れない原因に、周りの人達が怒っているのをみて、「怒るのってみっともないなあ」と思っていることもあると思う。

先生もそうだ。あんなにみんなの前で晒しあげるようにして、頭ごなしに怒鳴りつけて、後で「俺はお前のためを思ってやってるんだ」って無理があるだろ。
暴力振るった後に謝るDV夫かよ。たとえ本当にそうだとしたらやり方を間違えてる気がする。

だから教職とか上の立場にいる人には心理学的監修をした怒り方のガイドラインでも作っておいて、それに基づいた怒り方をするべきだと思う。下手な怒り方だと誰も得しない。

怒りは最も社会的な感情にして、相手の人格を簡単に崩壊させる。だからこそ僕は怒るのを憚っているのだ。

ぜひ皆さんもこの機会に怒りについて考えてみてはいかがでしょう。僕は怒りをコミュニケーションツールとしか考えられないので、別の視点から見てみればまた何か新しいものが見えてくるかもしれません。

それでは、またこんど。

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