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未来に繋ぐための対話/演劇と『法律』vol.3

演劇と社会の繋がりを考える対談連載です。板垣恭一(賛同人代表)が、弁護士・藤田香織(当基金の法務担当)に、演劇と『法律』についていろいろ聞きました。これからは、差別問題についても時間をかけて勉強を進めていくつもりです。
文責:板垣恭一/藤田香織

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対談連載第3回 「観客」の見ているもの


弁護士・藤田さんとの対談連載3回目。観客と作り手のギャップについて。ちょっと長めの回になりました。藤田さんの「観客としての想い」と「弁護士としての体験談」ごゆっくりお楽しみください。

今回のポイント
▲ファンは自分に言われていると思う
▲「怒り」のふるさとは「恐怖」
▲劇場は誰にとってもキラキラな場所


板垣=対談3回目。「自分が属さない側」への想像力のなさが「炎上」を招きがち、ということで、今回は観客と作り手のギャップについて考えてみようと思います。早速ですが藤田さん。実はかなりディープなミュージカル・ファンだとか。

藤田=はい。小学校5年生ころから見ています。ミュージカルはずっと私の人生の指針でした。レミゼラブルを見て法学部に行って、弁護士になったんです笑。今も、年間100回くらい観に行っています。

板垣=100回! でも、なぜレミゼが弁護士に繋がるのですか? 

藤田=レミゼラブルが大好きすぎて、高校生の頃原作も読んだら、ABCカフェに集う人たちは法学部が多くて、大好きなマリウスが弁護士だったんです。私もマリウスになるーとおもって法学部を受験しました!

板垣=そこまでストレートに影響を受けた方に初めてお会いしました!笑

藤田=原作者のヴィクトルユゴーも弁護士なんですよ。なので勢いあまって。

板垣=僕は基本的に作り手側にずっといたもので、お客様の考えていることを想像はしますがリアルには分かっていません。SNSも稼働させてないのでダイレクトにやりとりすることも少ない。ということで早速、聞いてみたいと思います。あくまで藤田さんの場合ということで良いのですが、演劇のお客様として何を考えて劇場にいらっしゃるのですか?

藤田=私の個人的な体験です。皆様もそうだと思いますが、私も時々仕事でしんどい思いをすることがあります。仕事では、どうしても危険な相手方と対峙しなくてはならなくてストレスがかかったり、刑事事件では自分の存在意義って何だろうと考えながら毎日裁判所で罵声を浴びることもあります。

板垣=罵声ですか……?

藤田=依頼者の代わりに矢面に立つ仕事ですから。普段明るいほうではありますが、たまにはホームで、自分が電車に飛び込まないように、背中を壁にくっつけて、踏ん張っていなきゃいけない時もあります。そんな時に、私はいつも、お財布の中に大事に入れてるチケットを見るんです。あとちょっとでこれを見られるって。だから、つらいときに観たミュージカルのチケットって端っこがボロボロになってます笑 

板垣=……。

藤田=やっとの思いで劇場について、客席の、すこしビロードがけばだったお椅子に座って、オーケストラピットからチューニングの音が聞こえてくると、自分がふわっと浮いた気がします。どんなに現実世界がしんどくても、これからの3時間はしんどい場所からお話の世界に連れ出してもらえる。そのことが私にとっては支えなんです。幕が下りて、曲を口ずさみながら帰って、しばらくはその時の記憶や照明のあかるさ、音楽やお芝居の素敵なところを思い出して頑張れます。

板垣=そういうお話、以前に藤田さんからチラッと聞いたことがありましたが、こうやって改めて言葉として受け止めると、ちょっと背筋が伸びますね。僕自身は映画館によく座っていた高校生時代ってのがありまして。後で気づいたんですが、映画を観ていたというより、現実と距離を置くための場所だったなと。そんな感じでしょうか。

藤田=場所がというよりは、幕が上がって、音楽やお芝居や、圧倒的なエネルギーがわああって自分を夢の世界に連れて行ってくれるそんな体験なのでしょうか。

板垣=本題に入りましょう。観客側と作り手側の思いがズレてしまうのは、どんな時なんでしょう。炎上って一括りにすると雑ですが、何か双方の思いがズレてしまいザワザワしてしまうことってありますよね?

藤田=私は、作品の中身自体は、我々観客がいつまででも考えて咀嚼して受け止めるべきだと思うんです。観に行った以上は、一緒に演劇体験をしたわけで、いろいろな意見がありつつ、そこは作り手の方に何か申し上げることではないと思います。

板垣=ええ、なるほど。

藤田=私たち観客は、作品を作ってもいないし、演じてもいないし、作品への貢献度はないですが、作り手の方に負けず劣らず、「その」作品が大好きで大切なんです。そして、安く無いチケット代を捻出してなんども通うんです。お金持ちに見えるかもしれないですが、単に、生活費に対するチケット代の比率が高くて、食費を削って観に行ってるだけなんです。それくらい大好きだから、作品のことを誰かに悪く言われたり、軽く扱われたり、逆に作り手がご自身のことや作品自体を卑下したりすると、傷ついてしまいます。

板垣=作り手側が卑下して見せるってありますね。狙いがどこにあるにせよ、観客にとってそれは残念な態度だと。SNSというツールの便利さゆえに起きることかもしれませんが。

藤田=作品を離れてSNSでの炎上のことを考えると、それだけ、大好きな作品の作り手の方のSNSは気にかけて見ます。SNSの特徴ですが、送り手は不特定多数の人に向けて発信したつもりでも、受け手は、自分のことについて言われたと思ってしまいがちです。特に注意喚起、不満、怒りは自分のこととして受け止めます。

板垣=そうなのですね。

藤田=SNSでの発信の注意点は今までの対談でもお話しした通り、思ってもみない人を傷つけないということです。怒りの感情をSNSに乗せるとき、たとえば、女性に朝ヒールで足を踏まれたときに「これだから女は」と怒ると、女性全体が傷つく。同じように、「ファンは」「お客さんは」「みんなは」とくくって大丈夫かは、確認したいです。怒りの感情は大きいですから、怒りが自分に向いているかもしれないと思うと、傷つきます。

板垣=発信してる方は、そんなつもりじゃなくても。

藤田=そうなんです。特に怒りの感情を発出するときには、相当の注意を払う必要があります。目に見え、反応をしてくださるファンの方への対応は様々ご配慮があると思いますが、ファンだと表立って言わない人も、たくさんの人が愛情をもって、みなさんを見ているということを思い出していただけるといいかなと思います。

板垣=怒りって、すぐ吐き出したくなるから注意が必要です。思うんですけど、怒りの前には「悲しみ」が、悲しみの前には「不安」があり、その前には自分の存在が脅かされるという「恐怖」があるのではないかと。自分の「気持ちのマネジメント」を日頃から強く心がけていないと、怒りという形で世の中にモメ事の火種をばらまいてしまいがちだと思います。何より「怒り」って本人にとっては正義ですから、そこが一番厄介だなと。藤田さんは、そういう「人間の心の動き」に対してどうお考えですか?

藤田=怒りのおおもとに恐怖、不安があるのはしみじみと実感しています。仕事柄、激しい怒りにさらされることは多くあります。たとえばDV離婚の事件では、加害者は「自分とずっと一緒にいた、自分に服従していた妻がいなくなってしまってどうしたらいいかわからない」といった「恐怖の種」から、自分を守るために怒りで自分を防御するんですよね。しかも、そのことは自分では気づかないし、言葉が得意な方ほど怒りの理由を別のところに作ってさらに自分を防御します。それは「正義」の形をしていることが多い。「他人が妻を夫から引き離すなんて」といった形の正義です。私自身は、自分が怒ったときに、自分は何を怖がっているのかな? 何から逃げたいのかな? ということを考えるようにしています。難しいですが。

板垣=恐怖→不安→悲しみ→怒り、そして正義を引き合いに出して正当化をはかる。なぜって「怖い」から。この無限ループに気づくことが出来たらちょっとだけ落ち着けると思うんです。でも難しくて。恐怖や不安の衝動に自分が流されてしまう。

藤田=そのループから抜け出る方法の一つに、わたしは、「知ること」「分かること」があるのではないかと思います。訳が分からないから怖い。でも、相手が何を考えているのか、これからどうなるのか、知識や知恵を総動員して、自分が怖がっているものが何かわかれば、怖くなくなるんじゃないかなと思うんです。夜のお墓にたなびく白いひらひらがめちゃくちゃ怖かったけれど、頑張って近づいてみてみたらシーツだったとかそういう。

板垣=「知る」と「分かる」の違いはなんですか?

藤田=「知る」ことは、知識をつけること、事実を見極めることだと思っています。「分かる」のは、知った知識を使って、理解することかなと。

板垣=藤田さんは、どうやって「理解」への道を獲得しましたか? 

藤田=自分自身が生きられる人生って一回きりで、やはり自分の経験からだけでは理解できないことってたくさんあると思うんです。知識で分かっていても。私なんてまだまだですが、良い先生がいるんです。演劇っていう。またすぐ大好きなミュージカルの話になっちゃうのですが、観客は、演劇を見て、自分が生きていない人生を生きることができます。同じ演目でも、違う役に感情移入してみると、こんなに見え方が変わるんだという驚きは、演劇ファンならみんな経験したことだと思います。先にでた、私が大好きなレミゼラブルでも、学生たちに感情移入してみるストーリーと、バルジャンに感情移入してみるストーリー、ジャベールに感情移入した時のストーリーはガラッと変わります。こういうことが現実世界でも起きているんだな、今私はジャベールの気持ちで「ゴミを始末しろ仕事に戻れ」なんて言っちゃってるけれど、そこにいる、ジャベールにはゴミとしか映らないガブローシュやエポニーヌにもそれぞれのストーリーがあるんだっていうことを演劇が教えてくれました。そういう経験が、私に、今私は私の役を生きているけれど、想像力を働かせてほかの人の役の目線を持つ必要があるなということを教えてくれたのかもしれません。

板垣=そろそろまとめに入りたいと思います。先ほどの「知る」「分かる」に戻ってお聞きします。劇場って何かを知る場所になりえると思いますか? 何かを分かる場所でもいいのですが。

藤田=劇場って本当に特別な場所です。舞台上で起きることを通じて、人生のすべてを知ることができる場所だと思うんです。私の個人的な体験の中で、劇場が、舞台ファンではないある人の人生を変えて、たぶん今でもその人の心の支えになっているんじゃないかと思うエピソードをお伝えさせてください。

板垣=お願いします。

藤田=両親からひどい虐待を受けた子どもの代理人をすることがあって、その子をミュージカルに誘ったことがありました。たまには気晴らしに、と。18歳の女の子でした。当日まであんまり楽しみそうじゃなくて、大丈夫かなって心配してたんです。たしか、演目は宝塚のガイズアンドドールズでした。東京の宝塚劇場入ってシャンデリア見上げたら、わあああって口を覆ったまま喋らなくなっちゃって、どうしたんだろうって心配しながら客席に座ったんです。二階席のはじっこでした。そしたら、しばらく黙りこくって、お席の赤いビロードを撫でては周りを見渡して、小さい声で「私ここにいていいんだ」って言ったんです。「そうだよ!!あなたのためのお席だよ」ってつたえました。そしたら、その子、もともとあんまり感情表現上手じゃないんですけど、わああってわらって、あれはなに?あれはなに?って聞いて回るんです。「オケピだよ!!オーケストラの人たちがあの中で演奏するんだよ!」って説明して、「え!!もったいなくない? 見えないよ!」って驚かれたり、幕って縦に開くの? 横? ってきかれたり、大騒ぎして幕が開いて、ぱって照明が付いて総踊りになるシーンでわああっってのけぞったり、笑ったり手を叩いたり、そっか演劇初めてでもちゃんと楽しめるんだって私が驚いたり。終わって、楽しかったああでも腰イターって伸びをする彼女からは緊張も取れてて、興奮気味に感想を話してくれました。劇場をでて別れ際、たのしかった? って聞いたら、こんな特別なとこに一緒に来れるのが嬉しかったって言ってました。劇場はそういう特別な空間なんだなと思いましたし、劇場のなかにいて、舞台上の光を浴びながら、ここにいていいんだと許される気がするのは私だけではないんだなと思いました。そこにいるだけで大事にされている感覚なのだと思います。虐待を受けていて「あなたは大事なひとなんだよ」って言われる経験のない彼女にしてみればよけいに。

板垣=……。

藤田=劇場って多分コアなファンだけのものじゃなくて、そういう、一回だけの特別な体験をした人にとっての大事な思い出でもあるんだなって思います。その子は今は結婚してお母さんやっていて、あれ以来ミュージカル行ったことないと思いますが、テレビでガイズの曲が流れてたよって教えてくれたり、また行きたいなあって言ったりしています。

板垣=……なんか、言葉がないです。頭ではお客様の想いをしっかりうけとめたいと考えてはいるのですが、そこまでの具体的な気持ちまでは想像したことがなかった。

藤田=私みたいに、劇場がだいだいだいすきなコアなファンにとっても、今まで劇場に一度しか行ったことがないその子にも、同じくらい大切できらきらな場所なんですよね。劇場って。

板垣=理解しました! 僕はもっと劇場という場に対して真摯に向き合おうと思います。今までもそのつもりでしたけれど、まだ甘く考えていたのかもしれません。今日はありがとうございました!

藤田=今日はしゃべりすぎました笑 ありがとうございました。

板垣=次回もお楽しみに!

(つづきます) 

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●対談はYouTubeでもみることができます


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