セマンティックタイムp.002

 週末、おいしいパンが売っている店でバケットを買い、西洋じみて洒落ている具材を挟み、紅茶を淹れ、それらをバルコニーでおっぴろげて食べること(ただし空は少し曇っていて、足には日光や雨風に鍛えられたサンダルを履き、ボロボロのすだれと洗濯ざおが死角にいる)がクオリティ・オブ・ライフを上げる行為だという結論に至るには、平穏な日常マイレージをどれだけ稼げばよいのだろうか。
 私の作る飯のコンセプトに文句があるなら、私以外の家族の構成員がプロデュースすればいいのに。
 年頃の娘はオシャレ界隈と現実とのギャップに文句たれるだけで、衣食住に人差し指の第1関節くらいまでしか介入してこない。
 旦那は竜宮城に入り浸り、家ではポンコツな浦島太郎状態。
 娘と旦那がキレイぶろうとしている裏で家事全般こなしてる私がくしゃくしゃのきったないババアになってるのは何故?
 1日のうちに割り当てられる時間は限られる。それなのに、健康や美容に気を使って珍しい野菜を摂取したり、たくさん水を飲んでみたり、瞑想したりする行為の果てに鏡の前の偶像を認めた時のコスパの悪さたるや、なんと減衰の大きいことか!
 ああ憎し、この家が、この家から逃れられない自分が!

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