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【自己紹介】新人漫画家・豚桃の漫画遍歴

どうもこんにちは、豚桃です。
おいらは2023年5月現在、町の音楽教室で歌やピアノを教えながら、副業でホラー漫画を描いている豚です。
どうしてそうなったのかも含めて、今日はおいらの漫画遍歴を幼少期から振り返ってみようと思います。※途中から私小説と化します。長いです。

漫画は読むより描く方が早かった

あれは確かおいらが6歳くらいの仔豚だった頃。
1歳年上の親友が、カレンダーの裏に鉛筆で漫画を描いていた。将来の夢は漫画家だと言っていた。それに影響されて描き始めたんだと思う。漫画がどういうものなのか、何一つわからないのに…ねw
で、その最初期の作品がこちら。

独特のコマ進行。左上から縦に読むよ!内容、意味わからんw

この頃はセリフのない動物キャラの漫画だった。人間より動物にキャラクター性を見出してた。人間を描き始めたのは、小3くらい?かな。

ブラックジャックに恋をする

まともに漫画というものを読んだのは小3くらいの頃だった。(それ以前には親が定期購入していたビッグコミックのエッ◯なところだけを覗き見するくらい)
初めて読んだ漫画がブラックジャックというのは、なかなか運命とはわかってらっしゃる。どハマりしたのは言うまでもなく、おいらの人格形成から死生観、職業観の構築など、現在に至るまで多大なる影響を与え続けている作品だ。当時は医者になるか漫画家になるかを真剣に悩んでいた。(手術ミスを「ちゃっかり」してしまいそうだという理由で医者は諦めた。本当に良かった)

その後、火の鳥を読んでさらにズブズブの手塚沼にハマって行ったわけだが、同時に深刻な悩みが出てきた。「人間キャラを描けるようにならないと手塚治虫になれない!!」
この悩みは2年くらい続く。その間、キャラもそうだがどうしてこんなに宇宙並みのスケール感のある感動的な(というワードさえ安っぽいが)話が描けるのか!!こういうの描きたい!!おいらも宇宙と繋がりたい!!という圧倒的かつ絶望的な描けるものと描きたいものの断絶にさいなまれ(この時小3)、家中のカーテンを昼間から閉め切って宇宙とのチャネリングを試みたりしていて普通にヤバい奴だった。(ばあちゃんに怒られてカーテン開けた。本当に良かった)

海賊王を目指し始める

転機は小5の時、またも件の親友の影響で「ワンピース」に手を出してしまった時。手塚治虫の次がワンピースかよっ!!というツッコミはさておき、ワンピはおいらの中にそれまで全くなかった価値観をもたらした。おいらも旗を掲げて海に出なければ!強くそう思った。で、海賊王になるか漫画家になるかを真剣に迷った挙句、船酔いでゲロゲロするからという理由で海賊は諦めた。
当時コミックスが確か10巻とかそこらが出たばかりで、アーロンパーク編の最中だった。今でもココヤシ村に住んでいた頃の匂いや気温を懐かしく思い出す。ないはずの記憶だが。

ついに人間キャラを描き出す…!!

ワンピースにどハマりしたおかげで人間キャラを描いて動かすという事ができるようになった。
小5〜中2くらいにかけて、ワンピをパクったような仲間を集める冒険ものを描いたり「ジャンプ漫画」を意識したようなバトル物を描くようになった。
同時に新撰組や時代劇にもハマっていたので、自由帳2冊に渡って鉛筆でびっしり歴史モノの連載を描いてた。
誰にも見せずに、完全に自分の為だけに描いてた。
以下はその中から数ページ抜粋。
これを描いたのは中1〜中2くらいだったと思う。

コマ割りとか背景など、意外としっかりしてるね。


むしろこの頃から進歩していないという事か…?


このドタバタ感は今にも通じるものがある。

この頃は本格的な漫画の描き方を知らなくて、まして投稿なんかしようとは思いもしなかった。けどなんとなく、進化したいなという気持ちはあって、描き方の本なんか読んで勉強してたな。以下が当時のバイブル。

マクソンって今もあるのかな?

この2冊、暗記するくらい読んでた。そして学んだのだ。ちゃんとした漫画にするには色々な画材が必要な事、トーンというバカ高いシールを買わなければいけない事…
「うちは貧乏だから、漫画家になるのは無理だ…」となんとなく思ってしまった。そう、なんとなく。

それから約6年間、おいらはなんとなく漫画から遠ざかってしまった…

おいら、歌手になりてぇ!!

画材の問題は即、絵の問題に直結した。
プロの漫画家のような絵が描けない。画力も足りないし画材もない。
ただ物語を作る事だけはやめられなかった。自分の絵に絶望したおいらは、小説を書き始めた。これが高1〜高3くらいまで。
その間、漫画に戻ろうと思った事も何度もあった。でもその度に絵の問題が浮き彫りとなり、挫折していた。

同時においらは音楽にものめり込んでいた。小5の時に出演したミュージカルで音楽の楽しさに目覚め、高校では合唱をガチでやっていた。テレビで歌うポケビやブラビ(懐かしい)に憧れた。漫画や小説は誰にも見せる事なく、当然ながら賞賛を受ける事もないが、音楽で成功すれば賞賛を得られる!屈折した承認欲求が暴れ出した。これのおかげでその後10数年に渡って、報われない冬の青春を震えながら過ごす事になる。

おいらに音楽の才能はなかった。

暗黒の大学生活

高校の進路指導で希望欄に「歌手」と書いて先生に「お前…やりたい事とかないのか」って呆れられながら、なんとか某大の芸術学部、音楽や演劇を学べる学部に入った。
そこで思い知ったのは、ステージで輝きを放つ同級生達と自分との違い。
おいら、本当にこれがやりたいんだろうか?
同級生達を見てると、自分とは違う生き物のような感じがした。
そう考えると、鬱々としてきて、やっぱり漫画の事を考えてしまう。
やっぱり漫画を描きたい…漫画を描くには絵だ…絵を0から学びたい…
悩んだ末、おいらは学科を日本画科に変える事にした。

やった事もないデッサンは辛かったが、転学科の為のポートフォリオ作りに必要だったので我慢してやった。中学以来まともに描いていなかった。
なんとか合格して、美術系の科目がスタートするも、おいらはどこか上の空だった。絵を描くのは果てしなくめんどくさい。継続して美術を志してきた同級生との実力差。なくなる自信。本当にこれで漫画が描けるようになるのか。そもそもどんな漫画が描きたいのか。それさえ決まっていない…

おいらが好きだったのは「漫画を描く事」で、「絵を描く事」そのものはそこまで好きじゃないという事に気づいたのはずっと後になってからだった。

大学には自分の居場所はないように感じられた。
漫画を読んでも楽しめなかった。その頃ヤバい部活にも入っていたし、もうなんか精神がヤバかった。
それでも漫画家になる為に何か描かなければという意識で、すごく苦しみながら描いたのがこれ↓

下の画像を見て貰えばわかる通り、なかなかカオスな漫画で今読むと面白い。

手塚治虫の影響が色濃いコマ割り…

これを週刊少年ジャンプの月例賞に応募しようと思った。でも、結局応募はできなかった。ペン入れの途中で力尽きたのだ。
よく考えたら、それまで週刊少年ジャンプを買って読んだ事がないのに漫画家になれるとは思えなかった。ワンピースと世紀末リーダー伝たけし以外のジャンプ漫画を読んだ事がないのに、ジャンプの漫画賞を取れるわけがない。ただ、何者かになりたい一心だった。同時に何者にもなれない現実を嫌というほど突きつけられていた。今思うと、こんなもんで絶望してるとかw って感じだけどこの頃は(今もだけど)相当に視野が狭く頭も悪く、そして疲れ切っていた。(ヤバい部活のせい)部活を辞めるエネルギーもなかった。人生詰んでいる感じがした。

この後、恋人にフラれて精神が崩壊し大学を中退、その後7年くらい病みながら向いてもいない音楽の道を突き進む事になる。

復活の契機はコロナ禍

色々あったが30くらいで音楽の先生になる。大学中退から約10年ほど、全くと言っていいほど漫画を描いていなかった。そんな中、訪れたコロナ禍。演奏の仕事は全滅、生徒もどんどん減っていき、自然な流れでステイホームせざるを得なくなっていた。しかし、それは意外と心地良かった。
暇だから昔描いてた漫画をまた描き始めよう。上手くいけば電子で出版なんかもして収入につながるかも。
で、10年以上ぶりに描き始めた漫画がこちら。


絵が下手すぎるし厨二病全開だ…恥ずかしい…でもめちゃくちゃ描いてて楽しかった…

これは実は中学の頃から描いてた「仲間を集める冒険もの」(ワンピのパクリ)で、小説版はおそらく10万字くらいは書いててノートに鉛筆で描いた漫画バージョンもある。4行詩の予言者とか時代を感じる要素がちらほらある(ノストラダムスにまじで怯えてたね)。

久しぶりの感覚だった。肩がこっても足が痺れても、時間を忘れて描く事に没頭した。自分の妄想が形を得て、紙の上で動いている。あぁおいらは、ずっとこれがやりたかった。気づくのが遅すぎたなぁ。
取りこぼした人生の伏線を回収するように、貪るように描き殴った。

これの第一話を描き上げてから、公開するのにすごくためらいがあった。有料は無理だ…無料でも…こんな絵も話もムチャクチャな漫画を誰が読んでくれるのだろう…
だけど公開しなければ先に進めない。確かめるんだ。おいらが取りこぼした伏線が、どんな展開に繋がるのかを。
漫画でしか見た事ない「えいやっ!」っていう掛け声を、実際に言ったかもしれない。そんな感じでネットにアップした。

信じられない事に、公開直後からたくさんのコメントをいただいた。
「めっちゃ面白かったです!」「〇〇が好きです!」「続きが気になります!」
たくさんとは言え、10件もいかないくらいのコメント数だったと思う。しかしおいらは嬉しさのあまりその日は何も手につかなかった。一日中、いただいたコメントを眺めてニヤニヤしていた。世の中にはこんなに楽しい事があるんだなと思った。

これは10年くらいは連載するだろう…1000話は超えるだろう…これは絶対に完結まで描きたい…感動的な最終回があるから…
しかし、そこで大きな問題が立ちはだかった。
仕事をしながら大体月に1話(20ページ)更新できたとして、1年で12話…10年で120話…1000話描くには…???
遅すぎる。
おいらが感じたかった感情は、このまま趣味で創作を続けられれば叶えられるだろう。だけどそれでいいのか。手塚治虫になりたかったんじゃないのか。本当にそれでいいのか。

おいらがこの世に残そうとするものとしては、少なすぎる。

そうだ、プロになろう


おいらは「太陽の王国」をずっと描いていたかった。でも、描き続けるために、10話で一旦の連載終了という選択をした。

奇しくも当時募集が開始されていた、ジャンプ+×世にも奇妙な物語の漫画賞に読切を描いて出す決心をした。奇妙な世界観は好きだったし、昔できなかった読切を描き上げて漫画賞に出すという経験は、絶対必要なもののように思われたから。

約1ヶ月かけて、「幸福のシーソー」という読切が完成した。
そしてその作品が、「奇妙漫画賞」準大賞を受賞する事となる…
漫画を再び描き始めてから1年半、33歳の時だった…

その話はいずれ別で書こうと思います。

お読みいただき、ありがとうございました。


豚におやつを恵んでください🐽