この世から今のTwitterを消し去るべきだ

あまり詳しいことは知らないので具体的なことは割愛するが、どうやらsnsで中傷を受けていた人がいたらしい。その方が亡くなった後にその中傷が浮き彫りになったみたいだ。
それにこのような事態は今に始まった事でもない。何故このような事が起きるか、何番煎じか分からないが僕なりに考察してみる。

1.コンテンツ側の問題

・自由度の高さ

snsは発言できる自由度が高く、なおかつ問題のある発言をした時にリスクを負うことも(冷静に対処すれば)少ない。
ここで「頻繁に炎上している発言を見るので、問題発言をした時にリスクを負うことが少ないとは言えないのではないか」
と思う人もいるかもしれない。ただどうだろう。これはあくまで僕の場合だが僕の主観で炎上していると思われる人をsns上で見るのはせいぜい一日に2.3人だ。そして住所を特定されたりなど現実世界(こうしてインターネットと現実世界を勝手に区別することも良いことではない)に支障がもたらされる規模になっているのは一週間に一人いないくらいだろう。もしかしたら僕がsns上で見てる世界が狭いだけかもしれない。ただフォローしている人数が数百人の僕のタイムラインに流れない規模の炎上は炎上と呼べるかは分からない。精々ボヤ騒ぎと言ったところだろうか。 そしてその炎上しているツイートは対応が不適切だったりするので、そのツイートを見て「なんだ馬鹿だな、俺ならもっとマシな対応が出来るから炎上するようなツイートをしても大丈夫だろ」と思い、誹謗中傷をしたり炎上するようなツイートをしたりする。

少し脱線してしまったが、発言できる自由度が高すぎるというのは考えもので、自由を履き違えた利用者が簡単に人に暴言を吐く事が出来てしまう。恐らく暴言を吐いた人はそこまで強い敵意は持っていないのだろう、その言葉で人を傷つけた時に「こんなことになるとは思ってなかった。軽い気持ちでやった」と口を揃えて言うのである。

・匿名性の強さ

例えばtwitterではプロフィールの変更が楽にできる。名前やアイコンの他、主に検索する時に使うIDも他の利用者と被らなければ変更可能だ。
もし問題発言をして炎上しそうになったとき、余程強い関心や敵意を持った人でなければ、アイコンと名前とIDなどプロフィールを全て変えて大元の原因となるツイートを消してしまえば大方の人は撒くことができる。(余程大きな問題になってなければ)
さらにtwitterは少数の大きな敵意を持つ人による拡散活動より多数の関心の低い人達によるなんとなくのリツイートが大きく拡散されることがよくある。
知名度の低い人が熱心に#拡散希望をつけてツイートの拡散活動をするより一人一人がRTをしてそれぞれの数百人のフォロワーの目に留まる方が明らかに効果的だろう。
そして人間は目の前の数字に気を取られがちであり、リツイートの数がそのままそのツイートに否定or肯定的な意見の数(票数みたいなもの)と勘違いしてしまう。実際にはそのツイートに対するイデオロギーなど持たずにただバズってるからという気持ちでリツイートしているのだろう。
そのツイートに対する総意とたまたま意見が合致した人達の一部がそのツイートに暴力的なリプライを飛ばし、あたかも自分が正しいことをしたかのように悦に浸る。悪の裏返しが必ずしも正義だとは限らない。
それか皆がこの人に暴力的なリプライをしているのだから僕もしとこう、という考えで同じことをする人もいるかもしれない。

簡単にまとめると

snsで何か問題発言をする

それがタイムラインに流れることで少し関心を持った人が拡散する

少ない批判的なリプライを見て全てのいいね、RTの数が批判的なものだと勘違いし、味方が沢山いると誤解している人が批判的なリプライをする

そのツイートを見て軽い気持ちや同調圧力的思考でさして批判的な気持ちを持ってない人も簡単な罵詈雑言を吐く

それを見た元ツイートをした人があたかもリツイートの数の人数がリプライをした人と同じような敵意を向けていると勘違いし、傷つく

それを見て正義感が強い人が「敵を倒したぞ」と悦に浸り、同じことを繰り返す

このような感じになるだろう。
皆さんも考えて見てほしい。いままで平穏に暮らしてきていきなり数万の人から殺意に似た敵意を向けられたらどうなるだろうか。普通の人ならきっと怖くて外も出られなくなってしまうだろう。
さらにそのsns内で自分に肯定的な人を見つけるのは困難なのであたかも全ての人間が自分に否定的であると思ってしまう。街中で道行く人全てに暴言を吐かれるようなものである。これはTwitterの機能的な問題でもある。
Twitterでのツイートのリプライ以外の自分の考えを伝える手段が「いいね」しかなく、これではリプライが否定的であるものが多かった場合、そのいいねの数が全て否定的なものへと急変して見えてしまう。
せめてツイートに対して肯定か否定かの意思表示がボタンひとつでできるようにすべきである。

2.利用者側の問題

・インターネットと現実との住み分けを勝手にしている
これは少し考えてみれば誰でも分かることで、例えば街中で他人に暴言を吐くのとTwitterで誰かに暴言を吐く事は本質的に見てみれば同じことで、どちらも他人に暴言を吐いているのには変わりはない。ただsns上で誰かに暴言を吐くことは横行しており、特に悪びれもせずにいることも多々ある。これは現実とインターネットの住み分けを個人で勝手にしているからであるからでは無いのだろうか。恐らく多くの人は現実で顔も知らない他人に暴言を吐くことはしないと思うし、やってはいけないことだと分かっているだろう。ただインターネットと言うだけでこんなに考えが変わってしまうのは住み分けをしているからなのではないだろうか。

・誹謗中傷を正当化する風潮が出来ている

これはsnsをしている人なら何回は目にしている光景ではないだろうか。暴言を吐いてきた相手を咎めたら「ネタにマジレスするな」とか「これがtwitterだから」といってむしろ咎めた人を責め立て、挙句の果てには自分の中傷すら正当化し逃げる。そしてそれが成功していまっていることからその風潮ができ、咎めてきた人を集団で責めるということが起こっている。
これはsnsがこのような無法地帯になってしまった最も大きな要因だと僕は思う。
このような破綻してる論理で逃げ切ることが成功していて、それを見た人が「暴言吐いてもこうすればいいんだな」と思いそれを実行、そしてその風潮がどんどん広がっている。
これはあってはならない事だ。もし現実で誹謗中傷が正当化される風潮が出来てしまったらきっとこの世界は荒んでしまうだろう。だって誰に暴言を吐いたって誰にも咎められないなら皆が暴言を吐く世界になってるだろう。そして今のTwitterはその荒んだ世界の真っ只中だと思っている。

3.どうすればこの問題を解決できるか

簡単である。全てのsnsがサービスを終了すればいい。
とはいったもののそんなことはありえないだろう。ただここで利用者側から始めるような行動を提案したって暴言を吐くことを正当化する連中がそんなことをしないだろうし僕からは大元のシステムに対する案を出したいと思う。

1.匿名制度を廃止、アカウント名を本名に、アイコンは顔写真に
ここまで誹謗中傷が横行するのは自分の発言の重さに対して自分が失うものが少ないからだとも考えられる。
snsがなかった時代、はたまたインターネットがなかった時代に意見を発信する人は限られており、例えばテレビのコメンテーターは、自分の顔を出して発言することがよくあるため適当な発言は出来ないはずである。
何が言いたいのかと言うと、時に人を殺す程の切れ味を持つ言葉を自分のものにして他人に振りかざす時にはそれ相応の対価を伴うものだということだ。
今はその対価をほとんど払わずとも言葉という武器を振りかざす事が出来てしまっている。
だからsnsの名前は本名に、アイコンは自分の顔写真にすることである程度の責任は負うことになるはずだ。

2.snsの使用を免許制に
ほぼ全ての人が使い、年齢制限があり、殺傷能力を持つものという共通点を持つものに車がある。
snsの使用にはネットリテラシーを学んだ上で発行される免許証が必要とする。この免許の所得の試験として期間が受験生に公表されないsnsの監視が行われるようにする。(車と同じように仮免許が発行されることでsnsの使用が許可され、試験はそれで行われる)

そして免許を取得しsnsが使用可能になった後に不定期に「検問」が行われ、snsを正しく行われているかチェックされる。そこで問題のある使用があった場合免許が停止され、snsの使用が禁止、何回も繰り返される場合は永久に禁止されるようにする。もちろん検問は人の目で行う。

4.最後に

僕は今のインターネットを憂いている。利用者がそれぞれのsnsなどのプラットフォームに縛られて考えることを止めているのではないかと思っている。受け売りだが、今のこの速い情報の中、そのスピードに流されて考えずにただ誹謗中傷するのではなく、あえてゆっくり考えることで自分がするべき事が見えて来ると思う。せめてこの拙い文章を読んでくれたあなたには、自分のスピードでこの腐ったインターネットと向き合って欲しい。僕から伝えたいのはこれだけです。

このただ長く拙い文章を読んでくれて本当にありがとうございました。ここまで読んでくれた人は本当にいるかわからないけど、これからも良いインターネットライフを。
それでは、また今度。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?